瞳の向こうの雪景色

 002
だからと言っても、そう簡単に内裏に一人で入り込むことなどは出来ない。どうにかならないものか、と考えようと思ったのだが、やはりこの寒さの中で立ちつくしていても、良い考えなど浮かぶはずがなかった。

「やっぱ無謀だったかなあ〜…」
自分の行動に少し悔やんでいると、背後に近付いてくる足音が聞こえた。

「神子、そこで何をしている?」
振り向くとそこには、泰明が立っていた。手には何やら巻物や小物が抱えられている。
「や、泰明さんこそ…どうしてここに?」
「私はお師匠の追儺の儀式の手伝いで出仕している。おまえも儀式に参加するのか?」
「い、いえ別に……」
と、ふとあかねは思いついた。もしかしたら泰明に頼めば、この内裏の中に入ることが出来るかも知れない。

「泰明さん!一生のお願い!!私を宮中まで一緒に連れてって下さい!!」
飛びかかってきたあかねに、泰明は思わずあっけにとられた。
「理由がなければ追儺には出られぬ。」
「そ、そこを何とか〜!」
「何故そこまでして大内裏に入りたいのだ?しかも女人がうろつく時間ではないだろう」
確かに泰明の言うことはもっともであるのだが、でも、それでもここまで来てしまった。
友雅に会いたい、それだけの、たったひとつの理由だけで。
ここまでやって来るまでの雪道さえも気づかないほど、ひとつのことだけに集中していて。

「……そんな格好をしていては、例え中に入ってもすぐに怪しい者だと思われるに決まっている」
「そ、そりゃそうだけど〜、でも着物を着たままじゃこんなところになんて来られないじゃないですかーっ!」
全身を包むくらいに長く伸びた小袿の方が、肌を露出していない分暖かいとは分かっているけれど、あんな格好のままでは抜け出して町を歩くことは無茶だ。
現代だったらロングコートにマフラーなどを結んでいられたのに。こういう時にはつい、生まれ育った世界の文明を羨ましく思ってしまう。

「…おまえに術をかける。そうしたら陰陽寮へ行け。」
しばらく黙っていた泰明が、突然ぽつりとそんなことを言った。
あかねはぽかんとして彼の顔を見上げる。相変わらず綺麗に整っている顔が、あかねを見下ろしていた。
「陰陽寮に童子の衣が置いてある。そこで着替えてから出ることだ。そうすれば周囲に馴染んで誰も女人とは気づかないだろう」
…それは、童子の衣を着れば女人には見えない、と言うことか。どうも複雑な言い回しだが、相手は泰明。彼の性格もすっかり理解出来た。
仕方がない。それに、背に腹は変えられない。
「構いません。お願いします!」
あかねは頭を下げて泰明に頼み込んだ。

彼は何も言わずに、しなやかな指先をそっとあかねの目の前に差し出して呪を唱えた。


■■■



心なしか、雪がさっきよりも強くなっているような気がした。
そろそろ儀式が始まる頃なのだが、これからと言うときに天候が荒れるのは困りものではある。
友雅は髪にまとわりつく雪を払いのけながら、内裏の中をぼんやりと歩きながら、この儀式特有の空気を味わっていた。

ふと、承明門の近くで見覚えのある顔を見つけた。友雅が声をかけようとするよりも先に、彼は気配に気づいて振り向いた。
「友雅か」
「さすが泰明殿。私のかすかな視線もすぐに感じ取られるとは」
「陰陽師としての基本中の基本だ」
淡泊な声のトーンで、泰明は友雅を見て答えた。

「あいにくの天気になってしまった。この雪では晴明殿もお役目が大変であろうね。」
「自然に通じる五行の力によるものだ。全て意味があってこの世に存在する。この雪もそれに違いない。」
「…そうだね。意味があるから、ここに私達はいるのだからね」

かすかに感じる木枯らしの音も、白く舞い落ちる雪の結晶達も、意味を持ってこの世に生きている。
そして過ぎて行く時間の中で、雪は溶けて水に変わり、大地を潤して行く。
そうして季節は移り変わりながら、新しい年がやってくるのだ。

「私はこれまで、自分の存在の意味などないと思っていた」
小雪の乱れ舞う中に黙って立ちつくしたあと、泰明がつぶやいた。友雅は顔を上げた。
「私は人間ではないから、人間のように自然の摂理の中で生まれてきたのではないから、人間の持つ存在理由などは私とは無関係だと思っていたが……そうではないことを、私は教えられた。」

慌ただしく人々が周りを走り抜けて行く。そろそろ儀式の始まりが近い。
だが、友雅たちはしばらくそうやって雪の中にいた。

「友雅も……私と同じように考えているのではないのか?」
泰明の言葉に、友雅は笑った。
そして暗闇の広がる天上を見上げた。
冷たい小さな氷の粒が、頬に落ちては溶けて消える。
「泰明殿にはかなわないね----------」

人々が内裏へと集まって行く。いよいよ年の最後の儀式が始まる。
「さて、私たちも行かなくてはならないね」
最初に歩き出したのは友雅だったが、いきなり背後から泰明が声を上げた。

「友雅、神子が来ているぞ。」
「…何?」
振り返った友雅は、泰明を見た。
「おまえに会うために内裏へとやって来ているらしい。早く探してやれ。」
そう言ったとき、かすかに泰明の表情がおだやかに笑みを浮かべたと感じたのは、もしかしたらこの雪の中の寒さで目の感覚が麻痺してしまったせいかもしれない。

「…どこにいるんだい?」
「おまえなら見つけられるはずだ。」
泰明はそう言い残して、その場を立ち去っていった。
夜風になびいている長い髪に、いくつもの白い小さな綿帽子が飾られている後ろ姿を見送りながら、友雅は反対の方向へと歩き出した。



■■■



どうして陰陽寮にこんな装束があるのか分からないが、あかねは取りあえずそこに置いてあった衣を手に取った。
半尻と指貫奴袴に身を包むと、何となく高貴な感じになる。とは言っても、左大臣家に養女として入ったあかねであるから、外から見れば結構な位の立場であるのだが、一般中流階級で生まれ育った感覚は抜け出せない。

「何だか皇子さまみたいな感じ…」
着慣れない袴を身につけたあかねは、照れたように笑った。
「でも、これなら内裏を歩き回ったっておかしくないよね…。」
あかねは陰陽寮の戸を開けた。白く雪は内裏を彩っている。
「さて、行かなくっちゃ……」
衣をかついで、あかねは雪の中に飛び降りた。




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Megumi,Ka

suga