春の野に舞う桜花

 02
空は春らしい澄んだ青空。
久しぶりの外出ということで、あかねは友雅が用意してくれた牛車に乗り込んだ。
「わざわざ車を使うなんて、遠出するんですか?」
「それほど遠くはないけれど、花見の場所の目星が大体ついたのでね。まずは視察に行ってみようかと」
先日帝に紹介してもらった嵯峨野方面。
永泉を通じて寺院に連絡をしてもらい、二カ所の寺院から良い返事をもらうことが出来た。
これからそこを訪ね、後日改めて場所を決定しようと思ったのである。
「わあ、どんなところか楽しみですね!」
既に桜は見頃を迎えているところもあり、艶やかな花を見られそうだ。
準備をしている皆には申し訳ないが、一足早く花見を楽しませてもらおう。

ひとつめの寺に行くと住職が仁王門まで出迎えてくれ、手厚く二人をもてなしてくれた。永泉が出家する際、立ち会った僧侶の一人なのだと言う。
美しく整えられた庭園には桜だけでなく、遅咲きの梅や桃の花も咲いている。
併せて案内してくれた寺の内部には荘厳とした仏像が多数並べられ、信仰の尊さが目に見えるようだった。
裏庭を抜ければ広沢池が徒歩圏内。
これまでに皇族が度々訪れているため、船遊び用の船もここで管理している。
「必要でしたらご用意致しますよ。どうぞ遠慮なくお申し出くだされ」
住職は言うが、そこまで優雅な宴を楽しむ面子は揃っていないし。
静かで喉かな良い雰囲気の寺で申し分はないが、自分たちの花見にはやや敷居が高い気がする。
そんな風に感じながら寺を後にし、もうひとつの寺院へと車を走らせた。

次にやって来た寺は、前と比べれば落ち着いた印象の門構えだ。
敷地は結構広そうだが、花よりも緑が多く自然に満ち溢れている。
「お話は伺っております。修行の場である本堂付近以外でしたら、どこをお使い下になっても構いませんよ」
住職は柔和な物腰と口調で、友雅の話に快く首を縦に振ってくれた。
「右手に竹林がございますが、そこから先は庭園となります。ご自由に散策されて結構ですよ」
「では、行ってみようか」
あかねの手を取り、少し薄暗い竹林の道に入る。
日差しが遮られてしんと静まる周囲。カサカサと、二人の足音しか聞こえない。
「何だか落ち着きますね、こういうところ」
「そうかい?朗らかで暖かな君の印象とは全く違うが」
「うん、直前まで明るいところにいたから、急に身が引き締まる気がします」
ひんやりした空気に緑の香り。否応にも静寂を感じる空間。
つないだ手のひらだけ、ぬくもりを帯びる。
「私はこの竹林が密室に思えて、むしろ心が躍るよ」
先が開けてきて、明るくなってきた。
友雅が少し強くあかねの手を握る。まるで彼女の歩みを引き止めるかのように。
「このまま先に行かずに、密林で二人の時間を楽しまないかい?」
「そんなことしてたら、お花見の場所が決まらないですよっ」
冗談半分、でも本気も半分。
手をつなぐ代わりに彼女の肩に手を回し、抱き寄せながら竹の枝を払い除けた。
そして目の前に広がったのは-------
「これは見事だな」
ごく自然に、友雅はつぶやいた。
広大な緑の庭園に、枝垂れ桜の大木が二本。
さほど広いわけでもない池だが、この桜を水面に映し出すには十分。
細い枝の先まで淡い色の花が咲きこぼれ、何とも優雅な佇まい。
まだ満開ではないようで、つぼみも結構見てとれる。
しかしそれらもほのかに色づいているため、おそらく数日で満開になるだろう。

「…友雅さん、ここにしませんか?」
景色に見とれて言葉を失っていたあかねが、振り返ってそう言った。
「前のお寺も素敵でしたけど、何となく…私ここが好きです」
詳しい理由は分からないが、美しさだけではない何かをここは感じる。
花や木々の息吹、暖かい太陽の日差し、風になびく水面の波。
どれもこれも生命を謳歌しているように見える…のは気のせいだろうか。
「君が気に入ったのなら、そこが正解だ。ここに決めよう」
「え、良いんですか?ホントに?」
あっさりと賛同した友雅の返事に、あかねは少し拍子抜けした。
帝にまで相談してやっと絞り出した二カ所だというのに、自分の一言でそう簡単に決定してしまうなんて。
「私は龍神の神子殿の直感を信用しているからね。間違いなくここは、良い土地なのだろう」
「もう神子じゃないですよ」
「ふふ、そうだね。君はもう神子じゃなくて私の奥方だ」
"奥方"というフレーズを聞いて、あかねはふわりと頬を染めた。
すべてが終わったら一緒になろうと約束をして、今では毎晩のように友雅はあかねの元に通う。
京では一般的なこの形式を見れば、既に二人は誰もが認める夫婦関係。
---------でも、本当は彼女を自分の屋敷に迎え入れるつもりで、準備も完了しているのだけど…。
「とにかく花見場所はここに決めよう。満開になる前に皆に伝えねばね」
「そうですね!急がないと」
こんなにも綺麗な桜が咲いているのに、散り始めてしまったら意味がない。
早めに皆に連絡をして、予定を調整したらすぐに出掛けなきゃ。

「まあまあ、そう慌てずとも」
友雅はあかねの手を取り、池のほとりに沿ってゆっくり歩き出した。
「せっかくだから、一足先に二人で花見をして行こう」
小鳥のさえずりや葉ずれの音に耳を澄ませながら、辿り着いたのは桜木の前。
株元に立つと花付きの枝垂れにすっぽりと包み込まれ、視界が桜に埋め尽くされ何と美しいことか。
「やっぱり凄い綺麗。桜の枝が揺れて素敵ですね」
「竹林の密室より、花に包まれた密室の方が遥かに良いね」
桜の木の中に閉じ込められた二人を、隠すように咲く数珠つなぎの花々。
触れる肩、自然と寄り添って。
なぞられる指に従い、お互いに瞳を閉じて、そして唇が重なって。
「桜の名所を他人に知らせない者たちの気持ちが、今は少し分かる気がするよ」
美しい桜を独り占めしたい想い。それは花だけに限らない。
自分しか知らない特別な場所なら、花よりも美しい我が君との甘い逢瀬を楽しめるからだ。
「花見は別のところにして、ここは私たちだけの場所にしようか?」
「ダメですよ。ここが一番みんなとのお花見にぴったりな気がするんですもん」
最初からあかねはそのつもりで、ここが良いと言ったのだろう。
八葉全員で賑やかな花見を楽しむ場所として最適だと。

だが、やはり美しい場所を二人だけで楽しむ時間が欲しい…という友雅の欲望は抑えきれず。
「それならひとつ、提案があるのだけれど聞いてくれるかい?」
周りには誰もいないのに、友雅はあかねの耳元にそっと口を近づける。
耳うちの秘密の話。聞き耳を立てているのは桜の花くらい。
「えっ!?で、でもそんなことしたら…」
「良いじゃないか、桜花の命は短いのだから、のんびりしていては一年後になってしまうよ」
友雅が切り出した提案は、ちょっと強引だけど魅力的な計画。
桜の花に酔ってしまったのか…。
あかねはそのプランに抗うことが出来なかった。



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Megumi,Ka

suga