Trouble in Paradise!!

 第32話 (3)
天を覆っていた雲が薄れて行き、狭間から明るい光が差し込み始めている。
「おい…成功した…のか?」
やや放心状態にある天真たちは、互いに顔を見合わせながら、この現状を確かめようとしていた。
「おそらく、問題はなかろう。アクラムからは邪気が消えている。」
一種の記憶喪失のようなものだ。
災いをもたらす感情のみを封印した、それだけのこと。
「我々の事は、もうあの男の記憶にはないだろう。ただし、一人間としての常識的な感情は、そのまま残っているはずだ。」
「では、これからはもう…」
泰明の話を聞きながら、鷹通たちは敵の様子を静かに眺めていた。

と、急に友雅があかねの肩を抱いて、くるりと振り向いた。
「皆もご苦労様。これで私たちの仕事は、無事終了だね」
にこやかに微笑みながら、彼はこちらに向かって歩いて来る。
その表情には疲労も何もなく、いつも通りの和やかな面持ちのままだ。


「さて…じゃあ帰ろうか。」
「えっ!?お、お待ち下さい友雅殿!まだこれから…」
すたすたと前を通り過ぎようとした友雅を、慌てて鷹通が呼び止めた。
「これから…って、何かすることがあるのかい?」
すること、と言われても…ぱっとは思い付かないが。
ただ、いくら事が済んだと言ったとしても、あのまま鬼たちを放置しておいて良いものか?
「平気だよ。首領が企てなければ、彼らは悪さなんで出来やしないさ。」
「ですが…」
頼久は眉を顰めながら、鬼たちをもう一度見る。
友雅の言う通り、アクラムの心を封印して万事解決で…大丈夫なのか?
セフルやシリンたちが、反逆を起こすことがないと言えるのだろうか……。

「心配性だねえ、君らはまったく」
不安げな表情の頼久たちを見て、友雅は苦笑しながら向きを戻した。
そして彼は、あかねを鷹通たちに預けて、一人で鬼たちの方へと進んで行く。


「そういうわけで、これにて終了だけれど…満足かい?」
友雅はシリンに、にっこりと微笑みかけた。
彼女は何も答えない。
どこか悔しい表情もあるが…複雑な心境というのがぴったり来るような、そんな面持ちで友雅を見上げる。
「おまえっ、よくもお館さまをっ…!」
食って掛かろうとしたセフルを止めたのは、イクティダールだった。

「これからは、本当に穏やかに我々は生きて行けるのだな?」
「君らが明るい将来を築きたいと思うのなら、そうなっていくはずだよ。」
友雅はイクティダールと共に、アクラムに寄り添うシリンを見下ろす。
「ね、いばらの君。彼は今や何もかもまっさらな、無垢な状態だ。それをどう染めて虜にしてゆくかは…君の力量次第だよ。」
恋も愛も何も知らない。
その幸せさえも知らずにいた彼は、今までそんな感情をはね除けて来た。
しかし今は違う。無防備な白紙状態で、来るものを拒まない開放的な状況にある。

「まあ、せいぜい頑張ってごらん。私の姫君の魅力には、絶対に敵わないだろうけれどもね。」
「…誰が、あんな小娘に負けるもんか!」
最愛の姫君を"小娘"呼ばわりなどされたら、普通なら大人しく黙っていないところだが…まあ今回だけは、見逃してやろう。
これから十分に恋の時間を楽しめば、他人の事など構う暇などないだろう。

「君も、君なりに頑張って恋を成就すると良いよ。」
イクティダールを見て、友雅は笑うと背を向けてその場を立ち去った。
まだまだ困難な道はあるだろうが、幸せを掴みたいと願うなら歩いて行けるはず。
決して、一人で歩く道ではないのだから。



「さあ、屋敷に戻ったら…少しゆっくり休もうか。」
朝も早かったし、緊張して眠れなかった者もいるだろう。
帝への報告もしなくてはならないが、それは日を改めてまた明日ということで。
「…きゃ!」
あかねを軽々と抱きかかえて、友雅は外に向けて歩き出す。
「ご苦労様、神子殿。よく頑張ってくれたね。これで何もかも、おしまいだ。」
着いて来る天真たちに気付かれないよう、そっと彼女の頬にキスを落とした。

おしまい。
これで……私に与えられた役目は、これでおしまい。
これからは、みんなが穏やかに暮らせる京が戻って来るんだ…。
方法はどうであれ、私、ちゃんと仕事をこなせたんだ…。
そう思うと、急に身体の力が抜けて来た。

「屋敷に着くまで、眠っていておいで。私がずっと、抱いていてあげるから。」
友雅の声が耳元で聞こえて、何となくホッとしたあかねは目を閉じると…すぐに意識が途絶えた。

………寝顔を眺めているだけなんて…もうこれっきりにしたいけれどねえ。

笑いながらつぶやいた友雅の言葉は、眠るあかねの耳には届かなかった。


+++++


土御門家に到着し、眠っているあかねを起こさないよう、床へ寝かせたあとで皆は別の部屋へ移動した。
今朝、立ち寄ったばかりの屋敷の光景は、何ひとつ変わってはいない。
雨の雫もなく、生き生きとした初夏の緑が庭を彩っている。

「……皆様、本当にこれまでご苦労様でした…。」
藤姫は深々と、八葉全員に三つ指をつき頭を下げた。
わずか数ヶ月。龍神からの宣告で選ばれた八葉と、異界から招かれた神子に任せるしかなかった、鬼の呪縛。
それも今やっと、こうして何もかもが解き放たれた。
「神子殿はお疲れになっているから、二、三日はゆっくり休ませてあげると良いよ。細い身体で、あんなにも頑張ってくれたのだから。」
「ええ、そうして頂きますわ。本当に…どれほど感謝をすれば良いのでしょう…」
隣の部屋で眠るあかねを、思い描きながら藤姫はつぶやいた。

「もう京は一安心なのだから、これからは神子殿の好きなことをさせてあげるのが良いんじゃないかな」
「好きなこと…神子様が好きな事、ですか?」
友雅の言う言葉に、一瞬藤姫は大きな黒い瞳を戸惑わせた。
「うん…。例えば…神子殿は快活な方だからね。これまでは、自由にあちこちをふらりと出掛けることも、出来なかっただろう。だからこれからは、少しは気楽に好きなところへ、
出掛けさせてあげても良いんじゃないかな?」

ぴく、と隣にいた詩紋の何かが感知した。
こっそりと友雅の顔を覗き込むと…いつものようににこやかだが、何か考えがありそうな気配も…。
「そうですわね…。もう、町もそれほど心配はないでしょうし…」
「ま、勿論時間が合うなら、私が付き添ってあげても良いしね。」
…友雅さんっ、もしやそれが狙いなんじゃ!?

「今後も、私の姫君の話し相手に付き合ってもらいたいし。それに、婚儀の用意も…あるからね。」
やっぱりそういう理由でですかー!友雅さんー!
わたわたと焦る詩紋を見て、友雅はにっこり微笑んでみせた。


そう、これから大切な本番が待っているんでね。

さあて…どうやって私の最愛の姫君を、君たちに紹介してあげるか。
それの方が、鬼退治よりもずっと、頭を悩ませることなんだよね。



***********

Megumi,Ka

suga