月と甘い涙

 004
二人は場所を移した。雨が止んだせいだった。
暗い雨雲が薄くなりつつある。今宵は月が顔を覗くだろう。
ならば見晴らしの良い泉殿へ場所を移した方が良い。
どれくらいの間、共に時間を過ごすことになるかは分からないが、しばらく池の景色を眺めるのも良い。

「それにしても…一体どうして私の所にやってきたのだい?。用事があるのなら、私から神子殿のところへ伺いに行ったのに。」
明かりを柱のそばに灯して、友雅は張り出した手すりに軽く身体をもたれた。
あかねの方は、着慣れない装束に身の動きがぎこちない。
「いいんです!それに、友雅さんのお屋敷ってどんな風なのかなーって興味があったから。………でも、びっくりしちゃいました、すごく大きいお屋敷なんだもの」
「広さだけが取り柄の屋敷だよ。もう私の家はたいした貴族でもないからね。」
そうは言っても、広い池を取り囲む木々の緑、そして一斉に花開く橘の白い花。ずっと過ごしてきた藤姫の住む土御門殿にしても、現代に生まれ育ったあかねには夢のような世界だ。

「だが、早めに勤めを終えて帰ってきて良かったよ。神子殿がいらしているのなら、もっと早く帰ってきたのだけれどね」
「ホントはお仕事を抜け出す、良い口実が出来た〜なんて思っているんじゃないですか〜?」
「そんな事を言われるとは悲しいね。神子殿のためなら、すべてを投げ出す覚悟をしているというのに」
「冗談はほどほどにしないと、いざという時に信じてもらえませんよ〜?」
そう言って、いつものようにあかねは笑う。
冗談めいて空気をごまかそうとして、そのせいで少し頬が桜色に染まっていることも気づかずに。
そんなあかねの表情が---------友雅は好きだった。

「それはそうと、そろそろ神子殿のご用件というのをお聞きしたいものだが。」
真っ白な陶磁の瓶子から杯に少しの酒を注いで、友雅は改めてあかねの顔を見た。
ここにやってきた理由は、それ以外にはない。
だから、その贈り物を渡さない限りは帰るわけには行かないし、それに来た意味もなにもない。
だけど…用意してきた品物を思い出すと、あかねの心臓の鼓動は早くなってくる。
精一杯に知恵をしぼって、思いを込めて選んだものだけれど。
それを友雅は喜んで受け取って貰えるだろうか。それが気がかりだ。
でも、渡さなくては意味がないから。

「あの、すいません…持ってきた葛籠、運んで貰えませんか?」
酒の肴を運んできた侍女に、あかねは声をかけた。


しばらくして、二人の侍女が葛籠を抱えて舞い戻ってきた。
「神子様からの贈り物でございます」
彼女たちはそれだけを主人の友雅に告げ、すぐに間を後にした。
「贈り物?私にかい?」
「うん、そうです。あのー…友雅さん、もうすぐお誕生日でしょ。だからお祝いにと思って。」
正直言って、そんなことを考えたこともなかった。
今更誕生日を祝うような年でもないし、年を重ねて行くことが楽しいとも思わなくなってしばらく経っていたせいか、自分の誕生日が近いということなど、ここ数年完全に忘れてしまっていた。
「…よく知ってたね、私の誕生日などを」
「この間、鷹通さんのお仕事場に遊びに行ったときに、友雅さんの誕生日とお屋敷の書いてある書類を見つけちゃって、こっそり教えて貰っちゃったんです。」
「なるほどね…。しかし、神子殿から贈り物を頂けるとは思わなかった。嬉しいね」
その笑顔が、あかねは一番欲しかったのだ。

「中を見ても構わないかな?」
「あ、うん…もちろん……。気に入って貰えるかは分からないですけど…」
持ち寄った葛籠は、さほど大きなものではなかった。
厚みもなく。重さもない。
酒の杯を手放し、友雅は葛籠を開けた。

「これは…………良い色だね」
うっすらと透ける衣かつぎの衣。
夕暮れ色に近い赤が、縁からゆっくりと上に行くにつれて真っ白になる。
鮮やかなグラデーション。そして、光沢を帯びた手織の絹。
素人目に見ても、上質な造りの衣だと分かる。
それに添えた、一本の扇。
白檀の香木を骨組みにあしらい、衣かつぎの布と同じ色の衣に、金の刺繍が施されている。こちらも上等といえる品だろう。

「気に入ってくれました?」
あかねが友雅のそばに寄り、尋ねる。
「……ああ、素晴らしいよ。気に入ったよ」
「良かった」
そう言ってもらえて、ずっと悩んだかいがあったというものだ。
いつまでもずっと、友雅のそばに置いてもらえるように、心を込めて選んだものである。

友雅は扇を開いて、何度か軽く仰いでみた。
ほんのりと白檀の甘い香りが漂う。
「良い香りだ。刺繍や仕立ても素晴らしいし、こちらは絹織だろう?良い仕上がりのものばかりだ。神子殿は審美眼が素晴らしいのだね」
「そんなことないですよー、これでも色々悩んだんですから」
照れくさそうに、あかねは笑った。
本当は、それ以上に想いが隠されているけれど…それは…この際、気づかなくたって良しとしよう。
まず、友雅に喜んで貰うことが先決であったのだから。

片手に扇を持ち、もう一方の手で衣をたぐり寄せる。
頬を寄せると、滑らかで優しいを感じた。
「色が良いね………茜色だ」
どきん、と鼓動が大きく揺れた。
「扇、衣、二つとも茜色だね。そして…今日の神子殿の装いの細長も、茜色だ」
気づかれた…のだろうか?
あかねはどきどきして、顔を上げようかどうか迷ったが、結局友雅のことを直視する勇気がなかった。

「良い色だね。私の好きな色だ」
不思議なもので、元々あかねがこの色を選んだのは、自分の名前をその色に塗り込めて友雅に贈るためであったのに、それに気づかれるとこんなにも動揺してしまい声も出せなくなった。

自分がこの世界から去る時が来ても、この茜色の衣と扇が友雅のそばにある限り、自分の姿が消えたとしても、この色がそばにある限り、自分の存在はずっと友雅のそばで生き続けるだろう。
そんな、ささやかな想いをこめて選んだ色だったのだ。



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Megumi,Ka

suga