常夏ロマンス

 003
口づけの力は、計り知れないと思う。
唇を重ねるだけの行為なのに、どんどん心の箍が外れて行くのが実感出来る。
続けているといつのまにか、本能を隠しきれなくなってしまって。
いや…それは、恋のせいか?
「あかね、場所を移そう。ここじゃ人の目が気になって、先に進めない」
「えっ…?」
ふわりと浮き上がった身体は、友雅の腕に抱きかかえられている。
御帳台から出て、高欄から庭へと下りる。
足早に入口に向かって…ではなく、彼の足は裏口の方へ。
「友雅さん?ど、どこに行くんですか?」
「こっそりと、確実に浚って逃げられる秘密の裏道」
秘密の裏口?そんなものが土御門家にあったのか?と思っていると、薄暗い廊下からかすかに手を振る誰かの姿。
どんどん近付いて行くと、それはあかねの世話をしている女房の一人だった。
「お二人とも、どうぞお気の済むまでごゆっくり」
「恩に着るよ」
もしかして、彼女にはすべてお見通し?
というか、あかねだけがまったく分からないまま、友雅は外に停めていた車に彼女を乗せた。



薄暗い夜道を辿り、やって来たのは見覚えのある屋敷と、出迎えてくれた顔なじみの女性。
「おかえりなさいませ、殿、奥方様」
あかねのことを"奥方様"と呼ぶのは、彼女にとってあかねが女主人であるからだ。
四条、橘友雅邸。
そしてここは、本来ならあかねの住む屋敷でもあるはず…なので。
「支度は済んでいるかい?」
「はい、滞り無く。朝までごゆっくりお過ごしくださいませ」
朝まで…ということは、まさかの今夜はお泊まり?
しかも藤姫に無断で…つまり無断外泊!?
「大丈夫大丈夫。それもすべて手配済みだから」
「は!?手配済みってっ!?」
訳が分からないあかねを抱きかかえ、彼は離れの部屋へと向かう。
二人しか使えない、特別の部屋へ。


予想どおり、二人分の床が用意されている。
あかねのための寝間着も、きちんと折り畳んでそこにあった。
「どうしたんですか?急にこんなことして…」
やっと二人きりになったので、あかねは改めて友雅に尋ねた。
いきなりやって来て、驚かせるのは彼の得意技だけれど、真夜中に屋敷に連れて来てしまうなんて。
「会いたくてたまらなかったから、って言ったよね。それだけだよ」
「それだけって…」
そう、それだけ。それ以外の理由は無い。
友雅の指先が、頬に触れる。
「会いたいと思ってはいけないかい?それを我慢するのが、どれほど苦しいか…あかねは分からない?」

きっかけや発端はたくさんある。
例えば今日は、彼女が届けてくれたシロップだ。
ここに留まって欲しかったのは、このシロップではなく作ってくれた彼女だった。
だから、彼女の事が頭から離れられなくなった。
「いつもいつも、そんなことばかりだ。花を見ても月を見ても、あかねのことを思い出す。そうしたら、心が止められなくなる」
この花をあかねの髪に飾れば、きっと綺麗だろう。
月の輝きを見上げれば、自分の姫君を思い出す。
「思い始まったら…止められないものだよ。情熱というのは、そういうものなのだろう?」
絡める指先は、二人の心。
繋ぎ合い、解きたくない気持ちを代弁している。
「あかねにも、そんな風に私を思ってもらえたら嬉しいね」
「そ、それなら私だって…っ」

顔を上げて、真正面から見つめ合って、顔がかあっと赤くなった。
------------私だって、同じように思ってた。
会えないときも、そこに彼がいないときも、彼に見せたい、食べさせてみたい。
そんな風に思いながら、あのシロップだって作って、わざわざ届けたのだ。
「氷に掛けて食べたら美味しかったから、友雅さんにもって」
「食べさせてみたくて、持って来てくれたんだろう」
…こくん、とあかねは首を縦に振る。

「君のやることは、毎回毎回私の情熱を呼び起こすよ。おかげで身が持たない」
ずしりと覆い重なる体重と陰が、あかねを床の上に横たわらせる。
「困ったねえ。仕事が出来るだけの力を残せるかな?」
「ええっ?だ、だめですよ!お仕事をお休みなんかしちゃ!」
がばっと起き上がろうとしたあかねだが、友雅の力を払い除けられるわけもない。
だが、それでも必死に身体を起こす。
「まあ、いざとなれば物忌みとかで誤摩化せるけど」
「だめ!それは絶対にダメです!ちゃんとお勤めはこなさないと、また……」
「…また?」
あ、つい口が滑った…。
昼間のことを思い出してしまって。
「さ、隠さず言ってごらん。怒ったりしないから」
戸惑う彼女の表情で、何か自分に対して気まずいことがあったのだろう、と彼は察した。
そんなもの抱いていても、もやもやするばかりだ。


「ふふ、なるほどねえ。まあ、そう思われても仕方ないかな、あの二人には」
「笑い事じゃないですよ!私、必死でそんなことないって言ったんですけど…」
笑っては申し訳ないのだが、その姿が思い浮かんでしまって、つい顔が綻ぶ。
自分が言われたわけじゃないのに、ムキになって。
神子の頃から、それはずっと変わらない。
「うん、でも…あの頃より特別な意味で、ムキになってくれていると嬉しいかな」
「え?どういうことですか?」
例えば…自分と一心同体の人をバカにされたくないから、とかね。
愛する人を蔑まれたくないから、と君がそういう気持ちで私をかばってくれているなら。
…ダメだな。もうそろそろ、本気で止められなくなって来た。
考えれば考えるほど、沸き上がるだけの情熱は溢れてしまって、抑えられない。


「明日、うちにも氷が届くらしい。あかねと一緒に、あの野いちごの汁で食べてみたいと思ったのだけど」
身体を冷やし、涼を与えてくれる削り氷。
夏には欠かせないひとときの楽しみでもあるが…。
「あかねと一緒では、すぐに溶けてしまいそうだな」
甘酸っぱい野いちごの味は、君の唇の味によく似ている。
口づけを思い出したら…心も身体を冷やすことなんて出来ない。


けど。
恋を味わうのならば、涼しさなんていらない。
この気持ちだけは永遠に、猛暑続きの夏のままで良い。





-----THE END-----




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Megumi,Ka

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