月と甘い涙

 005
「神子殿?」
「は、はい!?」
慌てて返事をしたので、つい顔が前を向いてしまった。
夕暮れも終わりを告げようとしている時間ではあるが、赤く染まった紅色の頬は隠しきれないだろう。
やっと見ることの出来た友雅の表情は、差し込みはじめた月明かりの元で優しく輝いている。

「ねえ、神子殿…確かにこの贈り物は素晴らしい。私の好みを把握して下さっている。とても嬉しいのだけれど……もう一つツメが甘かったね」
「え?それってどういう…」
友雅の好みに合ったものを選ぶことが出来て良かった、と思ったのも束の間。
いきなりそんなことを言われて、あかねは戸惑った。
何が悪かったんだろうか。
やはり貴族の世界で生きる人の趣味や嗜好は、この世でも現世でも所詮庶民である自分には理解できないものなのだろうか…と、頭の中でごちゃまぜになりながら悩んでいると、友雅の手にあった衣が、そっと広がってあかねの身体を包み込んだ。

「私が本当に欲しいものはね……………茜色ではなくて『あかね』なのだよ」

目の前で、友雅が微笑む。
優しい月明かりよりも、白檀の香りよりも甘く立ちこめる香りがそばにある。
悪戯半分に抱きすくめられた時に覚えた、友雅の衣の香りだ。

「誕生日なんてね、たいしたものじゃないと思っていた。祝って何があるものじゃないだろう?。自分がこの世に生を受けたことを、そんなに重要だとは思ってもいなかったしね。だけど…神子殿に逢って、この世に生まれてきて良かったと、初めて思うことができたよ」
静かに友雅の手が背中に伸びて、そっと胸の中に抱き寄せられる。
耳元で、声が聞こえる。

「生まれてこなかったら、君に会うことはなかっただろう。それだけでも、この世に生まれた自分の瞬間を祝いたいと、そう思うよ」
友雅の鼓動を、こんなに近くで聞いたのは初めてかもしれない。
耳を傾けていると、その心音にあかねの鼓動が重なってゆき、いつしか一つの心音に変わる。

「ごめんなさい、友雅さん…。お誕生日の当日に贈り物持ってくることが出来なくって」
ぎゅっとあかねの手が、友雅の袖を握りしめた。
少しだけ、その手が震えているのに気づく。
「ああ、確かに少し早いけれども……どうしてそんなことを?」
「だってその時にはもう…龍神の神子の役目は終わっているもの。そうしたら…私はここにいないかもしれないから…待っていられなかったんです…」

四神の呪詛を取り除くために、最後の玄武を解放するのは六月七日。
もし、仮にそのあとに鬼との戦いがあったとしても、友雅の誕生日の十一日まではかかることはないだろう。
そうしたらあかねは、ここから姿を消すかも知れない。
この京へやってきた時のように、忽然と前触れもなく。
もし、そうだとしたら?
友雅は首を横に振った。

「そんなことは、考えなければいいさ。ずっと、ここにいられると君は考えていればいい。」
「でも…」
「信じることが大切だと、神子殿が言ったんだよ。ならばここに残ることが出来るように信じなさい。私のようにね」

確かに、そんなことを言ったっけ。
そう、とにかく相手を信じること、物事を信じること。
それが大切だとそう思ってた。信じることが出来れば、物事は良い方向へ行くと思ってた。
たった一言の自分の言葉を覚えてくれていたことが、あかねは素直に嬉しかった。

「だけど、龍神の神子じゃなくなったら、私は…」
それでもいくらかの不安がよぎる。頼りなさげに友雅の胸に問いかけた。
するとあかねを覆う衣をかすかに持ち上げて、友雅は唇を耳に添える。
「ならば、六月十一日の私の誕生日の当日になったら、もう一度贈り物を持って、ここにおいで」
「えっ!!また贈り物考えないといけないんですか!!」
それまで友雅の胸に寄り添っていたあかねだったが、唐突にそんな注文を囁かれて慌てて顔を上げた。
「そう。贈り物を持って、私の屋敷に来ると良い。それまでには、こちらも用意を整えておくから」
頬に指が触れる。池に映る黄金色の満月。
顔を寄せられると、不思議なことに自然に目を閉じてしまった。
そして、重なる唇。

「龍神の神子ではない、私の本当に欲しいもの…を持っておいで。『あかね』という贈り物を持って、私のところに」

声が、それ以上は出なかった。嬉しいのに、涙が溢れてきて止まらなくなる。
頬が熱いのに、友雅の笑顔から目が離せなくなって、そして離れたくなくなって。

「この世界で、ずっと暮らしなさい。私と共に」

何度か唇を重ねるたびに、涙はどんどんと溢れ出してくる。
衣をすりぬけて、あかねの手が友雅に伸びると、彼女をしっかりと抱きすくめる友雅の手があった。


月は既に高く登りつめて、辺りは静まりかえっていた。
やっと少しだけ落ち着いてきて、あかねははっと我に返った。
「い、いっけない!! そろそろ帰らなくちゃ藤姫が心配しちゃう!!」
慌てて友雅の腕の呪縛から飛び出して、入口へ向かおうと立ち上がったけれど、着慣れない装束に足を取られてよろめいた。
「そんなに慌てなくてもいいだろうにね。今夜はここで私と共に、曙でも眺めたらどうだい?」
「そっ…そんなこと、まだ出来ないですよっ!!」
「まだ?」
真っ赤になっているあかねの姿を、愛おしそうにくすくすと笑いながら友雅は見た。
そして、装束に巻き込まれたように座り込んでいるあかねを引き寄せて、もう一度その胸に抱きしめた。
「何もしないから安心しなさい。こうして…ね、朝が来るまで君を抱きしめているだけで充分なんだから」
暖かい友雅の手を、あかねは握りしめた。

「四神の解放が終わって、鬼との戦いが終わったら……」
友雅は、そこで言葉をやめた。
あかねは不思議そうに彼の顔を覗き込んだが、それっきり笑顔を浮かべただけで何も口にしなかった。


二人なら、きっと大丈夫。
どんなことだって、叶えられる。
夢に描いている、新しい未来があるから。
それは多分、ほんの少し先の、遠くない未来に巡り来る時。

「すべてが終わったら………君を名前で呼ぶことができるね」

声にならないつぶやきを囁いた頃、あかねの寝息が友雅の腕の中で聞こえるようになった。

いつからだったか、もう思い出せない。
こんな気持ちを持ってしまったことを、ずっと目を背けて過ごしていた。
いつか必ず、離れてしまう運命だと。決して受け入れては貰えない恋心だと知っていたから。
だけど、それを自覚するたびに……恋心は大きくなって。

そして未来は、二人の足下の先に続いて行く。



---THE END---



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