夢の終わりに

 002
白い橋が空の中から長く長く続いていて、それらは空と地をつなぐように、果てしなく伸びている。
雲がけぶる中腹で、あかねは立ち尽くしていた。

「ちょっと待って…。私…眠ったはずだよね…?」
横になって眠りに着いたところまでは、ちゃんと覚えている。
寝着にも着替えたはず…なのに、いつもの水干を身に付けているとは、どういうことだ?
そして、この世界。
花が咲き乱れ、暖かくて澄み切った空と白い雲が浮かぶ、美しい世界。
京じゃない。まるでこれは天国-----天空にある神が住む天界……。

「………天界!?」
あかねは咄嗟に、きょろきょろと辺りを見渡した。
どことなく見覚えのある景色。荘厳な宮殿や高い塔。
「思い出したっ……ここは……」
そう、ここは間違いなく天界。
北と南の神が司る-----夢の先にある天の世界だ。
「そうだ、私…この世界で、別世界の神子や八葉と出会って、北斗様と戦って…」
あの時の記憶が、波の様に押し寄せて来た。
克明に思い出されて来る。鮮明に、あの時のことが浮かんで来る。
こんなにはっきり覚えているというのに、何故今の今まで、何一つ思い出なかったんだろう…。

「神子殿?」
背後から、あかねを呼ぶ声がした。
振り返ったそこにいたのは……夢でも良いから会いたかった、その人。
「…友雅さん!ど、どうして…ここに…いるんですか!?」
「どうして、と言われてもねえ…。私の方が聞きたいんだが…。」
あかねは周囲を見渡してみた。しかし、彼の後ろにも周りを見ても、他には誰一人姿が見えない。
少なくともこの橋の上には、あかねと友雅の二人しかいなかった。
「誰も…いないんですよね。まさか、またどこかに捕われてるとかじゃ…!」
「神子殿、落ち着きなさい。それはないよ。北斗様は京が荒れていることで、あのように私たちを捕らえて利用しようとしたのだから。今のように平穏な京に戻ったとなれば、彼がそんなことを企てる理由はない。」
それに、こうして階下の景色を望む限り、天界が再び混沌としている様子は見られない。
まさに名前通りの、天国に近い優美な景色が広がっているだけだ。

「最初から、他の八葉たちはいないのかもしれないよ。」
「えっ?それじゃ、私と友雅さんだけってことですか?」
歌うような声でさえずる小鳥が、二人を歓迎するかのように飛び回る。
真っ白な綿毛にも似た羽が、雪のように宙に舞った。

『いらっしゃい、神子。お久しぶりですね、会いたかったですよ。』
ぱたぱたと羽をはためかせた白い鳥が、すうっと降りて来てあかねの肩に止まると、急に人の声で話し始めた。
だが、その声にはあかねも友雅も聞き覚えがあった。
「もしかして…南斗様ですか!?」
『ああ良かった。忘れられていたら、どうしようかと思いましたよ。せっかくもう一度あなたをお招き出来ると思っていたのに、"あなた、どちら様?"なんて言われたら、立ち直れませんでしたからねえ』
あかねの肩からその鳥は腕へと移動して、薄いレモン色の小さなくちばしで、軽快に話し始めた。

「…ええと…南斗様?もしかして、私がここに来たのは…南斗様が呼んで下さったからなんですか?」
『おや、やっぱり覚えていないんですか?お別れする時に約束したのに。』
別れる時に約束した…?
あっ……!そういえばあの時、帰りの橋を渡る前に…南斗様たちに言われたんだ!"もう一度天界に招きたい"って。
『あなた、その時に"いつかまた"って言ったでしょ。だから、あなたたちの世界が穏やかになるまで、この橋を開ける時を待っていたんですよ。なのに、ずっと待っていてもなかなか降りて来ないものだから、すっかり待ちくたびれてしまったので、ちょっとひと技使っちゃいました。』
「技って…何をやったんですか」
『神子の部屋に、かなり透明度の高い鏡があるでしょう。それ、霊力を移すには丁度良いんですよね。だからそこにこちらの力を映して、あなたを引っ張り込んじゃいました。』
…初めて会った時から思っていたが、結構無鉄砲な神様だ、彼は。

『そういうわけで、やっとそちらも落ち着いたようですし。改めてゆっくり楽しんで行ってくれたらなあって、あれこれご用意しているんですよ』
「…そうだったんですか。ありがとうございます、南斗様。」
『あ、これは兄上との共同作業ですから、私にばかり礼を言ってると、またすぐ機嫌損ねますから、そこんとこは空気読んでやって下さいね?』
相変わらず衝突は続いているようだ…けれど、招待客を受け入れる作業を共同でやっているくらいだから、深刻なものではないんだろう。

「ちょっと待ってくれるかな。神子殿を招くという南斗様方のお気持ちは分かったが…何故私まで、ここにいるんだい?」
招待したいと言っていたのは、あくまで神子であるあかねだけだったと思う。
だから、他の八葉の姿がないのだ。
でも、なのに何故自分だけがここにいるのかが、友雅には理解し難いことだった。
すると、鳥の姿をした南斗星君があかねの腕から離れ、今度は友雅の肩へと飛び移った。
『神子が、あなたを望んだからですよ。』
南斗星君の言葉に、あかねはぎくっとして身体を強張らせる。
『あの橋を神子と共に戻っていったのは、あなたでしょ。あの時、あなたの手を神子が取ったからこそ、今のあなた方があるのでしょ?』

浮かび上がる、おぼろげな夢の記憶。
薄暗い不安定な帰り道を、共に歩いていってくれる人を探して……迷わず差し出された彼の手を取った。
夢かうつつか分からない余韻を残して目覚め、その朝に会った彼を見たとたんに胸が熱くなって。
どうしてこんなにドキドキするんだろうと、不思議で仕方がなかったけれど、その気持ちを認めるには何一つ小道具は必要なかった。
恋してるからだ。こうして顔を合わせているだけでも…それだけで心が更に熱を帯びてくるから。
-----もう一度夢を見て、これまでのことが思い出されて来た。

『そういうわけですから、どうぞお二人で私の宮へいらっしゃい。そりゃ立派なおもてなしをご用意してますから。きっとびっくりしちゃいますよ?』
はらりと鳥は友雅から離れて、二人を先導するように、先へ先へと飛んで行った。

+++++

南斗宮は相変わらず春の陽気が広がっていて、満開の花や飛び回る小動物が、人生を謳歌するように息づいている。
久し振りに案内された庭のテラスには、宴の支度が完璧なほどに整えられていた。
何度かここで宴を楽しませてもらったが、あの時とは比べものにならないほど。
優雅な花の香りを漂わせる茶、徳利になみなみと用意された香り高い酒、これでもかと積まれた完熟の果実。
更に新鮮な魚介類や香ばしい肉の料理、唐菓子も抜け目ないボリュームで用意されている。

「久しぶりの来訪、心から祝わせて頂こう。さあ、好きに楽しみたまえ。」
贅を尽くしたもてなしに、驚きのあまり声も出ないあかねたちのところへ、北斗星君が声を掛けてきた。
「いや、ここまで豪華絢爛な宴となると、さすがに少々怖じ気づいてしまいましてねえ…。」
「それならば、最初は美酒を差し上げよう。まずはこれで口を潤すと良い。」
そう言って彼は、友雅の盃に酒を注いだ。
無色透明の澄み切った酒は、香り良く、それでいて舌にとろけるような味わいと喉越しで、今まで飲んだこともないほどの美酒だった。
「これは…かなり上等なものですね。」
「そなたの目に敵ったか。ならば結構。いわばこの宴の主役は、そなたでもあるからな。」
静かに微笑む彼の顔を見て、友雅は隣にいるあかねの肩を引き寄せる。
「私は、ただの彼女の付き添いですよ、主役は、こちらの神子殿でしょう。」
招かれたのは、神子である彼女。
例えあの時のように、帰り道の橋を渡る時の付き添い役であっても、こうして共に天界へ来られたことには感謝するが。

しかし、北斗星君は友雅の顔をまじまじと見てから、自分の盃の酒を啜った。
「何を言っているか。婚儀の宴というものは、妻になる者も夫となる者も、その二人が主役であろうが。」

一瞬、彼が何を言っているのか理解できなかった。
妻と夫。妻になる…者、夫となる…者…って、それは誰のことを言っているんだ?

その意味を考えている途中で、数人の天女たちが足早に駆け寄ってきた。
そして彼女たちは、あっという間にあかねをぐるりと取り囲むと、まるで連れ去るように手を引いていく。
「ちょ、ちょっと…何するんですかっ!?」
急にどうしたんだ。一体どこに連れていくつもりなんだ?
慌てふためくあかねに、彼女たちはそろって艶やかに微笑みながら言う。
「花嫁が婚儀の席で、そのような普段着ではいけませんわ。さあさあ、お支度を整えて差し上げますから、どうぞこちらへ」
「えっ!?花嫁っ…って…え、え、ええっ?ちょっと…っ!何なんですか、これっ!!」
北斗星君や南斗星君の顔を伺いながらも、天女たちはあかねを引っ張りながら宮内へ向かっていく。
どういうことだ?何が何だか分からないこの展開…いったいどう対処すればいい?

困惑しているおかげで、おぼつかない視線を動かしてると、その先に友雅の姿があった。
せめて彼に何か声を掛けようとしたのだが、それさえも出来ずにあかねは天女たちに連れられて行った。



***********

Megumi,Ka

suga