素直な戯れ言

 002
『会いたい』
何度同じ言葉を、胸の中でくりかえしただろう。その度にかき消して、そしてまた同じ言葉が浮き上がる。
消しても消しても現れてくる想い。
こんなに心が求めている。あなたに会いたい………そう叫んでる。なのに、あの時の情景が忘れられなくて戸惑う。
どうすれば良い?切なくて甘い気持ちを、どうすれば消化出来る?


……『友雅さんだけは中に入れないで』
……『?友雅殿…だけでらっしゃいますか?他の方はよろしいのですか?』
藤姫の不思議そうな顔が思い出される。
……『うん。他の人はいいけど、友雅さんだけは絶対に中に入れないで。御願いだから。』
……『神子様がそうおっしゃるんでしたら……』
あかねの言葉に、藤姫はうなづいてくれたが表情は微妙だった。
彼女は既に、二人がどんな関係であるかを知っている。あかねがこの京に残った理由も、友雅がいつもあかねに会いに来ていた理由も。


『本当は会いたくて仕方がないのに……』
本音が浮かんで、溜息がこぼれる。


その時だった。
ふわりと風に乗ってきた香の薫り。豊かで雅な………この薫り。
とっさに後ろを振り返った。

「おや、気付かれてしまったか。これでも気配を忍ばせてやってきたんだけれどもね。」
わずかな身動きで流れるように揺れ動く髪。絹織りの衣の袖に忍ばせた扇。それらにほのかな残り香が染みついていることを、あかねはよく知っている。
「…顔を見せないなんて、まるで天の岩戸に閉じこもった天照大神のようだね」
友雅はそっと足を前へと進めて、あかねの方へと近付いてくる。距離が狭まるにつれて、侍従の香りが強く鼻をくすぐる。
「こちらの天照大神殿は、どうしてご機嫌を損ねているのかな?太陽の神様がこちらを向いてくれなくては、暗くて困るんだけれどもね」
しなやかで長い指先が、あかねの顎に触れる。そしてこちらを振り向かせようとした……が、彼女の首はそれに反して背を向ける。
「……やれやれ。一体何が気に障ったと言うんだい?私に問題があることなら、面と向かって言ってもらわなければ弁解のしようがないよ」
少し呆れたように友雅はそう言ったが、そのまま彼はあかねの前にゆっくりと腰を下ろした。おそらくあかね自身からの声を聞かないかぎりは、ここから立ち去るつもりはないという意志の現れだろう。
こうして黙っていても仕方がない。何の進展も退化もない。

「友雅さんにはここよりも、もっと楽しいところがあるんじゃないんですか?」
突き放したようなあかねの声に、顔を上げた友雅の目に映るのは彼女の背中だ。
「私みたいに何も分からない子供より、友雅さんと釣り合うお話の出来る人が…他にたくさんいるじゃないですか」
そう。いつだって友雅はそうだった。
右も左も分からない京では、あかねは生まれたばかりの赤子同然。言葉は通じるのに、この世界で生まれ育った文化や風習などを、すぐに受け入れることは容易いことではない。
友雅はいつもそばにいてくれるけれど、いつだって微笑んでくれているけれど。常に一段上から見下ろすようにしていて、彼が屈んで手を差し伸べてくれなければ届かない。
そんなとき、否応でも距離を感じる。同じ話題で楽しむことの出来ない自分の位置。見えない境界線に心が痛む。
あの瞬間、微笑む彼を見たとき、そう感じた。

「つまり君は、君以外に私に相応しい人がいる、と言いたいわけかい?」
友雅の答えにあかねは何も言わなかった。
「さて…どこにそんな人がいるのかねぇ?私には全く分からないけれど。君は知っているのかい?」
彼女がそんなことを言い出すのには、恐らく何かしらの覚えがあるはずだ。一体何を根拠に、そんなことを言うのか。
自慢じゃないがこれまでの間、恋を遊びとして楽しんできた友雅だが、あかねが現れてからは通い場所との縁が完全に途切れた。
何故やってこないのかとの文もまだ届くが、それに返事を返すことはない。今までとは違う意味で通う場所は……あかねのいる、ここ土御門家だけなのだ。
後ろめたい付き合いをしているわけでもないのに、あかねの言い分は友雅にとっては不透明すぎる。

「こないだ…友雅さんのお屋敷に行く途中で、楽しそうにお話している方を見かけましたけど」
「うちの屋敷の近く……?」
「大きな銀杏の木があるお屋敷だったと思いますけど」
友雅の屋敷のある場所は、邸宅の立ち並ぶ付近から少し離れている。閑静な佇まいという感じで、あまり賑やかな雰囲気があるわけでもない。
そんな場所にある銀杏。この時期に黄金に輝く銀杏の木。それだけ目立つ印があるとしたら、思い当たる家は限られてくる。そして、友雅に覚えのある屋敷というのも、すぐに思い出される。

あの時……か。あの時、あかねが近くにいたなんて気付くはずもなかった。
会話の内容までは聞き取れなかったのだろう。傍目から見たら……あかねがそういう目で見てしまってもおかしくないかもしれない。
だが、それは全くの勘違いにすぎない。何一つ、今あかねの前で後ろめたいことなど一つもない。
しかし、それを彼女にどうやって理解させればいいのか。目の前にいる友雅の最愛の姫君は、天照大神よりも頑固なところがある。
それもまた、友雅を惹き付ける魅力の一つでもあるのだが。


「今までの私を見ていれば、まあ…君が私を疑いたくなるのも仕方がないだろうね。」
友雅の声がして、あかねはそっと目線だけを動かした。彼はこちらから目を反らし、どこか遠くを見るように庭へと視線を向けていた。
「何度ここで甘い言葉を囁いたとしても、おそらく君は私を心から信じてはくれないだろう。こんなことになるのだったら、もう少し真面目に生きていれば良かったよ」
苦笑しながら目を伏せて、友雅はそうつぶやいた。
「私が君に想いを告げるには、言葉で囁くことと、こうして向き合って君を見つめることしか術がない。それを信じてもらえないのだったら、私の口にする言霊の威力などたかが知れているってことだね。」
どことなく、気持ちの沈んだ深い声。今まで、余り聞いたことのない口調。何かを諦めたように、彼は語り続けている。
「想いの伝わらない言葉しか話せない男など、君が不満に思うのは当然のことかもしれないね。私には君に愛の言葉を囁く意味などなかったってことかな。」
信じてもらえない言葉ほど、無意味なものはないだろう。今の友雅にとって、あかねに囁く言葉に込められているのは、全て特別な想いだけ。それが理解してもらえないのなら、語りかける意味などないに等しい。

「私は、君の気持ちを動揺させることしか出来ないらしい。すまなかったね。」

その言葉は、まさに最後の一言のように聞こえた。
衣擦れの音がして慌てて振り返ると、友雅は立ち上がってその場を去ろうとしていた。

『すまなかった』の意味は……立ち去る意味は……それは別れの言葉?
自分のそばから離れるとの、決別の意味がある言葉?
広い背中が遠ざかって行く。後ろ姿しか、もうあかねの目には映らない。


「……と…友雅さんっっ!!!!」


無意識のうちに、あかねは立ち上がっていた。彼の名前を呼んでいた。
そして、彼に駆け寄っていた。

次の瞬間、あかねは強い侍従の薫りに包み込まれた。

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Megumi,Ka

suga