春の野に舞う桜花

 03
朝から土御門家は慌ただしかった。
正確に言えば昨日から、である。特に厨房がひときわ賑やかだった。
雉肉を炊き込んだ強飯の屯食、柚子を練り込んだ椿餅、乾物を戻して作った煮物、糖蜜で煮詰めた鮒の甘露煮。
他に、藤姫が用意してくれた数々の唐菓子や水菓子。
天真が作った竹水筒は人数分用意され、中に麦湯や柑橘を絞った清水、そして少しの酒などを詰める。
「食べ物は日に当てると悪くなりやすいから、僕の車に積んでください」
「では、他のものを荷台に積もう」
土御門家ではすっかり厨房長のような存在になっている詩紋は、こういうことに関してはてきぱきと動く。
あの頼久に指示を出しながら、花見用の荷造りをしている。
「こちらの車は、女性専用にしましょうか」
あかねと藤姫、そして途中から蘭が乗って来る予定。
女性同士の方が何かと気楽だろうとのことで、彼女たちに一台を提供することにした。
「とても素敵な場所なの。藤姫もきっとびっくりすると思うよ」
「ふふ、何度も神子様がそうおっしゃるものだから、私ずっと今日が楽しみで仕方ありませんでしたわ」
外出など殆どしたことのない藤姫のために、出来るだけ素晴らしい景色を見せてあげたい。
そう考えながら、友雅と場所探しをしていたあかね。きっと今以上の笑顔を見せてくれるはず。
今日が楽しい一日になりますように。
………その後のことを考えると、少しだけ心苦しいけれど。


寺に到着すると、まず男性陣が先に車を降りた。
荷物を解き、友雅の案内で奥へと進んで行く。花見場所の準備をするためだ。
「おおお!すっげえじゃん、桜も満開じゃん!」
「すごい!ホント綺麗なところ!」
初めて来たその場所の美しさに、イノリと詩紋のテンションが一気に上がった。
広々とした池と遠景に望む緑の山々。その背景に満開の枝垂れ桜が最高に映える。
「永泉様がお話を通して下さったおかげですよ」
「いえ、私は何も…。ですが、本当に美しい場所ですね」
友雅たちが会話している隣では、泰明が無言でじっと桜の木を眺めている。
皆が花見の準備を始めた頃になり、やっと彼は口を開いた。
「……この地は気が澄んでいる。故に、木や花が喜んでいる」
泰明によれば、ここはまるで浄化されたかように気が澄んでいるらしい。
しかしそれは人工的なものではなく元からで、こんな場所は京でも希少ではないかと言う。
だからこそ植物は自由に生き、その命を謳歌している。
美しく咲き誇る花の理由は、おそらくそういう理由なのではと。
「あかねはひと目で、ここが良いと思ったそうだよ」
「やはり清らかなものに敏感なのでしょう」
役目が終わったといえど、彼女は龍神の神子だった。
今でも少なからず龍神の加護は受けているだろうし、だから何かを感じたではないかと鷹通の説。
その二人の目と鼻の先で、天真は少しふてくされた感じで作業を続けている。
原因は見ての通り、蘭の恋人寿巳が今回参加しているからだ。
「ええと…こんな感じで大丈夫ですか?」
「ま、いいんじゃねえの。じゃ、こっちの紐をくくりつけてくれ」
そっけない口ぶりで表情もやや険しいが、これでも以前と比べたら若干緩和した。
寿巳が慎重に粘り強く交流を続けたおかげで、会話も増えたらしい…これでも。
とは言っても、蘭が彼とゴールイン(或いは公認)するには、まだまだ時間が掛かりそうだ。
二人が天真に受け入れてもらえるか、それともあかねが我が家で同居してくれるか…果たしてどちらが先か。
「こればかりは、負けたくないねえ…」
苦笑しながら、友雅はため息まじりにつぶやいた。

心地良い風がそよぎ、水面と桜の枝を揺らす。
池では水鳥がゆったりと泳いでいて、空は青空。暖かな花見日和。
「気持ちの良い日ですわね…。そして、何て綺麗な桜」
「ね、言ったとおりでしょう?」
あかねのために徹底して作り上げた土御門家の庭でも、自然の山並みまで復元することは無理だった。
人の手を借りず生きる木や花の力強さと逞しさ、しなやかさ。
外に出なければ分からないことを、あかねは藤姫に教えてくれた。
ここまでの外出でなくとも庭に出るだけのことで、頬に触れる風や日差しが心地良いことを。
「さて、宴には管弦が必要だからね。そろそろ始めようか」
永泉と鷹通は共に笛を用意し、友雅は琵琶を手にした。
「おまえ、そんなでかいの持って来たのかよ」
友雅が琵琶に長けているのは周知しているが、笛や琴も人並み以上。
携帯するならそれらの方が便利なのに、わざわざ大きな琵琶なんて邪魔になるだけではないか。
そう言う天真の言葉も気にせず、彼は琵琶を構える。
笛の音が響くと、続けて友雅の琵琶の音が続く。
いつしかそれらの音はひとつとなり、桜の景色に溶け込んで行く。
「寺の敷地内だけどさ、人の目を気にせず楽しめるってのが良いよな」
「うん、去年はさすがにちょっと緊張したものね」
無礼講で構わないと言われても、宮中で、しかも帝のいる前で宴というのは落ち着かなかった。
やはりこうして気心の知れた仲間を募って、本当の無礼講で過ごす宴が一番良い。
美しい景色と美味い料理や酒、笑い合いながら春を満喫する時間は、短くとも充実した想い出を皆に焼き付ける。
あと数日すれば、この桜も雪のように散り始めるだろう。
そして鮮やかな緑が増え、次に桜の花を見られるのは一年後になる。
一年後、またこうして皆で桜を愛でるために集まろう。
例えそれぞれの立場が変わろうとも、紡がれた絆は不変だ。


日差し暖かな春の日でも、夕方が近づけばぐっと気温が落ちて来る。
やや太陽が傾き始めたのを見計らい、花見もおひらきとなり片付けが始まった。
「帰りの車くらいは、二人きりにしてもらいたいねえ」
行きは女性専用の車であかねを奪われてしまったから、今回は何とか大めに見て欲しいと友雅が言った。
藤姫はあまり良い顔をしなかったが、世間的には夫婦同然の二人だしと詩紋や頼久も言うので、友雅の申し出は無事に聞き入れてもらえた。
それにしても、楽しい時間とはあっという間だ。
今度は藤の花が咲いたら集まろうか。それとも紫陽花の時期?などと話しながら帰路につく。
途中で天真やイノリたちを下ろすため、町中で車が止まった。
「あ?車が一台足りなくねえか?」
連なった牛車を見た天真が、まずそれに気付いた。イノリが数を数えると…確かに車が一台少ない。
どういうことか?どの車が足りないか…と見て、はっ!と二人は気付いた。
「あいつら!」
そう、姿を消した牛車に乗っているのは二人だけ。
まんまとやられた!と思った天真たちに、頼久と詩紋が文を取り出して見せた。
書かれていた内容は…"夜桜を楽しむため、今夜は花の君を連れて行くよ”という置き手紙のようなもの。
これを藤姫に渡して欲しいと、頼久たちは予め友雅に頼まれていたのだった。
「おまえらもグルかよ!」
だから二人とも友雅の嘆願に賛同していたのか。根回しの良い男だ…本当に。


---------その頃、牛車は北嵯峨へと向かっていた。
行先は上皇が在位中に立てた別荘のひとつで、今は帝の所有となっているやや小さい邸宅。
「本当に良いんですか、そんなところ使っちゃって」
「主上が自ら勧めて下さったのだから大丈夫だよ」
友雅が帝に願い出たのは、あかねと二人で桜を楽しめる場所を提供して頂けないか…ということ。
それならばと帝は、北嵯峨の別荘を勧めてくれたのだった。
最近はもっと近場の別荘を利用することが多く、少し寂れ掛かっているが十分に立派な建物。
春は桜、秋は紅葉が美しい庭があるので丁度良いだろう、と。
「木花咲耶姫をもてなすには、それなりの場所でなくてはね」
どんなに美しい桜の花だろうと、目の前にいる桜姫には敵わない。
月の光に照らされ幽玄の輝きを放つ夜桜を前に、私は君のために琵琶を奏でよう。
「恋の歌を聞かせるために抱えて来たのだよ」
花も嫉妬するほど甘く狂おしい恋の歌。

-----今宵は朝まで口ずさもうか。愛おしい我が君と共に。





-----THE END-----




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2018.04.12

Megumi,Ka

suga