Trouble in Paradise!!

 第24話 (3)
月はゆっくりと頭上へ移動して行き、灯籠の明かりは水辺を照らす。
青い夏草の香りが夜風に乗り、鼻をくすぐる。
「油断はするもんじゃない、って。ふふっ…神子殿に、あんな風に怒られたのは初めてだ。」
「そりゃ…あかねちゃんは…友雅さんの事が本当に心配だったから…」
怒ったわけじゃなくて、じっとしていられなかったんだろう。
彼に危険が迫っていることに対して、それを阻止出来る方法を模索しながら。
「だって友雅さんは、あかねちゃんにとっては…大切な人だし……」
「私が八葉だから?」
「……そんなの、友雅さんが一番良く知ってるじゃないですか…」
小さな唇を少し尖らせて言う詩紋の頭を、友雅はくしゃっと優しく撫でた。

「真剣な顔で怒られるのは…悪い気がしないね。それほど、自分を大切に想ってくれているって、そう感じられる。」
闇に包まれた空を、黄金色の月が柔らかく光らせている。
夜空を見上げて、友雅は目を閉じて彼女の表情を思い浮かべる。
「想い焦がれた人に、そう言われるのなら尚更だ。おかしなものだね、怒られているのにどこか嬉しい気がするよ。」
必死になって自分の腕にしがみついて、瞳を潤ませながら、その手を震わせて。
願い乞う彼女の表情と、真っ直ぐな想いが今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
「本当は…一番危険に晒されているのは、彼女だろうにね…」
視線を遠くへと投げかける。
遣水が流れる向こう側。うっすらとしか見えない池の景色。
そこに面した寝所で眠る、彼女の寝息に耳を澄ます------聞こえるはずなど、ないのだけれど。

「お互い、気を引き締めてかかろう、詩紋。」
「…はい。」
近付いてくるその時に向けて、二人はそう言って意識を確認し合った。

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初夏の朝は早い。
横になって眠りについたのが数時間前かと思ったら、もう外は灯籠の灯さえ目立たないほどの明るさだ。
小鳥のさえずりが、寝起きの耳に聞こえている。
見慣れない部屋の様子に、ここは土御門家だったのだ…と友雅は気付いた。

結局、これと言って何も変わりのない夜が明けた。
あかねが頼久に頼んで、武士団の何人かを屋敷の警護へ出向かせたが、あちらで変化があれば、慌ただしく連絡が入るだろう。
そんな気配もないようだし、取り敢えず一夜は無事に朝を迎えられたようだ。
蔀からは、外の清々しい朝の空気。
廊下の方からは、遠くに足音がいくつか聞こえる。
朝餉の用意をしている、侍女たちのものだろうか。
日常的な光景が、今日も始まろうとしている。

だが、それらがいつ崩壊するか分からない。
改めて今、自分たちのいる京が淀んでいることに気付く。
そして、それを清めるのは、彼女の力しかないことに。
すべてが、彼女に委ねられている。希望も、そして危険も。

自分に何が出来るだろう。彼女を護る為に、何が出来るだろうか。
考え出した策は、相手を上手く使えば成功率は高いはずだ。危険性は少ない。
あとは、タイミング次第。チャンスを狙えば、無事に京は元の平穏を取り戻すだろうし、彼女の身の安全も保障される。
武官として生きて来た身ではあるから、最悪相手を消去することになっても、それはそれで割り切れる。
だが、彼女は…こんな世界で生きていた人ではないから。
それを後々まで引きずって、夢見の悪い一生を送らせるなんて可哀想だ。

出来るだけ平和な方法で…。
はた目から見れば、ばかばかしい策かもしれないけれど、それで誰もが傷つかずに事が済めば最良だ。
誰もが…ではなくて、最低限彼女が傷つかなければ良いのだ、というのは身勝手な本心ではあるが。
「さて、本気で頑張ってみるとしようか…。」
そうつぶやいて友雅は起き上がり、簀子に降りて身体を延ばしながら新しい空気を吸い込んだ。


「あ、おはようございます」
部屋から出ると、向こうから詩紋がやって来た。
随分早くから起きているのだな、と尋ねると、朝餉の用意を少し手伝っていたのだ、と爽やかな笑顔で答えた。
「友雅さんも早いですよね。まだみんな起きていないですよ?天真先輩と頼久さんは、もう随身所で剣の練習をしてますけど。」
「真面目だねえ、二人とも。」
そう言って笑う友雅の手には、彼が纏っていた衣が握られていた。

「え、もしかして…帰っちゃうんですか!?」
「まあね。っていうか、少し時間は早いけれど、これから内裏の方へ行ってみようと思ってね。」
こういう状況であるから、内裏周辺も一応警備をしてみるべきだろう、と友雅は言った。
「せっかく朝ご飯、友雅さんの分も用意してたんですよ?」
「悪いね。こういう時じゃなければ、ゆっくり味わいたいんだけれど、真面目に取り組もうと夕べ誓ったばかりだしね。」
柄にもないけれど、一生に一度くらいはこんな風に本気になるのも良いだろう。
その先には、最愛の人の笑顔が待っていると思えば。

「そうだ、詩紋。帰る前にひとつだけお願いしたい事があるんだけれど、聞いてくれるかな?」
渡殿を共に歩いていたとき、友雅は詩紋を呼び止めると、そっと耳うちをするような小さな声で何かを言った。



母屋もまだ人気はなく、もうすぐ朝が明けようとしているのに、未だに静けさが広がっている。
詩紋に外で見張りを頼み、友雅はそっと戸を開けて足を踏み入れた。
ほのかに香るのは、侍従。以前、彼女に自分の香を分けてやったものだろう。
香炉は彼女の枕元に置かれていて、既に燃え尽きてしまっているが、その香りは部屋の空気に溶け込んでいる。
夕べあんなに戸惑っていたのに、瞼を閉じて眠りについている彼女の表情は、今はとても穏やかだ。
何の不安もなく、静かな寝息だけを吐き出して、横になったままの姫君は目を覚まさない。

……起こしてしまうのは可哀想だから、寝顔を眺めるだけにして出て行くよ。
もう少し、優しい夢の世界を味わっていると良い。目が覚めれば…現実はそれほど和やかなものではないから。
でもね。
そんな風に、君が安らかに暮らせるような…そんな現実が戻って来るように、私なりにこれから頑張ってみるから、もう心配などしなくて良いよ。
そう、君のためであり、それは私のためであり、二人のためだからね。
君が悲しまない世界が来るように、私は君を護るよ。
……君の存在が、私を護ってくれているみたいにね。

触れたら目を覚ましそうだから、頬に掛かる乱れた髪だけに、そっと唇を寄せた。
その髪の毛に染み付く、自分と同じ侍従の香りが愛しく想えて、抱きしめたい衝動を堪えながら友雅は静かにその場を後にした。


「待たせて悪かったね、詩紋。」
「いえ…。あかねちゃん、起きてました?」
友雅は首を横に振ると、音を立てずに戸を閉めた。

「良いんですか?会わないで帰っちゃったら、あかねちゃん寂しがるかも…」
薄手の衣をくるりと肩に巻いて、前を歩く友雅の後を詩紋が着いて行く。
「寂しがる前に、また会いに来るよ。」
寂しかる暇なんて、与えるものか。
それよりも先に、きっと自分の方が寂しくて仕方なくなるだろうから。



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Megumi,Ka

suga