魔法の夜は二人でワルツを

 002
お城のような迎賓館の隣に、もうひとつ同じような館が建っている。
来賓客の宿泊施設だといわれるそこに、あかねたちは部屋を用意された。
移動手段の列車内でも言っていたが、ここに来てまた天真がぎくしゃくしている。
普段から男所帯の中で働き、住んでいるのも男子寮のようなところ。
はっきりいって小綺麗なものが一切ない、そんな日常生活を送っている彼にとっては、こんな立派な部屋をまるまる一人で使ってくれと言われても…。
「こんな部屋、緊張して眠れそうにないぜ、オレ」
「我々も来賓の一人として、認めて下さっていることだろう。文句など言わず感謝しろ」
そう窘める頼久も、やはり少し堅苦しそうに見える。
国王の外遊に同行し、こう言った来賓扱いの経験もわずかながらある。
それでも普段の生活は質素なものなので、肌に合うかと言われたら…やはり馴染めるとは言い難い。
同室ではなく、それぞれに一部屋ずつ。
更に、執事と使用人が数人待機しており、必要なものやスケジュールの進行、いたれりつくせりのサービスが用意されている。

「あかね様のお支度に、何人かメイドをよこしましょうか」
祈念の儀には、正装が必要だ。
いつも彼女が礼拝堂に入る際、身につける純白の絹で作られたドレスは、継承儀式で着た聖衣を用いて仕立て直されたもの。
あの日、神から力を受けた聖なる生地のドレスを着て、あかねは毎日礼拝堂に赴き神の使者である龍との対話をする。
いわばこのドレスは、あかねの仕事着のようなものなのだ。
「シンプルなドレスですから、二人ほどお手をお貸し頂ければ良いかと思います」
「左様ですか。では、後ほど向かわせますので、お時間までごゆっくりどうぞ」
きりっとした初老の執事は、深々と頭を下げてあかねの部屋を出て行った。

それから一分ほどしてから。
「はあ…やっとホッとしました…」
一気に肩の力が抜けて、思わずあかねはごろんとソファの上に横たわった。
「ホッとしているわけにも行かないよ。本番は、これからなのだからね」
そう、本番は祈念の儀。それを執り行うために呼ばれたのだし、儀式を無事終えてからが本当にホッと出来る時。
けれど、彼女がどれほど緊張しているかは、友雅が一番よく分かっている。
隣にいるだけで、心拍数の乱れが伝わってきそうなほど。
「大丈夫。恙無く終わるよ」
手を伸ばし、あかねの髪に触れる。
さらりと指からこぼれていく毛先を、すくうようにして頭を撫でる。
子どもをあやすような仕草ではなくて、ぬくもりが伝わるような優しい手触り。
「…ふふ、友雅さんに頭撫でてもらってたら、少し落ち着いて来ました」
彼の手に自分の手を重ねて、あかねは嬉しそうに笑ってみせた。その表情は明らかに、さっきまでの緊張感が和らいでいる。
「少し?なら、完璧に落ち着かせて差し上げようか」
ゆっくりと顔を近付け、吐息が触れるほどの位置まで来て彼が微笑む。
その笑顔を見届けたあとで、瞼を閉じると柔らかな唇が重なる。
どきどきと鼓動が早まるのに、何故か心は落ち着きを取り戻して行く。
彼と触れ合い、存在を実感しているだけで生まれる安心感…いつもそんな不思議な甘い感覚に浸る。


特別室の入口までは友雅たちも同行出来たが、中に入ることを許されているのはあかね一人だった。
部屋の中には王妃と数人の侍女、そして生まれたばかりの皇太子がいる。
「では、どうぞよろしくお願い致します」
ドアの前で国王直々に頭を下げられて、また少し緊張してきてしまったが、友雅が微笑んでくれたのを見て少しだけ落ち着いた。
開かれたドアから、静かに中へと入る。
広々とした明るい部屋には、天蓋付きの豪奢なベッドが置かれていて、栗毛の美しい女性が赤子を抱いて床に着いていた。
「上級巫女様ですね。遠いところをご足労頂き、ありがとうございます」
「とんでもございません。この度は皇太子様のご誕生、おめでとうございます」
抱かれている赤子は母譲りの栗色の髪をして、肌の白さもやはり母似なのだろう。
可愛い…と、素直にあかねは思った。
生まれたばかりの子どもは、何ひとつ穢れを知らない極限の美しさを持っているものだ------と、龍が言っていたのを思い出した。
人は時間を追うごとに、良いものも悪いものも知って成長してゆく。
どちらが欠けていてもいけない。
人間は誰しも、それらを自ら調律して生きて行く。
その人生を健やかに進めていけるように……そう祈りを捧げる。


「なあ、こういう事例って過去に結構あったのか?」
あかねが儀式を執り行なっている間、友雅たちは部屋の外で待機している。
特にすることもなく暇を持て余している天真が、ふと友雅にそんなことを尋ねた。
「多くはないが、いくつかはあるらしいよ」
長い年月の中でも数回しかないそうなので、よほどの希有な事例とも言えるか。
しかし、実際のところはこのような申し出はかなり多くあるようで、それらを見極めた上で国王が受理するのだという。
今回は交流の長い国であることもあり、受け入れることになったそうだ。
「長時間に及ぶ儀式なのでしょうか。お一人で、心身を消耗されるのでは?」
「いや、それほどたいそれたことはしないよ。すぐに終わ………」
友雅が頼久に答えを返していた最中、ギイ…と深い軋み音を立ててドアが開いた。
部屋の中から、あかねが一人で出て来る。
「え、もう終わったのか?」
「うん…一応」
拍子抜けしそうなほどの、あっという間の時間。
彼女が入室してから、おそらく15分くらいしか経っていないのではないだろうか。そのせいか、あかねの顔にも疲労は全く浮かんでいない。
「お疲れさま。よく頑張ったね」
あかねを引き寄せ、友雅は優しくその身体を抱きすくめた。
「…聖なる儀式のあとで、ラブシーンは勘弁して欲しいんですけどー」
友雅の腕の中で、思わずあかねは顔を赤らめた。
それでもこのぬくもりからは、離れられない。


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疲れていないと言っていたが、とにかく少し休んだほうが良いからと、友雅は彼女を説き伏せた。
居間では軽食と茶が用意されており、それらを手に男たちはしばし雑談で安堵感を楽しむ。
祈念の儀について、友雅は簡単に説明をした。
国から持ち寄った聖水に、この国のシンボルである国木の枝を浸し、その水で皇太子の顔を軽く拭きながら念を唱える。
「それっぽっちなの?」
「そう。だからすぐに終わるって言っただろう」
それくらいなら、別にあかねじゃなくても出来そうなものだが…と天真は思った。
聖水を輸送すればそれで済むのでは?だが、そうでもないらしい。
「上級巫女の口で唱えなければ、念は通じないのだよ」
「はあ…そんなもんなの。さっぱり分からんけど」
彼女が言葉を唱えるだけで、神の思し召しを受けられる。
その声は神聖なもので、人の心と身体を正常に整える作用がある…と言われているが、正直友雅も半信半疑だ。
本当に上級巫女にそんな力があるのか、実感はない。
自分が彼女と一緒にいると穏やかになれるのは、それよりもきっと特別な想いがあるからではないかと、そう思っている。

「あの、お話中に失礼いたします。少々よろしいでしょうか」
彼らの前にやってきたのは、初老の執事。
黒のスーツに紺色のネクタイが、かっちりとした面持ちによく似合っている。
「実は国王より、今宵の晩餐会についてお話を伺ってまいりまして--------------」
手にしていた革のファイルを開くと同時に、メイドたちが次々と揃って大きな箱を抱えてやって来た。



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Megumi,Ka

suga