夢の終わりに

 007
「友雅殿っ!どうなされたのですか、そんなお姿で…お風邪を召しますわ!」
そんな藤姫の声も、彼には聞こえていなかった。
ただ、そこにいる彼女の姿だけを見つめて。
それだけが、彼にとっての現実であったから。
「ともかく…お待ち下さいませ。何か…探して参りますので…!」
そう言って藤姫は、慌てて部屋を後にした。

「…友雅さん…どうしてそんなに濡れてるんですか?車じゃないんですか?」
何て答えようか。
一刻も早く君に会いたくて、無心に馬を走らせたのだと言ったら…いつものように彼女は恥ずかしそうに交わすだろうか。
それとも正直に打ち明けようか。
君をさらいに来ると、約束したのだから---と。

「こ、これ…。これでせめて髪だけでも拭いてください!ホントに風邪ひいちゃいますから…」
あかねはとっさに、近くにあった衣をつかんで友雅に手渡した。
絹よりも艶やかさがあり、細かい糸で織られた軽い衣。
見覚えのある色……確かにあの時、彼女が身に着けていた羽衣に間違いない。
「この衣は…?どこかの公達からの貢ぎ物かい?」
「そういうわけじゃないんです…けど。目が覚めたら、こんなものがいっぱいここにあって…」
改めて見ると、友雅にとっては見たことのあるものばかりだった。
宴の席で用意されていた菓子や、婚礼衣装として彼女が来ていた装束。
二人だけが知っているはずの…天界の夢。
しかし、あれは友雅自身の夢に過ぎなかったのではないのか…。

「おかしな夢を見ちゃったからかな…」
彼女に手渡された衣を見つめていた友雅は、あかねのつぶやきに顔を上げた。
「夢…を見たのかい?おかしな…というのは、どんな夢だったんだい?」
「え?いえ、その…ちょっと…あまり人には言えないような、変な夢ですよっ」
あかねはそう誤魔化すように答えながら、ほんの少しだけ頬を染めて笑った。


「私も……おかしな夢を見たんだよ。普通だったら、目が覚めれば忘れているはずなのに、何故かあまりに鮮明に覚えていてね…」
友雅は髪を拭くこともなく、その手に衣を握りしめたまま静かに瞼を閉じた。
こうしていれば、すぐにでも映像が思い浮かぶ。二人で歩いた、天界の春の景色。
「楽園のような場所に、私は君と二人でいるんだ。そこで……私たちは神に祝福されて結ばれるんだよ。」
天女たちに着飾らせてもらった彼女を、この手に取って抱きしめて愛を誓って。
ずっとこれからも一緒にいられると、そんな展開に幸せを感じたりしたのだ。

「ふっ…悪かったね、いくら私の夢の中とはいえ、君を勝手に娶ったりして。」
言おうとしても言えなかったことが、あんな形で夢に見るようになるなんて…。
そこまで深く、彼女を思い焦がれていたのか、と自分の気持ちにも驚かされた。


「友雅さ…ん…、その夢の続きは…あるんですか?」
「ん?別にたいしたことはないよ。でも、きちんと最後までまとまった夢だったけどね。」
目覚める瞬間まで覚えている。
夢浮橋を渡り終えて、二人一緒に飛び降りた瞬間に、それまで握っていた彼女の手のぬくもりは消えて-------一人、天井を眺めていた。

「あの…もし良かったら、その続きを話してくれませんか…」
何故かあかねは、夢の話を聞きたがった。
他愛のない自分の妄想みたいな物語であるのに、それを聞かせてくれと言う。
「…そのあとは、まあ一緒にあちこちを歩いたりしていて…ああ、そこで一人の老人と出会ったんだ。」
彼もまた祝福をしてくれて、茶や菓子をもてなしてもらったりして。
「その老人に、ここでずっと暮らさないかと言われてね。正直、心が揺らいだよ。そこはまるで、私が憧れていた桃源郷そのものだったからね。」
争いも無く美しいものだけに囲まれた、穏やかな世界で彼女と二人で。
そう思うと、今でも惜しかったかなと考えてしまう。

「でもね、そういうところは、天に召されたあとに行くところかな…と思ってね。今はまだ早いだろうと、彼の誘いを辞退したよ。」
そうしなければ、彼女が朽ち果てることになるかもしれない、と思ったから。
きらきらとした瞳は、閉じたままでは勿体無い。
息づく肌もまだ、朽ちるには早すぎる。
輝く彼女の時間を、そこで終わらせたくなかった……。


「でも、私はそのまま向こうに残っても…良いと思ったんです…」
友雅は顔を上げた。
だが、彼女はうつむいて、鮮やかな装束の袖をぎゅっと握りしめていた。
「天界なら…ずっと一緒にいられるかと思って…」
「……神子殿?」
「帰り道の途中で…我慢出来なくて泣きました…。一緒にいる場所が欲しいって…そう言って……」
あかねの肩に手を触れると、小さな震えが伝わって来た。
別れ際に抱きしめたときと同じような、小刻みの震え。

「………君も覚えていたのかい?」
あれは自分の願望を表した夢。彼女には関係ないことだと思っていた。
それなのに、これはどういうことなんだ…?

するとあかねは、床に掛かる衣の下から、小さな箱をそっと取り出した。
白い八角形の小箱…。
それは間違いなく、友雅が夢から持ち帰ったあの小箱と同じもの。
「帰る支度をしていたとき、南斗様が…くれたんです。」

------この箱の中には、あなたの夢が詰まっています。
今見ているこの世界は、すべてあなたの心にある想いが形になったもの。あなたの心にある真実です。
これを持ち帰りなさい。そしてこの真実をどうするか…考えなさい。

「だから、その…友雅さんを夢の中に巻き込んだのは、私のせいなんです…」
そう言ってあかねは、小箱を開いてみせた。
中身はからっぽ。小石の欠片ひとつも入っていない。
まっさらな宝石箱そのものだ。
だが目に見えないけれど、その中には大切なものが入っている。
それは…心の中にある、本当に求めている"真実"。


「その小箱なら、私も枕元に置かれていたよ。」
「…え」
友雅はあかねのそばに行き、その手の中にある小箱に触れた。
「私も北斗様に同じようなことを言われて、これを持ち帰ったんだ。あの夢は、私の願望が生み出したものだと言われてね。」
引き止めて抱きしめたかったのは、自分の方。
一緒にここで生きて欲しいと思ったのは…泣きじゃくっていた彼女ではなく、本当は自分なのだ。

「君が京に留まってくれるには、どうすれば良いのか考えていたんだ。その中で考えたのは……君と二人で生きる道だった。」
思わずにはいられなかった。
それが一番の最良だと、真っ先に浮かんだのはそんな選択肢。
彼女が生きる居場所を、自分の隣に作ってしまえば…離れずに済むと信じてた。

「だけど、君がその小箱を持っていて、私と全く同じ夢を見ていたとしたら……どちらが真実なんだろうね?」
あの涙は誰のもの?彼女が流した涙か…それとも?
「…ああ、でもそんなことは、もうどうでもいいかな。君があの夢を覚えていてくれただけで、それだけで良いよ。」
そう言って友雅は、あかねの肩を抱き寄せて、その胸に彼女を閉じ込めた。
雨を吸い込んだ彼の衣は、触れると少しひんやりとしていたけれど、胸が熱くて火照った頬には丁度良くて。
甘くて深い残り香が、別れ際のあの瞬間を思い起こさせる。
離れたくなくて、衝動的に泣き出したこと。
ずっとあのままで、一緒にいたいと思って-------夢なんか醒めなくても良いと思ったけれど。

「約束を守りに来たんだよ。さらいに行くって…約束したよね?」
友雅はそう囁くと、抱きしめていたあかねの身体をふわりと抱き上げた。
まだ寝起きで着替えも済んでいない彼女だが、そんなことなど気に留めるものでもない。
「…いや、こういう時は"迎えに来た"…と言う方が良いかな。」
迎えに来たんだ。君の住む場所を用意して……そう君と約束をしたから。
その約束を忘れられなかったから、雨の中を君の元へと。

「………まだ、夢から醒めてない…んでしょうか、私…」
夢現つな表情で、あかねは友雅の胸に顔を寄せる。
触れる指先と、そこから感じる暖かさもぬくもりも、こんなにリアルなのに…。
ここは天界ではないはずなのに、あの時の彼がそのままここにいて、抱きしめて頬にキスをしてくれて。
夢の続き?あの橋を渡り損ねた?
まだ私は…自分の夢の中の幸せに閉じこもっているだけ?

雨の雫が落ちる音が、庭先から聞こえる。
そのすき間を縫うようにして、耳元で彼の声が囁く。
「これは…醒ます必要の無い夢だよ。ずっと永遠に続く……私たちだけの夢だ。」
一人では見られない夢。二人だから見られる夢。
それは夕べも、そして今も同じ。二人でひとつの夢を見続けている。

「行こうか。夢の続きを一緒に見よう。」
彼に抱き上げられて、あかねはその肩にしっかりとしがみつく。
別れたときの涙ではない、熱い想いが再び涙となって溢れ出す。
ずっと一緒に、これからも一緒に。


-------夢から目覚めたそのあとは、二度と醒めることのない夢を見る。

桃源郷で過ごした二人のように…ずっとこれからも。





-----THE END-----




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