魔法の夜は二人でワルツを

 001
季節はゆっくりと、人に寄っては慌ただしく移りゆき、木々を包む葉の色が琥珀色に染まり始める。
町は年に一度の収穫期を迎え、どこもかしもの大賑わい。
週末ともなれば、夜通しで飲めや歌えやの祭りが行われたりもする。
そんな町の中央に流れる水路には、いくつもの橋が架かっている。
橋の先には、長いれんが造りの城壁。壁の向こうは宮中だ。
城壁で覆われた宮中の内部は、さながら小さな国がそこにあるかのような広大な敷地を有する。
多くの森が存在し、小高い山の近くには酪農を営む者もいる。
食料品や日用品を扱う店が並ぶ商店街や、教会、病院、学校などの施設もあり、宮中関係者たちが町人と同じように生きている。

緑多い宮殿付近の敷地には、王族従事者の住む館が点々としている。
女中や使用人、警備に関わる者たちが暮らす館の他、側近や祭司などの特別職の者は個人用邸宅を宛てがわれた。
宮殿塔に隣接した青壁の"瑠璃の館"と呼ばれる建物も、そんな邸宅のひとつ。
館主というにはかなり若過ぎるが、唯一無二の存在である上級巫女の彼女には、そのような特別扱いが当然ではあった。
数人の使用人と、数人の執事。
そして、誰よりも近くで彼女を護る大切な人と、この館で暮らしている。


「はあ…。本当に大丈夫なんですかね…」
中庭に面した窓からは、鮮やかな紅葉が覗く広々とした明るい個室。
大きなテーブルに、壁づたいにずらりと並ぶ本棚は、さながら図書館のような雰囲気もある。
渡された書類に目を通し、あかねはため息混じりに頼り無さげな表情を見せた。
「特に難しいことではないよ。いつものような、お祈りを捧げるつもりで構わないのだから」
「うーん…。でも、責任重大ですよ。国交行事みたいなものですし、それを私ひとりでやらなきゃいけないんですもん」
あかねが不安視しているのは、先日国王から与えられた使命のことだ。
古くから国交のある某国で、ひと月前に待望の皇太子が誕生した。
だが、ここ何代か身体の弱い王族が続いており、病を発する者が数多く存在する。
幸い命に危険があるまでの病に侵された者はいないのだが、そのような経緯がある分、皇太子の健康に皆が神経を尖らせていた。
皇太子は、いずれ国王となる身。
少しでも病に縁のない強い身体であるように、上級巫女から神の思し召しを頂きたい-------と、直々にあちらの国王から文が届いたのである。

「"神の思し召し"って…そんなこと出来るのかな…」
上級巫女となって一年が過ぎ、あらゆる儀式や日常にも慣れて来た。
けれど、こんな風に他人から聖人のように扱われると、今でもぎこちなくなる。
町で暮らしていた時と全然変わらないのに、まるで神様のように崇められて、敬われたりして。
そんな神々しい人間じゃないのに、とぽつりとこぼすこともたまにある。
ただひとり、心を許せる人の前だけで。

彼女が戸惑いを見せるとき、彼はいつもこう応える。
「そんな風に、常に市井の者と同じ目を忘れない心が、君が上級巫女として相応しいところなのだよ」
神聖なる立場に置いても、生まれ育った世界を忘れずにいる。
見下ろす目ではなく、同じ位置からの目。
手を伸ばせば届きそうなほど、すぐそばにいるのだと思わせる安心感。
彼女の小さな身体には、広く豊かな愛情が溢れている。
「君が心から望めば、神はきっと力を通わせてくれるはずだよ。君なら、必ずそれが出来る。自信を持ちなさい」
お世辞でもなく、嘘でもない。
心からそう感じる…彼女を見つめていると、そう思う。

大きな柱時計の針が午後3時を差し、みっつのベルを鳴らす。
「さて、ひと休みにしようか」
友雅は立ち上がると、窓の方へと歩み出す。
開いた窓の外はオープンテラス。
ガーデンテーブルの上には、焼き菓子とティーセットが用意されていた。
中庭を通路で挟んだ向こう側は、厨房と大広間のある棟。休憩時間を見計らい、メイドがお茶の支度を整えておいてくれる。
「あ、私がお茶入れますね」
テラスに出て来たあかねが、手際良くお茶の用意を始める。
「上級巫女殿が入れてくれたお茶なんて、ご利益が高そうだ」
特別高級な茶葉なわけでもなく、本格的なお茶の入れ方というわけでもない。
普通に誰もがやっていることなのだが、その味はどこかまろやかで、身体の中にしっとりと染み入る。
入れてくれた人の心が、お茶にも流れ込んでいるのだろうか。
それとも、彼女に対する想いが、そう感じさせるのか。

秋が深まり、テラスでのティータイムも肌寒さを感じるときがある。
けれど彼女と向かい合っていると、いつも春の気配に包まれているかのような気持ちになる。


+++++


数日後、あかね達は久しぶりに宮中の外に出た。
一泊程度で帰宅出来る距離なら、月に数回友雅と二人で視察に出ているが、数日をかけて遠出するのは龍胱山への旅以来。
そして、二人きりではない外出も久しぶりだ。
今回は友雅の他に、頼久と天真が護衛として同行している。
騎士団長と護衛官が揃って国を空けるのは異例だが、今回は公式訪問であるため王の指示である。
以前の旅とは違い、交通手段が整った道を行く旅。
十分に安全な陸路を確保しているとはいえ、念には念をとの考慮での四人旅。
「何だか、あの時の旅を思い出しちゃうね」
「あん時とは桁違いだろ。極楽すぎて緊張するわ俺」
目的地に続く長い線路の上を走る列車の中から、外を眺めるあかねに天真が言う。
王室専用車両なんて護衛官や騎士団クラスが乗れる車両ではないし、乗れたとしても車両外で警備に当たるくらい。
「滅多にないことなのだから、君らもこの機会を楽しめば良いじゃないか」
暢気に友雅も言うけれど、マホガニーのテーブルに地産のワインとスモークチーズだなんて…やっぱり従者にとっては心が慣れない。

到着したのは、その日の夕刻。
国賓専用の駅は宮殿内に繋がっており、車両を降りると王族一同が揃ってあかねたちを出迎えた。
「お待ちしておりました。ようこそ我が国へ」
「あ、あ…はじめまして…」
深々と頭を垂れる王族たちに、思わずあかねは困惑した。
これまで何度か来賓客に挨拶したことはあったが、必ず現皇太子妃や国王がバックにいてくれた。
あくまで王族同士の挨拶のあとで、言葉を交わすというのがあかねの立ち位置であったのだ。
しかし今回は、他国の王族と自分との会話である。
そう思うと急に緊張が蘇り、どことなく手足が硬直してきて……。

「この度はお招き頂きまして、有り難うございます。国王直々のお出迎え、心から感謝致します」
あかねの背中を支えるようにして、友雅が一歩前に出た。
「短い間ではありますが、皆様へのおもてなしをご用意致しております。どうぞご滞在期間は、ゆっくりとお楽しみ下さい」
手を差し伸べられ、あかねはその手を取った。その後、友雅や頼久たちと次々に握手が交わされる。
きらびやかだけれど、上品な雰囲気の王族。身のこなしも衣服も、華やかな感じがする。
自国の王は落ち着いた品の良さを好むタイプなので、この国の文化はあかねにとって新鮮だ。
しいていえば、絵本や童話みたいな世界。
王子様やお姫様が登場する、物語の中でしか存在しないような景色。
宮中に召し上げられ、上級巫女として神と近く通じる立場になった自分も、童話のような話ではあるけれど。
きょろきょろしたいのを我慢しつつ、あかねはそんなことを考えながら宮殿へと案内された。



***********

Megumi,Ka

suga