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夢の終わりに
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| 005 |
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「え、もうお帰りになるんですか?まだまだご馳走も用意出来ますし、宮内にお二人のお部屋も用意しようと思っていたんですよ?」
「そのおもてなしは…正直心揺れるのですがね…。」
宮殿に戻ったとたん、京へ戻るつもりだと打ち明けた友雅に、南斗星君は少し驚いた様子を隠せなかった。
一緒にいるあかねの方は、まだこの天界を楽しみたい様子でもあるが、それよりも彼と離れるのが嫌だと言っているかのように、ずっと彼の腕にしがみついている。
「神子も、戻りたいですか?」
南斗星君は、あかねに尋ねた。
彼女は友雅の表情を確認してから、彼の腕に顔を寄せて答える。
「ここは…とても素敵なところですけど…。でも、友雅さんが戻るっていうなら、戻ります。」
「なるほどね。この天界に一人残るより、彼のそばにいられる同じ世界へ戻る方が良い…ということですね?」
あかねは顔を赤くして、静かにうなづいた。
「わかりました。そこまでおっしゃるなら、良いでしょう。着替えをご用意させますから、神子は衣裳部屋へお行きなさい。」
南斗星君が合図を示すと、天女たちが数人やって来た。婚礼衣裳の着付をしてくれた時と同じ、彼女たちだ。
「そうだ、せっかくですから手土産でも用意させましょ。兄上、しばらく友雅殿のお相手を頼みますよ。」
半ば役目を押し付ける様にして、南斗星君は慌ただしくその場を後にした。
テラスに残された北斗星君は、落ち着きの無い弟の様子に少し辟易しながらも、あの頃のように険しい眼差しは見えなかった。
手持ち無沙汰もあり、彼は友雅に酒を勧めた。
何度口にしても、この酒の味は想像を絶するものだ。
是非これも手土産に持たせて欲しいものだ、と図々しく思ってしまうほどに。
「何故そこまで帰りを急ぐ?そなた方の世界は、既に平穏を取り戻しているだろう。もう神子と八葉の役目は済んだのであろう?」
「ええ、おかげさまで何とか。天界のようにとは行きませんが、随分と穏やかになりましてね。」
神子であるあかねや、八葉である自分たちがあくせく動き回らずとも、自然に京は良い雰囲気へと進みつつある。
皆、自分の仕事に戻り、至って普通の日常が戻って来た。
だが、そんな日々の中でも、友雅には気になる事がひとつだけ残っていた。
「京に戻らず、天界に住まうならば…そなたは永久に神子と生きて行けるのだぞ」
北斗星君のその言葉に、友雅は寂し気に微笑んだ。
気にしていたのは、彼女の行く末。
京に生まれついた自分たちには、戻る場所がこの京にあった。
だけど、異界から堕ちて来た彼女には、戻れる場所がここにはない。
彼女が戻るのは---------遥か時空の彼方。手を伸ばしても、声を上げても届かない、目にも見えない……そんな世界。
一度その手を取り、想いを打ち明け合った。
もう二度と、離したくないと思った。ずっと一緒にいられれば良いと…思ったが、彼女を京に引き止める理由が見つからなかった。
元々は生きる場所が違う者同士。
それでも、強引と言われようと、どうにかして彼女の居場所を作りたかった。
「一度だけ…そんなことを考えたことがあったのを、先程思い出しました。」
はらりと舞う花びらが、盃の上に堕ちて来た。
小さな器の中で揺れるそれを、眺めながらあの時の事を思い出す。
………彼女の居場所がここにないのなら、作ってしまえば良いじゃないか。
ここで生きるための理由。それを自分が作れば良いのだ。
ただ一言……残りの人生を共に生きてくれ、と。
「何故、それを神子に告げなかった?恋仲なら遠慮する事ではないだろうが。」
「…そうなんですけれどね。意外と、その時になってみると尻込みしてしまいましてね…恥ずかしながら。」
余計なことばかり考えて、言い出せなかった。
もしも彼女が異界に戻る決心をしていたとしたら、この一言で決心を鈍らせてしまうのではないだろうか、とか。
または…急にそんなことを言っては、驚かれて逃げられてしまうかも、とか。
「我ながら情けない限りで。こんな小心者とは、自分でも思いませんでしたよ…」
苦笑いをして、友雅は天を仰いだ。
白い鳩が数羽、庭を通り抜けて行く。
「ふん…だからこそ、ここにそなたを呼んでやったのだぞ。」
空になった友雅の盃に、北斗星君が酒を注いだ。
「ええ、存じています。これは…夢ですね。ただし、あなたが以前見せたような、罠を仕掛けたタチの悪い夢ではありませんけれど。」
皮肉めいた言葉ではあったが、それに対して北斗星君は嫌な顔はしなかった。
もう、それは昔の事。お互いに、記憶にもなかったほど…遠い過去の事だ。
「良い夢を見せて頂きました。ですが…あくまでもこれは夢。いつかは醒めてしまう儚いものです。」
「醒めなくても良かろう。思い残すことなど、そなたにはないかと思ったがな。」
「私にはありませんが……そんな私の夢に、彼女を道連れにしてしまうのは酷というものですよ。」
彼女を求めていたのは、事実だ。
だがそれはすべて、自分の心の中に在るもの。
彼女が同じように思っているとは…限らない。
「分かった。ならばそなたに、これを授ける。持って帰るが良い。」
そう言うと、北斗星君は円卓の上に置かれている小さな箱を、友雅へ差し出した。
両手で抱える程度の、それほど大きくはない箱。重さは、とても軽い。
彼に促されて友雅は蓋を開けると……その中にあったものは、花模様の掘り細工が細やかな八角形の白い小箱。
「そなたの夢が、その中に閉じ込められてある。持って行くが良い。」
"罠など仕掛けてはおらぬぞ"と念を押されて、友雅は思わず声を上げて笑った。
「お名残惜しいですけれどね、再びあなた方に御会い出来て嬉しかったですよ。」
「いろいろ有り難うございました、南斗様、北斗様。こんなにたくさんお土産も頂いちゃって…」
「いえいえ。だってお二人の婚儀のお祝いだったんですから。みんなあなた方が持って帰っちゃって良いんですよ。」
とは言うが、友雅にも荷物持ちをしてもらっても、結局持ち出せたのは半分以下だ。どれだけの豪華な宴だったのか、改めて驚くばかりだ。
「夢だとは言え、素晴らしいひと時を楽しませて頂きました。…お二人には感謝致しますよ。」
友雅はあかねの背中をそっと引き寄せて、橋の袂に佇む両星君に礼を言った。
彼らはそんな二人の姿を見上げて、いつまでも優しく微笑み続けている。
「またいつか機会があれば……二人でここへいらっしゃい。私たちはいつでも歓迎致しますから。」
いつか…何もかも必要ないほど、無になれる時がやって来たときは…。
二人でまたここにやって来られたら。
当ての無い夢を抱きながら、友雅はあかねの手を引いて、ゆっくりと橋の上へと昇り始めた。
会話もなく、静かに二人は手をつないだまま、橋の上を歩き続けた。
五色の彩雲が辺りを包み、時折振り返って眼下を見ようとしたが、もう雲に隠れて何も見えない。
鳥のさえずりもいつしか消えて、まぶしい太陽の光だけが煌煌と目の前を照らしている。
「友雅さんっ…!」
急にあかねの足がぴたりと止まり、友雅の歩みを引き止めた。
「どうしたんだい神子殿。少し歩き疲れたかい?」
立ち止まった友雅は、彼女の方を向こうと振り返ろうとした…時、急にその小さな身体が、彼の腕の中に飛び込んで来た。
彼女の腕は懸命に、しがみつくようにして友雅の胸の中にある。
「まだ…南斗様たちのところに…今なら戻れます…よね」
あかねは、たどたどしくそう切り出した。
「どうしても…京に帰らないといけないんですか?」
「私たちが暮らす場所は、向こうだからね。」
神のいる場所に居住するなんて、よく考えてみれば、まだ少し早すぎる。
すると、彼女の手が力強く友雅の腕を握った。
「でも……っ、私には向こうにも居場所がないんです!」
そう言いながら顔を上げて、向かい合ったその瞳を見た瞬間…彼は言葉を失った。
潤んだ瞳の奥から、涙の雫は止めどなく溢れ続けていた。
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