Trouble in Paradise!!

 第35話 (1)
その日は朝から、涼しい風が吹いていた。
見上げれば良い天気だ。青い空が広がっている。
こんな季節は、頬に当たる初夏の風が心地良い。

寺の住職に献上物を預かり、永泉は内裏へとやって来た。
帝への謁見とは言っても、本来は兄と弟。特に永泉の性格を知る殿中の者たちは、彼を昼御座へとすぐに通した。

「どうした、永泉。」
住職からの経文に目を通していた帝だったが、永泉の様子にふと疑問を感じて手を止める。
「…妙に今日は上の空と言ったようだな。何かあったか?」
「え、あの…いえ…別に何も…」
とは言いつつも、視線は目に見えないものを追うようにして、宙を泳いでいる。
すると今度はうつむいて、ぼんやりと考えるような仕草をする。
「何もないわけはなかろう…。弟の異変を気付けぬほど、愚かな兄ではないよ。」
「そのようなことは…」

昔から、他人の言葉に敏感な弟だった。
凡人には些細なことでも、繊細な永泉の心には傷になりかねない。
兄弟であることは変わりないのに、法親王と今上帝となった現在では、二人の立ち位置に段差がある。
それでも、たまにこうやって二人でいる時くらいは、弟の重荷を少しでも労ってやりたいと思う。
「気になることがあるのなら、私に申してみろ。私でも力になれるかもしれぬ。一人で悩むことはないのだよ、永泉」
か細い肩に背負った何かを、半分でも良いから代わりに背負ってやれれば。
そう思いながら、帝は永泉の肩を叩いた。

まさか永泉の口から、そんな言葉が飛び出してくるとは知らずに。


+++++


「今すぐにお届けに向かうのですか?」
「すぐだ!出来る限りに早く使いの者をやれ!」
午後になり、友雅が訪れた清涼殿は、何やら騒がしい空気に包まれていた。
今日は、帝に呼ばれているわけではない。
少し相談を持ちかけようとやって来たのだが…忙しそうに行き来する男たちの声が響いている。

「随分と騒がしいようだけれど…何か予想外の事でも?」
友雅は、どたばたと殿中をかけずり回っている宰相の一人を呼び止め、この騒ぎの理由を聞いてみようと思った。
しかし宰相は友雅の顔を見たとたん、驚きの声を上げる。
「たっ、橘少将殿っ!!!」
別に驚かれるような事はしていないはずだが。
頭を掻いて眉を潜めると、周囲から男たちがわっと集まって彼を取り囲む。
「どうしたのです?私がここにいるのは、それほど珍しいことですか?」
「……よくぞお越し下さいましたあ!!」
男にしがみつかれるのは、あまり好ましくないな、とぼんやり考える。

「おい!少将殿はこちらにいらしておる!使いは出さぬで良い!」
宰相は、外に向かおうとしていた男を、大声で呼び止めた。
……使い?自分のところに、帝は使いを出すつもりだったのか?
しかも随分と慌ただしくだ。急に呼び出すような問題が発生した、と考えるのが普通だろう。
何があったのだ?まさかこの期に及んで、再びアクラムたちが復讐劇を仕掛けてきた…とは思いにくいが。

呼び止められた男は、二つのうちひとつの文を宰相に引き渡しに来た。
「では、土御門家の方のみ、お届けに行くよう告げて参ります。」
彼は宰相にそう答えると、たたたっと友雅たちの目の前を横切って行く。
「少将殿はこちらへ!主上より、大切なお話があるとのことです。」
「待ってくれませんか。土御門家へ使いとは…あちらにも関係する何かが?」
宰相は、振り向かずに首を左右に振る。
「私は全く…。ともかく、御前までお上がり下さい。」
有無を言わさないけたたましさで、友雅は昼御座へと引きずられるようにして連れて来られた。



「友雅っ!!そなた…よくまあ都合良く、ここに来てくれたな!!」
「…私も、主上にお耳をお貸し頂けないかと、参内したのですが…一体この騒ぎは何なのですか?」
まだ墨を含んでいる筆と、投げ出したままの和紙。
そして深刻な帝の表情……ただごとではない。
自分と土御門家に、帝から言伝が掛かるとは…大体の話の筋は予測できる。
だが、昨日三人で話し合ったばかりなのに、急展開があるだろうか?
確かに友雅自身も、そういう意味でやって来たわけだが…帝側が何故こんなにも慌ただしいのか。
「そっ、そなたらは下がれ!私は友雅と、重大な話がある。誰も部屋には近寄らせぬように!」
帝は外の者たちに高らかに指示すると、ぐいっと友雅の腕を引っ張りながら、御座の隅へと移動した。

「どうかなさったのですか?土御門家の方へも、使いを出されたとお聞きしましたが。何か私と神子殿のことで…?」
友雅が問い掛けると、帝は少し腕組みをして考え込む。
しかし、それはわずかの間だけで、次の瞬間に驚くべき言葉を告げた。
「……友雅。そなた方、出来るだけ早急に婚儀を執り行うことを勧める!」
「は?」
今のは、空耳か?
自分が少しでも早く、彼女と結ばれたいと思っているから、都合の良いように聞こえたのだろうか。
兼ねてからあかねには、くれぐれも慎重にと念を押していた帝が、そんなことを言うはずがない。
ないのだが……。

「すぐにでも、二人の関係を公表した方が良い。」
「それはつまり、今すぐ夫婦の契りを結んでも良いとの、お許しですか?」
「不埒な考えばかり、先に想像するな!」
ぱしっ!と帝の持っていた扇が、友雅の頭へ衝撃を与えた。

「…永泉が、そなたらのことを気にしているようだ。」
叩かれた拍子に乱れた髪を払っていると、ふう…と溜息が近くで聞こえ、そのあとに帝はこんなことを話し始めた。
「先日の神泉苑での一件のあと、どうやら二人のことが気になって仕方がないらしくてな。」
永泉の口から、帝は神泉苑での一通りを聞かせてもらった。
友雅が仕掛けた罠は、上手い具合に全て思う通りに進んで、血なまぐさい戦いにはならずに済んだ。
それは良かったが…友雅があかねを姫君に仕立てたおかげで、周囲はちょっとしたパニックに陥ったのだ、と。
肩を抱き、甘い言葉を囁く程度なら良い。
だが、まさか目の前で唇の逢瀬まで見せられるなんて…。
それは、本来姫君のような相手としか、認められない事なのではないか、と顔を赤らめながら永泉はこぼした。

「馬鹿者がっ。そなたが調子に乗るからだっ。永泉はおまえとは違い、まだ純情なのだぞっ!」
「はあ…左様で。あの程度でしたら、平気かと思ったのですが…」
本心は、もう少し濃厚な牽制を仕掛けたかった…とは、さすがに言えない。
多分帝の扇が、ふたたび容赦なく頭を直撃するだろうと思ったので。


広い昼御座の隅っこに、大の大人の男が二人で縮こまりながら談義をしている。
傍目から見たら、妙な光景だと首を傾げるだろう。
しかもそれは、左近衛府の少将と帝だ。
「ともかく、どのみちそなた方は結ばれるのだ。なら、早いうちに全てを皆に公表してしまった方が良い。いつまでも、隠し通せることではないだろう。」
帝が言うと、友雅は静かに笑みを浮かべる。
「そのような言葉を、主上の口から申して頂けて光栄です。私も、そのような理由でこちらに伺ったものですから…」
「…そなたの方も、誰か感づいた者がいるのか?」

そのあと、友雅はここにやってきた理由を打ち明けた。
帝は最後まで、黙ってそれに耳を傾けたが、聞き終えたあとに再びひとつ、大きな溜息を吐いた。


***********

Megumi,Ka

suga