秋の気配

 002
そう。飄々としているように見えるが、ああ見えても友雅に対する周囲の信頼は厚いのだ。帝はおろか、左近衛府の部下や、上司である中将、大将、そして藤姫の父である左大臣にさえも、一目置かれるだけの力を彼は持っている。
身分と位はさほどではないが、それ以上の強い何かが彼にはあることをあかねも知っている。
八葉として、共に過ごした日々の中でそれを知った。
龍神の神子でしか知らない、彼の持つ光をあかねは知っている。

…友雅さん、今頃何してるんだろう…
左近衛府の方に出向いている時間か。夜の警備は彼の仕事でもあるから、まだ内裏にいるかもしれない。
そうしたら、彼は屋敷に戻って休むのだろうか。
それとも……………。

ふっとあかねは目を開けた。浮かびそうになった映像を、ぱっと断ち切りたかったせいだ。外の灯りが目に差し込めば、瞼の裏の残像を消してくれるだろう、と思った。
なのに、今は夜。目を開けても暗闇は消えない。
このままじゃいけない。思ったことが浮かんでくる。そんなの考えたくないのに、考えたくなんかないのに。

分かっているのだ。友雅ほどの男を、あちこちの女人が手放すことなどないと。だから、どこかの屋敷に通うこともあるに違いない。でも、そんなこと考えたくない。胸が痛くなる。

どうして。どうしてそんな風に思う?
それは…………………。




ガサッ。庭先で物音がした。びくっとしてあかねはそちらを振り向く。動物の動きとは違っている。これは、あきらかに人間の動きだ。
足音らしきその音はゆっくりとこちらに近づき、ギシ、と床のきしみを帯びた。
こんな夜更けに……庭にいる者といえば。
「……頼久さん…?」
そっと声を出すと、御簾を通して物影が映った。----頼久の影じゃない。長く、緩やかな髪。

「おや…神子殿はこんな夜更けに、頼久を部屋の中に誘うのかい?それではお邪魔だったかな。」
深く甘く通る声。あかねが身を乗り出すと同時に、そっと御簾が開いた。
「友雅さ…っんっ!こんな時間にどうしてっ…!」
思わず大きな声を出そうとしたあかねの唇に、友雅の長い指が押し当てられた。艶やかな瞳を携えた微笑みが、あかねを見下ろす。
「しばらく神子殿にお会いしていなかったものだから。」
そのとたん、あかねの中で浮かぼうとしていた映像が途切れた。目の前にいる友雅を映す以外に、何も集中が出来なくなってしまったせいだ。
さっきまで、あんなに雑念がよぎっていたのに。本人がここにいるだけで、まるで嘘のように闇に浮かんだものが消えていた。
「神子殿の顔を見たくて……気付いたらここまでやって来てしまってたんだよ」
ほのかな香が、夜風に揺れた。開いた御簾の向こうにいる友雅は、あかねだけを見ていた。


■■■



静まりかえった宵のしじまの中で、友雅とあかねは他愛もない会話を続けた。
しばらく友雅が顔を出さなかった理由として、左近衛府の努めが思いの外多かったことや、加えて宴の席で楽を披露することになったこと…など。
「まさか主上の前で、雑な音を出すわけにもいかないしね。努めに加えて毎日の指慣らしも大変なものなんだよ」
「でも、友雅さんなら大丈夫でしょう?だって、すごく琵琶の演奏が上手いってみんなから聞いてますし。」
「噂ほどじゃないよ。単なる道楽でしかないからねえ…」
そう言って笑ったが、多分彼のことであるから実際には長けているんだろう。残念ながら一度も耳にしたことはないが、帝に声をかけられるほどなのだから。

「しかし、指慣らしで奏でてみるにしても…聞いてもらえる人がいないのは張り合いがないものだよ。」
友雅はそう言いながら、しなやかで長い指先をもてあそんでみる。
「お屋敷にいるお付きの方とか、聞かないんですか?」
あかねが尋ね返すと、友雅はそういう意味じゃない、と答えた。
「聞いてくれる人と、聞かせてあげたい人というのは違うからね。ただ聞いてくれる人よりも、私は聞かせてあげたい人がいてくれた方が良い。その人のために、美しく奏でてあげよう…と思えるからね。」
ふわりと片手で扇を広げ、夜の熱風を避けるように風を立てた。

「で、神子殿…聞いてくれるかい?」
えっ?と顔を上げると、友雅が見つめている。薄暗い闇に包まれているのに、不思議なくらいに彼の姿だけはしっかりと見える。
「君のために奏でられたらいいだろうと思ってね……。」
彩り鮮やかな微笑みは、男であるのに色香が上がるほどに艶やかで、その瞳が自分を見ていると思うと全身が熱くなって、鼓動さえも早くなる。
「……き、聞きたいです。友雅さんの…音。」
勿論、素直にそう答えた。彼の琵琶の音を聞きたいと本当に思っていたことには違いないが、その残り半分は、彼の言葉に逆らえない自分がいたせいもある。
友雅はあかねの答えに、どこかホッとしたように微笑み返した。


「それじゃ、行こうか」
おもむろに友雅は腰を上げて、扇をぱしり、と閉じた。そして御簾を取り外して、あかねのそばへ歩み寄った。
「ど、どこに行くんですか?こんな遅くに……!」
友雅の行動に驚いているだけのあかねに、彼は顔を近づけて言う。
「ここで琵琶なんて奏でたら、私がやってきたことに気付かれてしまうしねえ。そうなったら咎められるのは間違いないし、説明するにもちょっと面倒なことになりそうだし。それなら私の屋敷で、ゆっくりと聞いてもらった方が都合が良いから。」
そう言って友雅は、軽々とあかねの身体を両腕に抱き上げた。小さな声があかねの喉からこぼれると、しっ!と友雅は指先を立てる。

「神子殿のために、最高の音を聞かせてあげるよ………きっとね。」


そんな、口説くような台詞を耳元で囁かれて、あかねが反論も抵抗も何も出来るはずなどなくて。
明日の朝、自分がいなくなっていることを気付いたら大騒ぎになってしまうんではないだろうか、と少し不安に思っていたりもしたが。
「それなら、手がかりを置いてきたから大丈夫だよ。だから……秋の近付く夜をゆっくりと一緒に過ごそう。」



もぬけのからになったあかねの部屋には、侍従の移り香が残る扇が一つ。
そして庭には、秋色の風。





-----THE END-----



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