瞳の向こうの雪景色

 001
雪が降り出したのは、二日ほど前からだった。

今年も例年通りの積雪量という連絡があった。確かにこれと言って多いわけでもない。
二日前の夜半過ぎから、雪は静かに地上へと舞い降りてきた。それから何度も降っては止んで、の繰り返しが続いている。
そのせいか京の町が辺り一面白銀に覆われている…というほどまで積もっているわけではない。ほんのりと、常緑樹の葉の先に白化粧を施しているくらいで、昼間の太陽は暖かな光を地上へと照らし出している。

この季節、人々が忙しく走り回っているのは古今東西変わりのないことであるらしく、寒さが日に日に厳しくなるというのに、町中は人の往来が激しい。
暮れゆく年の瀬、そしてやってくる新しい年明けの準備に忙しい。
それは、左近衛府少将という内裏に努める立場の友雅も例外ではなかった。


「そう。追儺の儀式の用意があってね、内裏中大騒ぎしているところだよ」
「追儺…って、何なんですか?何かお祭り?」
「晦日の日に帝の穢れなどを祓う儀式だよ。大舎人たちが鬼の面をつけて、宮中を練り歩くのさ。おかげで晴明殿や泰明殿も、今はお忙しくしておられるだろうね」
「へえ…泰明さんたちも、そういう儀式って出るんですか?」
「ああ、追儺は陰陽師の立ち会いの元に行われるのだよ。陰陽師は他にも多くおられるけれど、帝は晴明殿や泰明殿以外には大仕事はお頼みしないからね。それだけ、信頼されている偉大なお方なのだよ」

通い慣れた左大臣家の屋敷。西の対屋。そこがあかねの部屋だった。
静かに降り続く小雪が御格子戸の向こうに見える。うっすらと緑を彩る雪景色が広がっている。
ぼんやりと高燈台に灯り続ける小さな灯が、橙に似た暖かな明かりで部屋の中を照らした。

「年の最後の行事だし、宮中のことだから私も逃げざるを得ない。今日みたいに雪が降っていても、取りやめるわけにはいかないからね」
「でも、だからって風邪なんかひいちゃったら大変なのに…。」
あかねが少し心配そうな顔をして言うと、友雅は笑いながら言った。
「そこまで柔には出来ていないよ。それに、もう何度もこの行事には参加しているし慣れているさ。でも、こうして暖かい部屋の中にいた方が心地よいけれどね」
当然のことのように、友雅は簡単にそう答える。
とは言えど、こんなに冷え込む日は彼のことが気になる。
火桶しかないこの世界の冬の暖は、身体の芯まで暖めるまでにかなりの時間がかかるけれど、雪の中に佇むよりは良いに違いない。

「身体、気を付けてくださいね?」
「ああ、心配しなくても良いよ。でも、そうやって私の事を考えてくれるのは嬉しいね」
まだあどけないあかねの頬に、そっと手を伸ばす。
見つめられた彼女の頬は、とても暖かかった。


■■■



雪は止まない。
少しずつ辺りは白化粧を整えてくる。
一年の最後の催事がはじまる。新しい年を迎えるための重要な儀式。そして時が移り変わって行く。
「さすがに雪の降る中って言うのは、少々厳しいものがあるね…」
厚めの冬装束に変えているとは言えど、夜になれば冷え込みも厳しい。美しい雪の風景を眺める余裕などあまりないのが現状だ。

これからやってくる新しい年を迎えるまえに、友雅はふとこの一年を思い描いた。

思えばあれこれとめまぐるしい一年だったと言えるだろう。
八葉として選び抜かれ、異世界からやってきた龍神の神子と呼ばれる少女に仕え、鬼と戦い、そして京に広がる穢れを祓いながら、ただその時はこの都に平穏を戻すためにと右往左往していた。
何事にも集中することなく、適度にやり過ごすことを当然のように生きてきた友雅の価値観を、がらりと変えてしまった一年だった。
それはきっと、彼女との出逢いがすべての始まりだったのだろう。

すべてが終わったとき、無意識に彼女の手を握りしめていた自分。そして、ここにとどめておきたいと、初めて強く願ったこと。
あの熱い想いは、まだ彼の中で生き続けている。

今まで感じたことのなかった想い。
大切なものを見つけた、あの瞬間。
誰かを愛することに気づいたとき。

彼女がここに残ると言ってくれたときのことを忘れない。

そのときから、世界が変わったことを。



■■■



夜も更けてきていた。
時計のないこの世界で、きっちりとした正確な時間を計るのは難しいが、それでももう結構夜が更けているのは何となく分かる。
ふと、眠れなくて床から起きあがった。
かすかに開いてみる戸からは、雪の降り続く庭が見える。少しずつだが積もり重なっていく雪が、真っ白に辺りを染めて行くと、寒さもそれと同時に一層厳しくなった。

「今頃友雅さん、内裏のお仕事の真っ最中なんだろうなあ…雪が降ってるのに」
部屋の中にいるあかねでさえ寒いと感じるのに、外にいる友雅はどれほどだろう。

あかねはふと、何かを思いだした。
そして、部屋のすみにある葛籠を引っぱり出して、中から懐かしい服を取り出して身につけてみた。

「う〜☆さすがにこの季節、足が寒い〜っ☆」
龍神の神子だった頃に身に付いていた服。高校の制服のスカートと、ウエストよりも短めの桜模様の水干。これを着なくなってからどれくらい経っただろう。

この服を身につけると、あの頃の記憶が少しずつ思い出されて行く。
すべての終わりのあとに、自分がここに残った理由も。

「よし!出掛けちゃおう!」
あかねは衣を手にとって、上から羽織ったまま足早に屋敷を抜け出した。

外は雪が道を白く染めている。新年の支度にあれこれと多忙なせいで、いつもならば警備の厳しい頼久もどこかに移動しているらしく、まさにチャンスの一瞬だった。

---藤姫、頼久さん、気づいちゃったら…ごめんなさいっ!---

何度も唱えるようにそう繰り返しながら、あかねは大内裏へと足早に雪の夜道を走っていった。




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Megumi,Ka

suga