春の野に舞う桜花

 001
寒さが残る中で紅色の花を咲かせていた梅が、もう終わり間近となっている。
暖かさと日差しが深みを帯びて、いよいよ京は桜色に包まれる季節へ。
「ねえ、今年のお花見どこが良いかな?」
「そーだなあ…」
花を愛でながら飲んだり食べたりしたくなるのは、どの時代もどの世界でも同じ。
毎年桜の開花が耳に届くと、こんな会話が誰からともなく湧いて出る。
もちろん今年も花見の計画はある。
参加者はいつもと殆ど変わらないが、皆忙しい身の上であるため早めに予定を組む必要があるのだ。

「こっちの世界で桜の名所って言ったら、どこらへんなんだ?」
結構な時間を京で暮らし、そこそこ土地勘も付いて来た。
特に天真は外交(?)に積極的なので、京の人々にも早いうちから馴染んだ。
なので日常には困らない知識は既に得ているのだが、季節の風物詩的なことは情報が不足している。
というわけで、こういうことは地元の人間に聞くのが正しい。
いつものようにあかねの顔を見に来た者がここにいるし、彼はその手の話題に明るそうだ。
「有名なのは吉野だろうね。だが、京から行くには少々遠いかな」
割と即答で友雅は言った。
多くの和歌にも歌われているくらい、吉野の桜の美しさは誰もが認めるところ。
しかし吉野山という名の通り、道中は山道で足場が悪い。
車も速度を上げて進めないため、気軽に日帰り花見を提案するには無理だろう。
「じゃあ、もう少し近くにないか?藤姫も連れて行けるくらいのさ」
「平野の桜や岩清水の山も見事らしいね」
その他、山科や嵯峨に桜が…とか聞いたことがある。
だが、詳しい場所までは誰も口にしなかったので、特定することは出来なかった。
つまり他人に教えたくないくらい、独り占めしたいほど美しい花が咲き誇っているのだろうか。

貴族の宴じゃあるまいし、そんな大層な場所じゃなくても良いのだけど----と天真は続け、改めて花見参加者の面子を確認した。
友雅と鷹通、そして藤姫。この三人は紛れもない貴族。
更に永泉に至っては皇族であり、泰明は稀代の大陰陽師・安倍晴明の弟子…。よく考えてみたら、とんでもない顔ぶれだった。
異世界人の自分たちはと言うと…中流家庭の完璧な庶民。
今でも会話の中で噛み合ないことも度々あるので、やはり育った環境が違うのだと時折感じることも。
しかし、八葉という立場がすべてを変えた。
身分なんてちっぽけなものに過ぎず、人と人の間にはそれを超える強いものが存在する。
おそらくそれは…"信頼"というものなのだと思う。
照れくさくて口には出せないけれど、きっと皆も感じているだろう…と確信できることがまた信頼。
もしも京に来なかったら。
あかねが龍神の神子としてこの京に呼ばれなかったら、八葉にもならなかったし他の仲間とも出会えなかった。
人生、何が起こるか分からねえなあ。
最初からここで生まれ育ったみたいに、俺たちみんな馴染んでるもんなあ。
当時は不便に思えたことも、今は既に常識。意外と順応できるものだ。
「天真くん、どうしたの」
柄にもなく回想に浸っていた天真は、あかねの声で我に返った。
「あ、悪い。何の話をしてたんだっけか」
「お花見の場所どこにしようかって相談してたのに、急に黙っちゃうんだもの」
そうだそうだ、今年の花見はどこの桜を見に行くかの話だ。
一年目は永泉の計らいで仁和寺の御室桜を。
去年はなんと帝の誘いで、宮中で花見をするという前代未聞な展開が。
で、今年はどうしようかと相談している最中だった。

「天真が物思いに耽るとは珍しいね。もしかして、心をどこぞの姫君の元へ走らせていたのかな?」
「おまえと一緒にすんなっての」
相変わらずな友雅にいつもの調子で返すと、その間に詩紋が入って来る。
「なんだぁ、ついに天真先輩に彼女が出来たのかと思ったのに違うんだ」
「おーい、詩紋まで何言ってんだコラ」
黄金色の柔らかい髪を、手のひらで想いっきりくしゃくしゃかき混ぜる。
和やかな春の日差しと小鳥のさえずり。
美しく整えられた庭を眺めながら過ごす、賑やかで他愛もない時間。
「とにかく、場所探しは頼むわ友雅」
このままだと雑談だけで時間が過ぎてしまうし、この際誰かに一任してもらった方が良い。
場所が決まるまで、こちらは花見に出掛ける準備をしよう。
皆の予定調整と牛車の手配、大切な花見弁当の下ごしらえなど。
「やれやれ、私が面倒くさいことを好まないのを知ってのことかい?」
もちろん知っているから、敢えて頼んだのだ。
表向きは何のかんの言っていても、仲間からの頼みを彼は絶対退けないことを知っているから。
それと、意外に面倒見が良いことも。
「出来るだけ早めに頼むぜ。見頃が過ぎちゃ勿体ないもんな」
「分かったよ、早めにね。出来るだけ頑張るよ」
こうして花見についての相談会は、一応無事に幕を閉じたのであった。



次の日。謁見のため、友雅は清涼殿にいた。
「美しい桜木がある場所は意外に多い。ひとつに決めるとなると、なかなか難しいものだな」
春は四季のうちで宴が一番増える時期だ。寒々とした冬が終わりを告げ、花や新芽で彩り鮮やかになる季節だからだ。
中でもやはり桜が咲くと、花を愛でつつ時を楽しむ者たちが多くなる。
当然宮中でも毎日のようにどこかで宴が開かれ、四方八方から管弦の音や歌が耳に届く。
「広沢や大沢の池周辺はどうだ。水辺で景色も良いし、船遊びも出来るぞ」
あの辺りは仁和寺と同系の寺院も多いので、永泉が話を通せば快く場所を提供してくれるのでは、と帝は話す。
皇室に縁の深い土地柄である嵯峨野への道は、平坦に整えられており牛車での行き来は比較的楽だ。
土御門家からは近いとは言い難い距離だが、遠すぎるわけでもないので丁度良いかもしれない。
「あまり羽目を外さないようにな」
「盛り上げ役が数名おりますからね。寺の迷惑にならぬよう忠告しておきます」
そうは言っても、盛り上げる者がいてこそ宴は楽しいというもの。
騒がしすぎぬよう、かしこまりすぎぬよう心がけて。

「だが、八葉は本当に皆仲が良いな」
アクラムとの一件が収束して以前の生活に戻ったはずなのだが、行事に合わせて彼らは度々全員集合する。
日頃から顔を合わせる機会の多い宮仕え同士ならいざ知らず、町に出向いてはそこで生活を営む者と日常の会話を交わしたりしている。
実際に階級の差を縮めることは出来ない。しかし、心の階級は随分と狭まった気がする。
誰もが同じ目線を持ち、分かり合える穏やかな世が訪れれば良い。
簡単なことではないけれど、少しでもこの京に生きる者たちが笑顔で日々を送ることが出来れば---------。
そんな夢想ともいえる帝の想いが、もしかしたら叶うのではないか…と期待してしまうような第一歩を彼らは進んでいる。
「だとすれば、彼女の影響でしょうか」
友雅はあかねの姿を思い浮かべて、柔らかく微笑んで答えた。
「我らと全く違う神子の感性は、この世界に新しい風を吹き込んでくれているな」
思いも寄らない発想も、彼女にとっては当たり前のこと。
最初は破天荒に思えることさえ、気付くと上手くこの世界に馴染んで来ているのが不思議だ。
京に安寧を取り戻すため龍神の神子は選ばれたと思っていたが、彼女の存在自体に平穏の力があるのでは、と考えたくもなる。
「大切にしなければならぬぞ。そなたには、八葉とは別の役目があるのだからな」
神子を守る八葉ではなく、一人の女性を守ることが友雅に与えられた永久の任。
「くれぐれもな!丁重に扱うのだぞ!無理強いは厳禁だ!」
「ご心配なさらずとも、私以上に彼女を慈しむ者は居ないと断言できますよ」
まあ、こう見えても武芸には秀でた男だ。
看破する力も優れているし、そう言った部分では何の心配もない。
一番の不安材料だった浮き名流しもすっかり途絶え、彼女ひとすじの入れこみようなのだが、それが違った意味で心配というお節介心がつい働いてしまい。

そんな帝の心境を知ってか知らずか、友雅はにこやかに姿勢を正して言った。
「ところで、ひとつ我が侭なご相談があるのですが、お耳をお貸し頂けますか?」



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Megumi,Ka

suga