Trouble in Paradise!!

 第29話 (2)
「イノリ、君の気持ちは十分理解してはいるけれどもね、いつまでもそんな状態ではいられないだろう?」
朝餉の席くらい、のんびりと過ごしたいと皆思っていたのだが、友雅が切り出した内容を聞いたとたんに、空気は硬くなった。
そして…予想通り、頑なに不満を表に出したのは、イノリだった。

夕べ、イクティダールと会った。
それを聞いたとたんに、彼の表情は険しくなった。
更に友雅が彼と話し、今回の計画に利用出来るかもしれないと言えば、断固反対だと腰を据えた。

確かにそれは無理もないことで、友雅が言った計画は、視点を変えればイクティダールと彼の姉の恋を、成就させるキューピッドにもなりかねない事である。
鬼の男と恋に落ちたことで、周囲からも妙な目で見られ、肩身の狭い思いをしている姉を見ていれば、すんなりそれを受け入れるのは難しいだろう。
しかし、どうにか説得しなくては。
それはきっと、いずれ彼の為にもなることであるはずだから。

「君の姉君殿は、そんな辛い想いをしながらも、彼との恋を止められないんだろう?それだけ、真剣に恋をしているということではないのかな?」
「知った口を聞くなっ!姉ちゃんはっ…気付いてないだけだ!あいつに騙されてるのをっ…」
「確信もないのに、そう決めつけて相手をなじるものじゃない。君がそう口にする度に、姉君殿は哀しい顔をしているんだろう?」
友雅にそのことを言われて、イノリは口をつぐんだ。
皆は黙って、友雅とイノリの会話を眺めている。

「あのね、姉君殿のことを思っているのであれば、まずその哀しい顔を取り払ってあげることだと思うよ。それがどういう意味か、分かるだろう?」
「……」
イノリは歯を食いしばり、苦々しい顔をして何も言わない。
友雅はそのまま、話を続ける。
「本当の恋をすれば、その人のために、その人と生きるために、変われるものなんだよ。目の前に、良い実例があるだろう?」
指先を自分に向け、友雅は笑った。
過去も未来も、そして現在も適当に流れていけば良いだろう…と本気で思って、その場限りの楽しさに浸って生きてきた自分もまた、本当の恋に出会って世界が変わった。
色々な楽しみを味わうより、たった一人の女性と共に日々を生きていく。
その楽しさと充実感は、どんなものよりかけがえのないもの。

「彼が本気で君の姉君殿に恋をしているなら、この計画に逆らうはずはないと思うよ。彼を試すつもりで、こちらに取り込んでみようじゃないか。そうすれば、正解が出てくるはずだよ。」
「ねえ、イノリくん…私もそう思うよ?この計画で、イクティダールさんが本気でお姉さんのことを好きか、見極めることも出来ると思うし…」
あかねもまた、友雅の横から口を挟んだ。
彼が友雅の計画に乗れば、それだけ彼がイノリの姉を思っている証拠。
自分の首領の目的に逆らっても、恋が叶うことを優先するのなら、彼にとって彼女は唯一の女性に違いないはず。
「何も、彼の味方をしろと言っているわけじゃない。試してやろうと言っているだけだよ。あまり深く考えないことだ。」
友雅はそう言って、ぬるめの麦湯を啜った。

「……分かったよ。試すだけなら、かまわねえよ…」
完全に納得した様子ではないが、渋々イノリは最低限のところで妥協した。
一同ホッと胸をなで下ろしたようだったが、それでもイクティダールが友雅の作戦に乗ってくるかは、半信半疑だ。
とにかく、友雅が向こうにアクションを起こしたのなら、様子を伺いながら立ち向かうしかあるまい。

「そういうわけで、これでみんな理解してもらえたかな?彼にはこちらの思惑を半分くらいは伝えておいた。これは賭けだけれど…賭ける意味はあると思うよ。」
「信じても、大丈夫なのでしょうか…」
永泉がうつむきながら、唇を噛みしめる。
「上手く行くように、願うしかありません。でも、彼も私と同じように、恋に一途な男ですからね。愛する女性との幸せのためなら、背に腹は替えられないと思いますよ?」
徐に友雅は、あかねの肩をぽんと叩いた。
はっとして顔を上げると、彼はこちらを見てひとつ目配せをして微笑んだ。

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その日も、あかねは外に出掛けることになっていた。
京の穢れや町を視察する意味もあるが、逆に相手側の意識を向けさせる、囮的な理由もあった。
勿論そうなれば、八葉一人だけでは心許ない。
友雅は着いていくとして、もう一人誰かが同行してもらわねば、いざという時にはやはり不安になる。
さて、誰に着いてきて貰うか…。

「しかしさあ、ホントに上手く行くのかあ?」
「大丈夫。なかなかこちらにとっては、良い風向きになって来ているんだよ。最初に計画した時よりも、ずっと今の方が成功率が高くなっているはずだ。」
「ホントかあ〜?鬼を騙すなんて、出来んのかよ…」
天真はどうもしっくりこない様子で、あかねたちと共に町中を歩いていた。
賑やかな市が立ち並んでいる中、時折天真は声を掛けられる。
暇さえあれば外に出ていく彼であるから、顔見知りも随分と増えたらしい。
川魚を焼いている男や、作物を売っている女の所で立ち止まっては、立ち話をしながらあれこれ貰って来たりしている。

「社交的だねえ、天真は」
人の輪の中で話し込んでいる天真を見て、感心している友雅の背中を、こつんと叩く小さな衝撃があった。
振り返ってみると、そこにいたのは久し振りに見る若い男の顔だった。

「お久しぶりですねえ、少将殿。姫君とお出掛けとは、相変わらず仲が御宜しいことで結構ですね。」
相変わらず晃李はきちんとした表情で、まっすぐに友雅とあかねの姿を、同時に瞳にとらえた。
「どうです?そろそろお二人の進展は。婚儀の日取りも、まとまりつつあるのではありませんか?」
「…そうだね。ま、近いうちにね。」
「それはおめでたいことで。姫君の華やかなお姿、私も含めて皆、早く拝ませて頂きたいと待ち焦がれておりますよ」
恥ずかしそうにうつむいているあかねを、覗き込みながら晃李は言った。

「おーい!あのさあ、向こうで………あ、知り合いと話し中か」
市の者と話を終えた天真が、あかね達のところへ戻って来たが、そこに見慣れない若い公達がいたので、さすがに少しかしこまった。
晃李もまた、初めて見る少し風変わりな青年を、興味深げに見ていた。
「ああ、彼はうちの新参の近衛なんだ。実は姫君の警護の為にと、特別に同行させているんだよ。」
「はあ!?」
今初めて聞いた話に、思わず天真は驚いて声を上げたが、こっそりとあかねは友雅の話に合わせるようにと合図を送った。
「私の大切な姫君の身に、何かあってからでは困るからね。本当なら、二人で忍び合いたいのが本音だけれど、仕方がないよ。」
……オイ、ちょっと調子乗り過ぎじゃねーのかー、オイ…。
あかねの肩を抱き寄せて、そんなことを言う友雅を見ながら、天真は複雑な表情をしながら心でつぶやいた。

「なるほど。また、妙なことがあちこちで起こっているようですからね。巻き込まれては大変でしょう。大事を取って当然のことですよ。」
内容とは裏腹に、穏やかに答えた晃李の口から出た言葉を聞き、友雅はすぐさま何かを感じ取った。
「妙なこととは…何かおかしな噂でもあるのかい?」
「少将殿のお宅では、どうです?実は、私が親しくさせて頂いているお屋敷の橘の木が、ここ数日で枯れているそうで。」
橘の木が枯れている。
常緑樹として、緑を失わない長寿瑞祥の証の橘の木が、枯れるなど普通では考えられないこと。
一瞬、天真とあかねに緊張感が走った。
友雅も見た目は平然としているが、何かしら違和感を覚えているはず。

「物騒な世の中ですからねえ。出来るだけ早くお二人も、心身だけで留まらず、正式に契りを交わされて落ち着くことをおすすめ致しますよ。」
「ち、契りだとぉーーーー!」
言葉をストレートに理解した天真は、脳天から飛び出すような驚きの声を上げた。
慌ててあかねは彼を後ろに連れて行き、何とか落ち着かせるために背中を叩く。
「こ、言葉の綾だってば!あの人は、私がほら…友雅さんのお姫様だと思ってるからっ!だから…!」
「あ…ああ、そうか。そ、そうか…そうだな、そうだったなっ!!はははははっ!!!」
天真は乾いたように笑った。つられてあかねも、同じように笑った。
多分彼は、あかねの言ったことを理解しつつも、違う意味で神経過敏になっているに違いないけれど。

そんな二人から離れた場所で、友雅は晃李と向かい合い続けている。
「このような世の中…あれこれと騒がしい中にいるよりも、心寄せる姫君と結ばれて落ち着くことが、幸せなのかもしれませんねえ。」
まだ年若いくせに、妙に悟ったような口を聞く。
明法博士であるから知的だろうが、それにしては地に足を着いた発言だ。
こういうことを男が言うとき、思い当たる事は難なく浮かび上がる。

「君も、どうやら良い相手が見つかったように見えるが、どうなんだい?」
未来の生活を思い描く口振りをする時は、少なからず目に止まった女性がいるときの良い例。
そろそろ彼にも、そんな相手がいても良い時期だ。
「ええまあ、幸いに良いご縁になりそうな方はおります。」
「それは良かったね。さぞかし良い家柄の、聡明な姫君であろうねえ」
「私も、以前から気に留めておりましたので。経過は順調、と申し上げておきましょうか。」
彼自身頭も良く、父は元大納言と家柄も良い。見た目も理知的でなかなかの男だ。女性の方も彼に言い寄られれば、まんざら悪い気はしないだろう。

「晃李様、それでは浅見家までお届けに行って参ります。」
いくつかの荷物を手にした従者が、晃李のところへやって来てそう告げた。
彼はよろしく頼むと声をかけた。
「…浅見家の姫君かい、君の目に止まった女性というのは」
友雅が言うと、晃李は少し誇らしげに彼を見て微笑む。
「ええ。瑠璃姫は美しく物腰も雅やかな御方です。もちろん、少将殿の姫君には敵いませんが。」
……そんなこと当たり前だろう、と言いたい気分を押し殺して、友雅は笑顔でうなずくだけに留まった。

浅見家の三の姫…。以前何度も文を送って来たことがあったな、と思い出した。
通うことはなかったが、数度和歌を交換したことだけは覚えている。
宴に誘われたり、相変わらず相手からの文は続いていたが、そういえば最近ぷっつりと途絶えていたのを、今思い出した。
なるほど。
既にあかねを娶ると決まったからには、これ以上念を押していても仕方ないと諦めて、別の男に移ったか。
または…晃李の根気に負けたか…。

まあ、理由はどうでも良い。
どのみち、付き合うつもりはなかったし…何より、もうあかね以外の女性など、目に入って来ないほどの、激しい恋に陥ってしまったのだから。



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Megumi,Ka

suga