秋の気配

 001
日増しに秋が深まっていく。焼け付くような太陽の日差しも、少しずつかげりを見せてきていた。
ほのかに緑は赤く染まり、常緑樹達をさしおいて彩り始めていた。

ようやく過ごしやすい時期になりつつある。外を歩くにも汗をかかずにすむし、流れてくる秋風もほのかに涼しくて心地良い。
そして、空も高くなる。蒼い空に白い雲がゆっくりと動き、風とともに移動していく。
夜になれば金色の月が闇を照らし、かすかな鈴虫の声が庭先に和みを与えてくれる。
………秋とは、そんな季節だ。



晴天の午後。友雅は清涼殿にいた。
「というわけでな。是非とも今年の宴の席では、友雅の琵琶を聞かせて貰いたい。昨年披露してくれた笛の音も素晴らしいものだが、やはり友雅といえば琵琶だからな。皆楽しみにしている。」
秋に宮中で行われる観月の宴。その打合せのために帝は、宮中に友雅を呼び寄せていた。
「あまりご期待など抱かれると、がっかりさせてしまうのではと…私も心苦しくなってしまいます」
「何を言うか。おまえの楽を聞くためだけに、宴に集まる者の数を数えたら大変なことになるぞ」

毎年、宴の席で楽を奏でる者が数人選ばれる。雅楽寮から特に長けた者数名、そして各方面から数名。
その中で常に名前を絶やすことの無かったのは、未だかつて友雅だけである-----法親王である永泉以外には。

そして、彼の姿を一目見ようと女人たちは軒を連ね、また男たちも彼の奏でる音に酔いしれながら、月下の元で美味い酒を味わうことを楽しみにしていた。

「私の粗末な技量で、月を微笑ませることなど出来るか分かりませんがね」

そう言って友雅は笑った。



とは言え、帝を前にして適当な音を奏でるわけにもいかない。だからと言って小難しいものを練習してまで演奏するつもりはないが、本番に備えて手慣らしをすることもそこそこ必要だろう。
屋敷に戻った友雅は、うすぼんやりと照らされた燈台の灯りの中で琵琶を抱える。水面に輪が広がっていくかのように、その音は宵の闇に溶けて流れていった。

誰も人の気配はない。こうしているとき、友雅は誰一人としてそばにおかない。侍女たちでさえも払って、ただそこにある空気に身を委ねながら音を紡ぐ。
そうすると弦からこぼれる琵琶の音が、周囲と同化して自分を包み込んでくれるからだ。一人の時間は、それが何より心地よい。

そうだった。今までは、それで良かった。………だけど今は。


しばらく顔を会わせていないような気がする。最後に会いに行ったのは、いつだっただろう?
八葉として動いていた時間の分、友雅には努めの任が倍返しで襲いかかっていた。元々左近衛府の仕事に執着はないが、帝の目があればこそ、おいそれとそれらをないがしろにも出来ないのだ。
ふらりと出掛ける時間もなく、ただ流されているだけの一日が過ぎていった。
それまでは二日に一度の割合で顔を見ていたのに、こうして数日ほど会っていない日が続くとなると…不思議に思い出してくるのは笑顔だけだ。
一度思い出したら、その笑顔が瞼から消えなくなる。特別な用事があるわけでもないのに、会いたいという気持ちがどんどん強くなってきてしまう。

会いたい。

最後には、その言葉だけが心に残る。
彼女に会うまではずっと、それは消えることはないだろう。


■■■



蝉の声が聞こえてくる。
夏の日差しの中で上げ続ける声を耳にすると、一層蒸し暑さを増加させる気がしてうっとおしくもあるが、最近はそう感じることも少なくなった。
彼らの泣き声は相変わらず途絶えることがないというのに、余韻の中にほのかな寂しさを感じさせる。



「それにしても、明日もまだ暑そうだね」
「そうですわねぇ…もう9月というのに、日差しはいっこうに秋の趣を感じさせませんわね。これではまだしばらく猛暑が続くことでしょう…」

夜だと言うのに涼しいとは言えない気温。暑いとは言えないが、だからと言って秋らしい涼しさもない。明日も雨が降る気配もなさそうだ。
あかねは藤姫とともに、庭先に面した御簾を半分だけ上げる。さわさわと、わずかに揺れる葉ずれの音。池の中で時折跳ねる魚たちの水音。
身体を伸ばして深呼吸をすれば、夜風を吸い込むことが出来る。しかし、藤姫のように十二単を身につけていては、肌を風にさらすことも出来ないだろう。
「藤姫は暑くないの?いつもきちんと十二単着て……」
他人事とは言え、幾重にも重ねられた袿の中には熱も貯まるだろうし、さぞかし暑苦しいと思うのだが、驚くことに藤姫の表情は普段と殆ど変わらない。
「こう見えましても薄手の生地で仕立てた袿を重ねておりますの。神子様がお考えになっているほどの暑苦しさはございませんのよ」
そう言って微笑む藤姫の姿は、まさに雛人形そのものだった。


小さい頃から彼女のような生活を繰り返していれば、物心付く頃にはそれなりの対応力が身体に宿るのだろう。
だが、つい最近になってこの世界に入り込んだあかねとしては、この真夏の気候は手厳しい洗礼だ。
思い切り水に触れられたら気持ちいいだろうに………などと他人のことを心配しながら、夜は更けていった。





御簾は下ろされていたが、ほんの少しだけ蔀を開けたままであかねは床に着いた。
耳を澄ませば……夜の庭先からは鈴虫の声が聞こえていた。

……もう秋が近いんだ……
そう、もうすぐ夏が終わる。
彼らの声が聞こえなくなったら………山の木々が色づき始めるのだろう。黄金色に、紅色に野山を染め上げて、豊かな実りの時期がやってくる。
京の秋は、どれほど美しいだろう。きらびやかな絹の織物を見るかのようだろう。
また季節がひとつ流れていく。京にやってきたのは、まだ肌寒さの残る初春の頃。暑い夏を超えて、京で一番美しい季節がやってくる。そうして白銀の冬がいつのまにかやって来る。
これからずっと、その移り変わりを眺めながら生きていく。この世界で。

何故、生まれたところに戻らなかったのか。あれだけ、帰りたいと願っていたはずだったのに。
そうすれば暑さに愚痴をこぼすなんてなかった。今まで通りに涼しい場所で、心地よく夏を過ごせるはずだった。
生まれ育った世界とは、比べものにならないほどの不自由がここにはある。
なのに、どうして自分はここにいるのだろう。


…そういえば、最近、友雅さんどうしてるんだろう…。
ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
ついこの間までは、ここを訪れていたのだけれど、最近めっきり姿を見なくなってしまった。
…お仕事忙しいのかな。少将だもんね…帝にも信頼されてるんだもん…大変なんだよね、きっと…
暗闇に目を閉じて、あかねはそんな事を思い描いた。




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Megumi,Ka

suga