Trouble in Paradise!!

 第37話 (3)
「夕暮れが深まって来たね。山の夜は、この時期でも肌寒くなる。中に入ろう。」
「…えっ!?」
友雅はあかねを抱いて部屋に戻り、開け放っていた戸を閉じた。
まだ完全な夜にはなっていないから、すき間から差し込む外の光で目は利く。
けれども出入り口を閉じられた屋敷の中は、しんと静まりかえっていた。

一旦友雅は席を外し、土間に置いてあった古い燭台と、小さな油壺を持って来た。
「油は…一応残っているみたいだ。これなら暗くなっても、明かりが灯せる。多分一晩分くらいは平気だろう。」
「ひ、一晩…?」
どきん、と大きな心音があかねの中に響く。
そういえば、もう随分と外は薄暗くなってきていた。

「あ、あの…友雅さん!そろそろ山を下りて、帰らないと!!」
油を燈台に流し、石打ちで起こした火を灯すと、その明かりが友雅の姿を暖かな色合いで照らす。
「帰るって、今からかい?」
「そ、そうです!その、ほら…みんなに黙って出て来ちゃったし、心配してるかもしれませんし!!」
慌てる彼女の様子を見ると、彼はくすくす笑いながら髪を掻き上げた。
あまりにも、あかねの心情が分かり易すぎて。
それが微笑ましくて、愛らしくて。

「よく考えてごらん。私たちが町中を出たのは、まだ明るい時間だった。着いてからさほど経っていないのに、この夕暮れだ。今から帰るとなったら、夜通し歩くことになり兼ねないよ?」
…そういえば確かに…。
参内したのは、今朝。それから一悶着あって…そのまま向こうを飛び出したのは、多分昼過ぎくらいだっただろう。
丹波に着いたのは、二時間ほど前。なのに、外はもう薄暗い。
「それだけ、町とここは距離が離れているんだよ。それでも、歩き続けるかい?または、山道の途中で野宿でもするかい?」
「え、ええっ…!?」
昼間でも足場の悪い山道だ。
それを牛車で夜通し歩くなんて、間違いなく危険。
かと言って野宿なんてことになったら、それこそ危険は倍層。


「…きゃ……」
彼の手が伸びて、あかねは友雅の腕の中に転がり込む。
両手首が捕らえられ、気付くと背中は床にぴったりと着いていて。
上から感じる重み。
目を開けると…見下ろしている、彼の瞳。
………以前、同じようなことがあった。
あれは、寺院の裏庭での一場面。
初めて彼にプロポーズされた、あの時の…ことを思い出す。

「からかっていないよ。今回は、本気だから。」
「…あ、あのっ…あっ…」
パニックで上擦る声は、唇でいとも簡単に塞がれる。

ジリジリと油が燃える音がする中、繰り返される唇同士の逢瀬と、包むように重なる大きな身体。
時間は流れてゆき、もう外は夕暮れの面影もない。
「もう何もかも終わったから……主上もお咎めにならないと思うんだけど。」
「あの…その、でも、あのっ…」
あかねの指に友雅の指が絡む。
小さな彼女の手は、緊張で少し汗を掻いていた。

…もう、今夜はここにいるしかないのだ。彼と、朝まで一緒に。
嵯峨野での一夜は、周囲に人の目があったけれども、今回は誰もいない。
本当に、ふたりきりで……。
それは分かっているけれど…。
「君はもう、私の愛しい奥方殿だよ。愛し合っても、文句は言われない。」
明日、山を下りて町に戻ったら、誰もが二人を夫婦と認めてくれているはず。
愛し合って結ばれた噂の二人だと、もう誰も疑わないだろうし、隠す必要も無い。
…噂通りの展開になっても、それはかえって当然のこと。

でも、そうは思っても、突然のことに心の準備がまだ出来ていない。
甘い口付けで確かめあっても、溶けるような囁きに耳を傾けても、これまでみたいに完全に身を任せられる気持ちになれないのは…必要以上の緊張感と、激しい動悸のリズムに戸惑うばかりで。


と、ふいに何故か身体が軽くなって。
手首への力が緩くなると、身動きが出来るようになっていた。
目を開けて見上げると、友雅の顔がそこにある。
「でも、気持ちが落ち着かないのだったら、先延ばしにするよ」
そう言ったあと、彼はゆっくりと身体を起こして、あかねの上から離れた。
「嫌がるのを無理強いしたくないし。君がその気になってくれるまで、もう少しだけ我慢するよ。」
彼は優しく笑いながら、乱れた髪を背中に払い除ける。
部屋の中に広がる明かりに、横顔の輪郭が浮き上がって見えた。

「…びっくりした顔してるね。私がそんな風に言うとは思わなかった?」
まだ横たわったままの格好で、ぼうっとしながらこちらを見るあかねを、友雅は苦笑しながら見下ろす。
「遠慮無く押し倒して、そのまま最後まで済まされる、と思ってた?」
「そ、そんなことはないですけどっ!」
慌てて前をさっと合わせ直し、乱れた襟元を引き上げつつ、あかねは起き上がる。
緩んでいた髢は解けて、床に投げ出すように転がっていた。

「そんな無茶はしないよ。…って、今まで私も随分悪さをしたしね。そう信用も出来ないかな」
自虐的なことを言って、自分で自分の事を笑い飛ばした。
たった一度でも、我を忘れた過去を持つ身では、警戒されても仕方あるまい。
「でも、今言ったことは本当。君が嫌がることは、出来る限りしなくない。そのためには、少しくらい我慢をするつもりだよ。」
あかねの手を取り、その指先にキスをして。
そっと胸に彼女を抱き寄せて、彼はつぶやいた。

「急がずとも、君はずっと私のそばにいてくれるのだし。私たちの前には、まだまだ先があるからね。だから、焦らないよ。」
欲しかったのは、彼女そのものだ。
彼女がずっと、そばにいてくれるという確実な現実。
これまでみたいに、朝になれば消えるような淡雪のひと時ではなく、根雪のように積もり続けて、解けない雪。
例え解けたとしても、それは大地を潤す水となり、絶えず生命を活かしてくれる永遠の輝き。
そんな彼女が、欲しかった。
そんな風に、あって欲しかった。

「何よりも、大切にしたいんだ。それだけ分かってくれれば、今は良いよ。」
八葉としてではなくて、神子だからではなくて。
男だから、女だから、愛する人だからこそ。
「でも、これまで通り抱き締めて口付けるくらいは、好きにさせてくれるかい?」
それくらい許してもらえないと、男としては辛い、と冗談なのか本気なのか分からないような口振りで、彼は笑いながらあかねを抱きしめた。

「朝までは、まだまだ時間がある。それまでは…そうだな、これからどんな家庭を築いていくか、ゆっくり相談でもしようか。」
新しく始まる、二人で歩いて行く道を、思い描きながら…朝が来るまで。
話したいことは、いくらでもある。
これからの話だけじゃなく、少し昔話をしても良いかもしれない。
出会った時の事を、思い出してみようか。
それとも、せっかくだからこの機会に、この気持ちに気付いた時がいつだったか、互いに探し当ててみようか。


「………どうしたんだい?」
あかねの手が、友雅の袂をぎゅっと掴んだ。
胸に顔を押し当て、黙ってうずくまるような格好の背中に、彼は手を回す。
「あの、友雅さん…」
「…?」
「あ、あの………」
袂を掴む手は強くなり、しわばかりが伸びる。
けれど、声が途切れて言葉にならない。思っていることが、口に出せない。

…嬉しいんです、そんな風に思ってくれてる友雅さんの気持ちが。
まだまだ子供の私なんかを、大切にしてくれる気持ちが、とても嬉しくて。
好きになって、良かったって…心から思ったんです。
だから…まだ全然、友雅さんの奥さんになれる自信はないけれど。
でも、それでも好きだから…

だから-----------。


「…何も言わないで良い。その気じゃなければ、そのまま目を開けていれば良い。でも、もし…そうじゃなければ……ゆっくり、目を閉じて。」
あかねの肩を掴んで、友雅は言う。
明かりは灯り続けている。
しかし、しばらくすると…あかねの視野は暗黒へと変わった。

静かに目を伏せたあと、抱きしめられたままで身体は傾いて行く。
滑らせながら、互いの指先は解けぬように絡み合うと、自然にそれぞれの背中に手が回された。

ゆっくりとゆっくりと燃える燭台の明かりは、長い夜を照らし続ける。
柔らかな色の灯火は、朝日が昇るまでの闇の時間を、その色で暖かく包むように燃え続けていた。

だが、ようやく結ばれた二人にとっては、そんな明かりよりも何よりも、暖かいのはその人のぬくもりと…隣に寄り添う存在に敵うものはなかった。



***********

Megumi,Ka

suga