Trouble in Paradise!!

 第36話 (3)
十五分ほど過ぎた頃だったと思う。
一人の女房がやって来て、その言葉を告げた。
「失礼致します。姫様のお支度が済みましたが…。少将様、こちらまでお迎えにいらっしゃいますか?」
帝と中宮、そして詩紋が友雅の顔を見る。
他の面々も彼を見たが、その三人の目は他の者とは違っていた。
「……ああ、伺いますよ。彼女の手を取るのは、私だけでありたいからね。」
ゆっくりと腰を上げた友雅は、もう一度廊下へと出ていく。
背中に、二種類の想いを秘めた視線を受けたままで。

「はあ。あいつの惚気台詞聞いてると、かゆくなっちまうぜー」
腕や肩をぼりぼり掻く仕草をしながら天真は笑う。
「それだけ、姫様を想われている証でございましょう。本当に、友雅殿は真剣にお慕い申しているのですね。」
頼久は、何一つ疑いを持たずに、心の底からそう思っているようだ。
確かに間違いではないかもしれない。けれども、その相手が誰であるのか…。
まさかそれが、彼も忠誠を誓ったその人であることなど、考えてもいないだろう。
詩紋は皆の顔を眺めながら、複雑な思いを巡らす。

先程までそばにいた彼女は、再びこの部屋に戻ってきたとき……全く違う人として現れるのだ。
彼に、友雅に愛される女性として。



「……お待たせ致しました。」
その声が聞こえると、一斉に皆の目がそちらに向けられる。
部屋の入口に立っていた彼は、伏せていた目を開いて顔を上げた。
いよいよ、だ。
彼女の手を引いて中へ踏み込めば、皆が驚く顔を見ることになる…。
「あかね姫をお連れ致しました。我が心を捕らえた、最愛の姫君……さあ、こちらへどうぞ。」
戸の陰に佇む彼女に手を差し伸べると、暖かなぬくもりを持った小さな手が、彼の手に重なる。
握りしめようとすると、その手はかすかに震えて。
華やかな袿から覗く足のつま先は、硬直して一歩前に動くことも難しそうで。
戸惑いで少し潤む瞳が、不安そうにこちらを見ている。

「……おいで、姫君。皆に、私だけの君を紹介してあげるのだから。」
そっと彼女の手を握り、ゆっくりと自分の方へと引っ張ってやる。
静かに一歩、半歩でも良い。前に向かって、こちらにおいで。
何も尻込みなどしなくても良いんだ。
もう、私たちの気持ちを隠す必要はないのだから。
さあ…もっとこちらへ……。
友雅は彼女の背を支えるように腕を伸ばし、その姿を皆の前へと連れ出した。


「初めてお目に掛けるよ。彼女が私の姫君…あかね姫だよ。」
すぐそばで、友雅の声が聞こえる。
そして、肩をしっかりと抱いてくれている、彼の手の感触。
「私がこれからの人生を、共に生きていこうと誓った、ただ一人の女性だ。」
友雅は、自分のことを紹介してくれた。
だけど…皆からは全く声も上がらず、無反応。
あかねはひるんでしまい、目も開けられず顔も上げられなくなった。
どんな目で見られているのか気になったが、それよりも反応が返ってこない怖さの方が大きくて。
隣に彼がいてくれれば、どんなことだって怖くはないと思っていたのに……今は全く正反対だ。

「友雅、そんなところで立っていないで、姫を連れて中へ入って参れ。」
どうやら全員放心状態のようで、このままでは先に進めそうにない。
誰かがアクションを挟まなくては…と、真っ先に動いたのは帝だった。

彼に連れられ、隠れるように小さくなりながら、あかねは部屋の中へ入ってくる。
さほど時間は掛けられなかったが、女房たちは随分と頑張ってくれたようだ。
晴れの唐衣には及ばずとも、重ねの色合いも美しい袿姿に仕立ててある。
長い髢を腰まで垂らした姿は、お世辞なくともなかなかに華やかで見目麗しい。
「こうして京も、穏やかさが戻ってきた。そなた方も、やっと落ち着いて身を固められるな。」
「はい。これまでは八葉の任もございましたから、それらを優先しておりましたが…ようやくこれからは、姫の為に生きることが出来そうです。」
「ホントにねえ。やっとこれで、貴方もこそこそしないで逢瀬を楽しめますわね」
中宮の言葉に、友雅はあかねの肩を抱いたまま、微笑みを返した。
しかし……そんな中宮のそばにいる、妹の藤姫の表情は……。


「そ、そうだな、二人の婚儀は…いつが良いだろうな?早いうちに…執り行った方が良いか?」
もう結構時間が経っているのに、未だに反応がない八葉たちの様子を見た帝は、さすがに焦りだした。
このまま膠着状態ではまずい。とにかく再び会話を持つタイミングを…。
「早めに、が良いだろうな。ああ、そうだな…すぐにでも神…っ、いや、あかね姫の婚儀の装束を仕立てて…」

「……ちょ、ちょっと待ったぁーーーーーーーっ!!!!」

一昔前の恋愛バラエティ番組の名台詞みたいな叫びが、部屋の中に響き渡った。
声の主は、天真。彼は身を乗り出して、あからさまにパニックを起こしている表情で友雅を見る。
「な、何言ってんだ!?おい!友雅!おっおまえの姫さん…おまえの嫁になる姫さんをっ…紹介する約束じゃねえかよおっ!」
「そうだよ。だから今、こうして紹介しただろう?」
ぐっと肩を引き寄せられた拍子に、それまで閉じていた目が開いてしまった。
そして目の前に見えたのは……驚愕の表情の天真と、呆然としている八葉たち。
そして…硬直して身動きも出来ないでいる藤姫。
「どうしたんだい?皆、姫の眩しさに声も出ないのかな?」
友雅は既に開きなおったようで、もうこの状況に迷いさえも見せない。
が…まだあかねの方は、戸惑いが抜けない。

「…あ、貴方は以前、私が神子殿との関係をお尋ねした時、相手は神子殿ではないとおっしゃったではありませんか…っ」
天真に続いて切り出したのは、鷹通だ。
そう、彼に尋ねられた時、確かに友雅はそう答えた。
「言った通り、私が娶るのは神子殿ではないよ。」
「同じ白虎である私までも、騙していたのですか…っ!?」
「騙してなんていないよ。同じ女性であっても、私が娶るのは…"元宮あかね"という全く別の女性だよ。神子殿ではない。」
神子である彼女はいらない。
もう、八葉の役目を終えた自分には、神子は必要ない。
欲しいのは、愛することの出来る女性としての…彼女。
二人で過ごしてきた時間の中で育んだ、想いを交わしあえる、その人だけ。

「そんな冗談のようなことが、通ると思っているのですかっ?神子殿、貴女までどうしてこんな…」
友雅とあかねを、交互に鷹通は見る。
何故彼女までもが、こんな口車に乗ってしまったのか。
納得出来ない、と言いたげに。

「ご、ごめんなさい…!あの、私が好きになっちゃったのがいけないんですっ!!」
固まった空気に耐えられなかったのか。
咄嗟にあかねは友雅の腕を振りほどき、その場にひれ伏してしまった。
「わ、私が神子の立場をわきまえないでっ…勝手に友雅さんのこと好きになっちゃったからっ…だからそれで……」
いつ、どんなきっかけでこの想いが芽生えたか。理由もはっきりしていない。
だから気付いた時には、どうしようもなかったのだ。
こんな切ない想いを、どうしていいか分からなかったのだ。
「…友雅さんは、私の気持ちに付き合ってくれただけです!きっかけは…みんな私のせいなんですっ!」
「神子殿……」
華やかな袿の袖で顔を覆い、うずくまるように小さくなっている彼女を、鷹通と、そして永泉が見つめていた。


「鷹通殿。今度ばかりは友雅も、決してふらついた気持ちではないのだよ。」
はっとして鷹通は、その声に背を伸ばして顔を上げる。
あかねと友雅のすぐそばで、帝はずっとこちらの様子を伺っていた。

「そりゃあ確かにな、これまでの友雅を思い返してみれば、鷹通殿の心配もよく分かる。私もこれまでに何度かは、どうにか二人を諦めさせられないかと思ったこともあったよ。」
「これはまた、主上がそのようなお考えをされていたとは。…今、初めてお聞き致しました。」
「当然だ。そなたの浮き名を知っていれば、一度くらいはそう考えるに決まってるだろうが。」
友雅の言葉に、帝は苦笑いを浮かべながら答えた。



***********

Megumi,Ka

suga