Trouble in Paradise!!

 第36話 (1)
当日の朝になっても、藤姫は落ち着かなかった。
夕べもそわそわしっぱなしで、いつもは誰よりも早く起きて、清々しい顔でおはようの挨拶をしてくれるのに、今日はそれどころではない。
「本当に良いのでしょうか…。私のような、皆様のお力にもなれなかった者が、主上の御前でご一緒に御言葉を頂くなんて…」
八葉や神子と共に、彼女も参内してもらいたいとの旨を、宮中からの使いより伝えられた。
おかげでそれからは、会う人ごとに繰り返し、こう尋ねてくる。
「大丈夫だって。ちゃんと藤姫も、主上から直々に招かれてんだぜ?胸を張って一緒に行こうぜ」
「うん、そうだよ。藤姫は縁の下の力持ちなんだから!」
天真と詩紋に肩を叩かれても、未だに彼女はおどおどしている。

「さあ、そろそろ皆も出掛けようか。」
戸を開けて入ってきたのは、友雅だった。
神子であるあかねはもとより、初めて参内する藤姫はさぞかし緊張しているだろうから、是非同行してやるようにと主上から言われた。
なので、今朝も早いうちから土御門家にやって来たのだ。

「藤姫殿は、神子殿と一緒の車が良いね。詩紋も…こちら側が良いかな。」
「ってことは、俺は頼久と友雅と一緒か?華がねえなあ…」
つまらなそうに天真がぼやくと、やっと藤姫にも笑顔が浮かんだ。
普段ならば頼久と天真は、堅苦しい車の中で移動するよりも、従者として車と並んで歩く方が気楽で良いのだが、今日ばかりはそうもいかない。
主上の御前に上がる、晴れの日。
さすがに普段着での参内は好ましくないので、直衣程度の正装は必要。
今回は着崩すことも出来ないので、天真は堅苦しくて仕方がないようだ。

「ああ、どう致しましょう…主上の御前になど、私のような身分が…っ」
車が走り出しても、藤姫はぎゅっとあかねの袖を掴んだまま、また同じことをつぶやいている。
「お、落ち着いて藤姫。主上は、そんなに厳しい御方じゃないから…。お優しい方だから、もう少し気楽になっても平気だから。」
「そうは言われましてもっ…ああどうしましょう…っ」
あかねの言葉を聞いてはいるが、それらはするっとすぐに通り抜けてしまって、がたがた手を震えさせながら、藤姫は軽いパニックの途中。

…主上に御会いする前から、こんなに緊張してる藤姫だもん。
友雅さんとあかねちゃんの事を知ったとき、一体どうなるんだろ…。
詩紋の心配は、今目の前でわたわたしている藤姫ではなく、この後にやってくる一大事のあとの彼女のことだった。



「では、姫様はもう参内してお待ちなのですね?」
「ああ。初めて皆の前に紹介するのだし、やはり美しいお姿で皆にお目にかけたいのでね。女房殿方にお願いして、支度を整えて頂く予定なのだよ。」
今日は帝より、感謝の意を賜るための参内である。しかし、実はもうひとつ重大なことがある。
兼ねてから噂の種になっている、友雅の未来の奥方…。
その彼女を、いよいよ皆の前に紹介することになっているのだ。
「おまえがそこまで熱を上げてるお姫さんかあ。どんなんだろうなあ…」
「ふふ…楽しみにしていて良いよ。とにかく、この世の誰よりも、私の目には輝かしくて、眩しく映る姫君だからね、」
友雅はそう答えて、満足そうに微笑む。
その笑みには、これから愛する人に会える、その至福感が込められていた。

…神泉苑のことは、考え過ぎか…。
頼久と雑談をしている友雅を、ぼんやりと眺めながら天真は考えた。
色恋には百戦錬磨であろう友雅は良いとして、彼と話していたあかねの様子を見ても、別にぎくしゃくした雰囲気は無かったし。
急にあんなことされたら、疎遠がちになりそうなものだけど…。
……女ってそういうことには、結構あっさりしてるもんなんかなあ?。
やはりまだ自分には、女の心は全く理解出来ないな、と天真は頭を掻いた。



そして場面は変わって、清涼殿。
こちらもまた、明け方から慌ただしい空気が漂っていた。
本日、神子たちが参内することは兼ねてからの予定だったが、もうひとつの事態は数日前に急遽決まった事である。

「どうだ?姫の支度の用意は、整っておるか?」
女房たちがせかせかと歩き回る部屋に、帝が顔を出した。
もう少し時間があろうものなら、新しく袿のひとつでも仕立てられたのだが、今回はそんな余裕も無い。
帝の命により、昨日から数人の女房たちは宮中全体を家捜しし、あかねのサイズに合う袿をやっと数点見つけて来た。
「時間が掛からずに、もっと簡単に着衣出来るもので、色と文様の美しいものはないか?」
「ですが主上、今日は露顕(ところあらわし)にも通じる、晴れのお披露目の席でございます。あまり簡素なものは、姫様には相応しくありませんわ。」
「ううむ…そうはそうなんだがなあ…」
そう言われて、帝は頭をひねった。

何せ友雅と相談して決まった予定では、彼らへ感謝の言葉を告げたあと、小休止を取ったあとに彼女を皆に紹介する、という段取り。
その時間に、あかねを何とか都合つけて外へ連れ出し(姫の支度を手伝ってくれ…など云々)、装束に着替えさせて、正装でお披露目する…というつもりなのだ。
合間の時間は、決して長く取れるわけじゃない。
果たして短い時間で、どこまで彼女を着飾ることが出来るか。
「主上、お任せ下さいませ。私共も全員で、姫様のお手伝いを致しますので。」
女房たちが微笑んで答えると、八葉たちがほぼ内裏へ到着したようだ、と従者が告げにやってきた。


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「お、今日はいつもよりおめかししてんじゃん、藤姫」
既に到着していたイノリが、正装の藤姫を見て声を掛けた。
藤姫も通常より仕立ての良い唐衣。あかねもそれほどではないが、やはり袿と髢を身に付けての昇殿となった。
「お二人とも、よくお似合いですよ。」
「ああ、鷹通殿…。私など主上の御前に上がって、よろしいのでしょうか…」
鷹通の顔を見たとたん藤姫が言うと、後ろから天真が笑いながらやって来た。
「もー、今朝からずっと藤姫、この調子。何回俺ら、この言葉を聞いたか。」
小さな手をふるふる震わせ、周りを見渡すことも出来ない彼女を、鷹通たちは宥めながら中へと上げる。

「初めて主上に御会いするのだから、緊張も半端じゃないのだろうね。」
あかねと詩紋のそばに来た友雅が、藤姫の姿を眺めながら言った。
年はまだ幼くても、どこを見ても綺麗な貴族の姫君として通る。そんなに緊張することもないのに…とあかねは思う。
「神子殿は、もう何度も主上と御会いしているから、それほど緊張することはないだろう?」
「そ、そんな事はないですよ!私だって、全然慣れませんよ!」
いくら懇意にしてもらっていると言っても、相手が一国の主であることには変わりないのだから。

そんなあかねの肩に、友雅がそっと手を添えた。
「少しは堂々として。君は、主上の遠縁の姫君のはずなのだからね?」
「で、でもっ…」
藤姫とは別の意味で、あかねにはあかねの緊張がある。
友雅が言うように、自分は帝の遠縁の娘で…彼の妻になる女性であること。
一部は偽りであっても、結論は同じ。
それを今日、みんなに打ち明けなければならない……。
「打ち合わせ通り、主上とのお話が済んだら、別部屋に連れて行くからね。」
耳元で、囁くような友雅の声。
「天真たちに、姫君の美しいお姿を披露すると約束したんだ。綺麗に着飾って、私のところへ戻っておいで。」
「…は、はあ…」
「私にとっては、今でも十分美しいけれどね?」
ひゃっ、とあかねは小さな声を上げた。後ろから、耳朶に唇で触れられたせいだ。

「あ、あのー…友雅さんっ、そ、そろそろ行かないと!」
二人の会話が照れくさくて、ずっと友雅の後ろに隠れていた詩紋が、背中を突きながら急かす。
あかねは振り向いて顔を上げると、彼は微笑んで見下ろした。

いよいよこの時がやって来たか。
もう一つの、ラストステージの開幕だ。


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Megumi,Ka

suga