君薫る風を待つ

 001
きまりごとはそれなりに継続されて行くものだが、その反面で塗り替えられて行くものでもある。
何年、何代に渡って行われて来たことは、いつのまにか当然のこととして伝えられている。
しかし、彼女の時代になってから、世界は少しずつ新しい変化を見せ始めていた。

「これまで、そのような事例はなかったのですが…」
「仕方あるまい。国交間もない先方との会議である故、他に代役がおらぬ」
王宮の東にある広間は、王族のプライベートリビングになっている。
象牙と大理石で造られてはいるが、フラスコにある高い天窓から一日中日差しが降り注ぎ、冷たさは一切感じられない。
王室専用の農園で栽培された、ハーブを配合した紅茶がカップに香る。
それらを味わいながら、王、王妃、皇太子、皇太子妃の四人が話を続けていた。
「私も、友雅を連れて行くのは本意ではない。だが、仕方ないのだ」
「ですがその三日間、あかねは一人になってしまいます」
「分かっておる。だが…こういうデリケートな現状の国交会議に、友雅の腕が必要なのだ。分かるだろう、皆も」
その言葉を聞くと、誰もが口を閉ざす。
長い間、王の側近として役目を果たして来た友雅が、これまでどのような実績を得て来たのか、王族の者であれば知らない者は居ない。
軍師とか策士とか、はっきりとした指針を立てるわけではないが、相手の趣旨と本音を見抜く力に長けている。
五感以外の特殊なものではなく、人一倍カンと洞察力に優れている。
向こうに気付かれぬよう、自然に滞り無く事を進めることが出来るのだ、彼がそこにいれば。

「留守にする間は、くれぐれもあかねの安全だけは強固に保って欲しい。」
「ええ、承知致しております。そうでもしないと、彼もお役目に集中出来そうにありませんもの」
王に言われて、皇太子妃であり、元上級巫女であった彼女は深くうなづいた。


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まさか、こういう話がやって来るとは思わなかった。
上級巫女を護るべき者は、常にどんな時でも彼女の側を離れずにいること……と、そう教えられて来た。
どんなに遡っても、例外は見当たらない。
だから自分も、彼女のそばにずっと居るのが当然だ、と思っていた。
「それが、三日間も別行動を命ぜられるとはねえ…」
謁見の間からの帰り道。
既にとっぷりと闇に包まれた廊下に、月明かりが射し込んでいる。
今宵は、ほぼ満月に近い。いつもよりずっと、明るい夜だ。

一日の役目を終えたあと、明日の予定を確認したりしていると、当然彼女より仕事の上がりが遅くなってしまう。
彼女の部屋の向かいにある、自分の部屋のドアを開けた。
殺風景なインテリア。適当に置かれた書類や書籍の山。
この部屋ではそれくらいが、生活感を思わせるものだ。
でも、彼にはこんな自分の部屋よりも、ずっと落ち着く場所が他にある。
仕事に必要なものは、鍵つきのクローゼットに放り込んで、謁見用のマントもそのまま押し込む。
やっと身軽になった。
そう感じた友雅は再び部屋を出ると-------向いの部屋のドアを叩いた。


「あ、おかえりなさい」
ドアを開いたとたんに、彼女がそう言って笑顔を作る。
「"おかえり"と出迎えてくれるなんて、まるで夫婦になった気分だね」
と友雅が言うと、恥ずかしそうにあかねは顔を逸らす。
そんなことをされれば、抱き寄せたくなってしまうのに。
両手を伸ばし、細い身体を強く抱きしめると、しばらく彼女が睡魔に襲われぬよう、少し甘めの口づけをした。

「んと…今夜の陛下とのお話、長かったですね」
「ああ、ちょっと残念なお達しがあってね…」
彼女に隠すわけにはいかない。
あかねを護る者でありながら、引き続きともまさには王の側近の役目が宛てがわれている。
どちらを優先するべきかと問われたら、代わりのいないあかねの方を優先するが、状況でそれらは変則的になる。
「あのね、実は明後日から…陛下の渡航に同行しなくてはならなくなったんだよ」
「渡航…?」
「そう。しかも三日間ほど」
三日間と言われて、あかねは改めてその時間を考えた。
王に付き添って出掛けるということは、この王宮を彼が離れるということ。
その間、自分は一人になる。
一人になると言っても実際はそうじゃないし、たくさんの女中もいれば友達と言える者も大勢いる。
「私のいない間は、皇太子殿下が君をサポートして下さる。だから、何も心配はいらないよ」
「…あ、はい。分かりました。その間も、ちゃんとお役目を努めます」
上級巫女に成り立てで、まだまだ学ぶことは山ほど。
ゆっくりと時間を掛けて、一年後に心身のすべてが龍の加護で満たされる時まで、あかねには見習い修行的なことが続く。
これまでの三年間とは違う、本格的な取り組み故に甘えは許されない。
しっかりと自分の担う重要性を忘れず、始まったばかりの道を歩き続けなくては。

「あかね殿」
友雅の指が、あかねの手のひらにそっと触れた。
顔を上げると、彼がこちらを見下ろしている。
どこか…艶やかな眼差しをして。
「努力家で頑張りやなのは、君が上級巫女として相応しいところだよ。でもね…」
指先は、彼女の唇をつんと弾く。
「もうこの時間は、君は上級巫女の役目を終えているのだし。私も君も、ただの男と女であるのを思い出して欲しいね」
ぷるぷるとふくよかな唇を、悪戯するように何度も弾いて。
見つめる視線から避けられぬよう、顎をつまんで胸の中にもう一度閉じこめて。
「こんなに月の綺麗な夜に、仕事のことを考えるなんて…野暮だよ?」
まだ明るいから、眠るには早過ぎる。
少しくらい遅くても良いから、この夜を二人でゆっくりと……。

「きゃ…」
あかねの身体が、ふわりと浮き上がる。
彼の腕に抱き上げられて、月明かりが射し込む天窓の下のベッドの上へ。
「やっぱりこの場所は、君の美しさが一番映えるね」
優しく青白い月明かり。
天蓋のレースのカーテンは取り払って、そのまま光を全身に浴びながら、浮き上がるのは彼女の輝き。

窓辺に置かれた白磁の花瓶に、山のような白百合と白薔薇が飾られていた。
優雅で甘い香りは、部屋を包み込んで眠りを誘う。
けれど、口づけを交わしてしまった今は、もうどうやったって眠れない。



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Megumi,Ka

suga