君薫る風を待つ

 002
その日の朝早く、王宮内は慌ただしかった。
久しぶりの王の渡航であるため、準備に追われていたからである。
王宮内部敷地に住む者たちが、王の一団の出発を見送ろうと沿道にずらりと並び、宮殿前では王族一同と役人関係者すべてが、見送りにやって来ていた。
「では、留守の間はそなたに任せる。心して努めてくれ」
「承知致しました、父上。お帰りをお待ちしております」
「道中、お気をつけて下さいませ」
皇太子夫婦が王に深々を頭を下げる隣で、あかねもまた同じように頭を下げる。
王の背後には、いつものモスグリーンのマントに身を包んだ友雅が立っていた。
「友雅、あかねのことは私に任せて。たった三日間ですもの、代役はきちんと私たちが努めるわ」
「殿下のお言葉が何より心強いことです。どうぞ、よろしくお願い致します」
彼女に深く礼をして、あかねの肩をそっと叩いた。
二人きりの時のように、抱きしめてやることはここでは出来ないから、せめてそんな仕草だけでも。

「王のご出発!」
護衛の騎士の声が響き、馬車がゆっくりと進み出した。
王宮を出て、沿道の声援に包まれながら、どんどん遠ざかる光景をあかねはぼうっと眺めていた。
「あかね、これからしばらくは、私が"護る者"よ」
「あ、はい!頑張ります!」
声を掛けられて、急にしゃきっと背筋が伸びた。
そんなあかねを見て、くすっと声を上げて彼女が笑った。
「今更そうかしこまらなくても良いのよ。いつも通りに頑張って。ただ……」
……ただ?
「友雅の代わりとはいえ、一緒に眠ることは出来ないけど」
「でっ、でっ、殿下っ!!」
薄々皆には感づかれているが、こうして面と向かって言われると未だに照れる。
上級巫女と護る者との恋は、一切咎められることはない。
上級巫女が彼を心から求めるのならば、恋愛は普通の男女と同じように許される。
だから、今こうして二人は共にいる。


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王が出発したあとは、昨日と同じことが今日も執り行われる。
聖服に着替え、あかねは一人で祈祷室へと入る。
昼食までの時間を、彼女はここで過ごす。
光の入らない、大理石で覆われた半地下の祈祷室には、ラベンダーの香りのキャンドルが灯されていた。
室内を照らす明かりはそれひとつ。
宮殿内部はハイポコーストが取り込まれているため、室内の温度は適温に保たれてい寒さは伝わらない。

1時間祈祷を続けると、祭壇に置かれた龍の像に気が宿る。
『…何だ、しばらくそなたの護るべき者は、王宮を留守にしているのか』
「はい。王様のお付き添いで、三日ほどお出かけなんです」
『ふむ…そういう例は、今まで聞いたことがないがな』
「友雅さんは元々、王様の側近ですから。長い間付き添われているので、信頼されているんです」
『あの男が、か。あまり誉められた素行をしていたようには、思えぬがな』
…とか、砕けた雑談が続く。
祈祷と言っても、龍からのお告げと言っても、そうかしこまったものではない。
神の使いである彼と交流し、親睦を深めるようなもので。
世界の平穏に支障があるなど問題が起こった時以外は、常にこんな調子の会話ばかりである。
だから、割と突っ込んだ内容まで話題にのぼる事もある。

『しかしそうなると、そなたも夜はさぞかし寂しいだろう』
ほら、こんな調子で。
加護を受ける立場の上級巫女としては、少なからず彼に日常の様子を知られてしまうのだ。
『自分の部屋があるくせに、最近の寝床はそなたのベッドだろうに。毎晩一度部屋に戻ったかと思えば、寝るためにそなたの部屋に移動してな』
「そういう話は、あまり口にしないで下さいっ」
声に出しているわけじゃないが、あかねにだけは声のように聞こえる。
龍の声は、上級巫女にしか聞こえない特殊な波長みたいなものである。

『まあ、そなたたちの関係を咎めはせぬ。彼がそばにいることで、そなたも快く励むことが出来ておるのだしな』
今回は特別な事例ではあったが、普段から友雅が"護るべき者"としてあかねに寄り添っていることは、しっかりと確認できている。
男女の関係や感情は別ものであるが、日中こうして彼女が上級巫女の完成系に向かうために、必要なことは彼がわずかな漏れもなくサポートしている。
毎日彼がその努めを怠らないからこそ、あかねもまたスムーズに自分の役目に専念出来るのだ。
『コンビネーションが出来ている。その点は、私だけではなく神も感心している』
「ホントですか?うん、そうです…友雅さんがいろいろ用意してくれてるから、私もちゃんと迷わず取り組めてます」
それは昔からのこと、ずっと今もそう。
候補として王宮に連れて来られた時から、彼はそばにいてくれて、自分が難なく目の前のことに集中できるよう、周囲を整えてくれていた。
一日の仕事が終えたあと、一緒に夕食を摂って。
そのあとは自由行動になるのだが、彼が部屋に戻るのはいつもあかねより1時間くらい遅い。
明日のための資料や書類、関わるものについて手はずを整えたり。
雑用とも言えることを、あかねが見ていないところで進めてくれている。
常にひとつ前で、手を引いてくれるように。

「だから、友雅さんのおかげなんですよ。私がこうして頑張れるの。ホントに感謝してるんです」
『そなたが言うと、感謝の言葉も惚気に聞こえるな』
ひやかすように彼は言ったが、そんなあかねの様子を見ているのも悪い気分ではなかった。
生きるもの、生きるものが存在するこの世界の、いわば代表とも言える彼女が笑顔でいることの大切さ。
例え困難なことがあっても、その笑顔が前向きになる力を持っていること。
前向きであれば、困難を乗り切る知恵を働かせることができる。
笑顔ひとつが、良い方向へと連鎖反応を起こして行く。
『三日間、友雅がいなくても気を緩めぬようにな』
「当たり前です。しっかりしないと、友雅さんにまで迷惑かけちゃいますから、ちゃんといつものように頑張りますよ!」
シルク仕立ての聖服のエレガントなイメージとは反対に、細い二の腕をぐっと折り曲げて、あかねはポーズを取ってみせる。
彼が帰って来ても、力を抜いてなかったんだと感心してもらえるように。
自分のためでもあるけれど、自分を支えてくれる彼の為にも努力は惜しまずに頑張ろう。
あかねは改めて、心をきゅっと引き締めた。



-------------某国。宮殿内西の棟。
無事に到着した一陣は、穏やかな歓迎を受けて来賓室へと案内された。
「初めて訪れるが、ここは気候も温暖で良いな」
「初めてでございますか。てっきり前王がご在位されていた頃、いらっしゃったことがあったのかと」
「いや、私が幼いうちにこの国は、他国との国交を閉じてしまったからな。一歩タイミングが悪く、機会を失ってしまっていたのだ」
この国は龍京から見て、地理的に東南の場所に位置する。
やや南寄りにあるせいだろうか、年中通してそれほど気温の差はないようで、適温と感じられる心地良い暖かさを保っていた。

「景色も緑が多く美しいし、この室内の誂えもどうだ。見事な装飾ではないか」
殆どの建物や家財道具は木で作られているが、細やかな彫刻などもあしらわれ、丁寧に磨かれていて艶も良い。
これらの材料もすべて自国で賄っており、すべてが国内で循環されているために、国交がなくとも豊かな国と名高かった。
「これまで国交というと、領土や資源の奪い合いが多かったからな。ここまでこぎ着けるのは、時間が必要だった」
世界の国に目をやれば、やれ侵略だ強奪だと争いごとばかりを繰り返す。
隣り合った近い国同士が、そんなくだらないことで被害だけを拡大していく。
「無意味なことだ。本来であれば、助け合うことが繁栄に繋がるというのにな」
光り輝く広い湖を見ながら、王はつぶやくようにそう言った。



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Megumi,Ka

suga