友雅の腕の中で、あかねは何も言わずぼんやりとしていた。
どれだけ時間が流れたか分からないが、それでも彼は抱きしめてくれている。
無駄に言葉をかける事も無く、彼女が自分から動き出すのを待っている。
「……はぁ」
こつん、と胸に額を当てて溜息。もう、何度目になるだろう?
雅な香りの残る衣の柔らかさと、包み込む暖かさが心地良くて。
「落ち着いた?」
ようやく、友雅が声を掛けた。
「………身体に力が……」
くたくたした口調で、あかねは友雅の胸に顔を埋める。
どうも身体に力が入らない。これを、脱力感というのだろう。
手も足も腰も、へなっと力が抜けてしまって立っていられない。だから、彼に支えてもらっている。
あまりにも突然にやってきた、彼からのプロポーズ。
夢見ていた事ではあっても、それが現実になるとパニックに陥ってしまうようで。
きっと冗談だとと思う半面で、でも…もしかしたら?とか自分に都合良く期待を抱いてしまったり。
その度に"あり得ない"と思い返して、それでもまた"だけど…"と、ぐるぐる同じところを行ったり来たりして、さすがに疲れ果てていた矢先の出来事。
……信じても良い?夢…じゃないよね?…でも、やっぱり夢…?
とてもリアルな、甘い夢を見ている…の?
夢にしては、このぬくもりは存在感が有りすぎる。
「そろそろ、返事を聞いても良い頃かな?」
「……返事…?」
まだ頭の中がぼーっとしていて、友雅の言っている事がはっきりと理解出来ない。
靄が掛かっているかのようで、地に足がついていない感じ。
そんなあかねの様子は、外から眺めている友雅にも一目で分かる。急にあんな事を言われて、さぞかし気が動転したのだろう。
だが、友雅としてはこれまで何度となく、遠巻きながらに気付かせようと苦労を重ねて来たわけだ。
こちらは"急に"どころか、"やっと"だ。
やっと……彼女を欲している気持ちを、伝えることが出来ただけでも十分な進展と言える。
「私だけのものになって欲しい…って、そう言ったつもりだったんだけれど?」
聞き漏らさないように、耳元に唇を近づけて囁く。
その言葉と吐息が鼓膜の中まで響いてきて、ぶるっと身震いがした。
「どう?その気はない?」
「あ、あのぉ……」
照れくさくて、彼の顔を見上げられない。まだ、身体から力が抜けていて。
人見知りをする子どもみたいに、微量の力で友雅にしがみつく。
「迷惑なら、残念だけど諦めるしかないけれど……」
「そ、そ、そ、そ……そっ…そんなっ!そんなことは絶対…っ」
「………絶対…何?そのあとは?」
こくんと息を飲みこんで、早まる鼓動を整えようと試みる。
でも、その腕と広い胸と、唇からこぼれる言葉が自分の為に有るのだと思うと、どうしても乱れた鼓動は落ち着きを取り戻せない。
「絶対…迷惑なんか…じゃないです……………はぅぅぅ〜……」
息が途切れるように、あかねは再び友雅の腕の中に落ちて来た。
その柔らかい重みを受け止めると同時に、彼女の一言を彼はしっかりと掴んだ。
++++
頭の中がぼんやりしているのは、相変わらず。
それでも、少しは目の前が明るくなって、鮮明に景色が見えて来ていた。
つまりそれは、今この瞬間が現実であるということだ。
夢ではない。ずっと…後ろから抱きしめてくれている人が、そこにいるのは現実。
「せっかくだから、あとでもう少し買ってあげるよ。一輪だけでは物足りない。」
後ろから回した指先で、あかねが握る芍薬を彼女の手ごと包み込む。鮮やかに、華やかに咲く幾重もの花びらが揺れている。
「二輪…三輪でも足りないな。いっそのこと、全部買い占めてしまおうか?」
「そ…そんな…一輪でも芍薬なんて、綺麗すぎて圧倒されちゃうのに…っ」
昔覚えた例え言葉。
"立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花"-------それは美人を形容する言葉。
でも、さっきはち合わせた女性が言ったみたいに、こんな華やかな花こそ彼の方が似合いそうな気がする。
せいぜい一輪だけ。控えめに、そっと隠すように持っているだけで良い。
そんなあかねの手を離れて、友雅の腕は彼女の身体を抱きしめる。
少し強めの力を伴って。
「いいや、全然足りないよ。世界中の花という花を全部集めて、とびきり艶やかに飾るくらいの贅沢はしないとね。」
------------だって君は、私だけの姫君なのだから。
友雅はそう囁いて、あかねを振り向かせるために、喉元へ指先を当てる。
恥ずかしそうにする彼女の顎を引き上げ、瞳を閉じて唇を重ねた。
その味は、花の香りよりも蜜よりも甘くて………離し難いほどに癖になる。
「今から待ち遠しいね。あかね姫と橘少将殿が結ばれる日が。」
他人行儀な口振りで言うけれど、それはもう虚像の話ではない。
嘘など必要ない、二人だけのこと。二人だけの……真実。
残念ながら、その日が来るまではもう少し、時間がかかりそうだけれど。
「でも、まだまだ心配なことがあって、ホッとはしていられないな。」
「…そう…ですよね。その…やっぱり本当のことは、みんなには言えないから隠し続けるしかないし…」
二人の間で進展があっても、外側は全くこれまでと変わらない。
他の八葉にバレるのは、当然御法度。そして、すっかり世間に浸透してしまった、形だけの姫君の存在と友雅との関係も継続していかなくては。
「まあね、それも心配事ではあるけれど…私にはもっと心配なことがあってね。」
別に今更始まったことではないのだが、と前置きを付けて、友雅はあかねにそっと耳うちをした。
「一緒になるまでの間に、君が誰かのお手つきになってしまったら、どうしようかと不安でね」
「そんなのっ…考え過ぎですよっ…。友雅さん以外に…なんてっ…」
くすくすと笑いながら、友雅はあかねを甘く眺める。
"友雅さん以外になんて"……そんなことを言って。
おそらく言葉の綾だろうが、これでば『自分以外には身を許さない』と解釈されても仕方が無いだろうに。
素直すぎる彼女の言葉は、時にどきっとさせられる。
わざと深読みで受け取って、そのまま引き込むことも出来るけど。
「でも、やっぱり心配だからね。念には念を押して、早いうちに手を打っておかないとねえ……」
「…………ひゃあっ!?…な、な、な、なっ……何したんですかあ!今っ!!」
一瞬、何が起こったか分からなかったが…。
急に友雅が近付いて来たかと思うと、すぐに離れた。
ただ、首筋というか襟元辺りが…何となく熱い。
「ふふ…君が私だけの姫君である印だよ。残念ながら、永遠に刻めるものではないけれどね」
そう言って友雅は、あかねの首筋を指差した。
------もしかしてこれは、キキキキキ……ッス……の痕ぉぉ!!
「だ、だ、誰かに見られたらどうするんですかっ!それこそ、何て説明していいのか分からないですよっ!」
「大丈夫。外から見ても分からないように、場所を選んだから。普段なら、襟に隠れて見えないよ。」
思い出した!さっき、彼が近付いてくる!と思った瞬間に、ほぼ同時に彼の指先が襟元に触れていた。
親指でさりげなく襟を広げて…鎖骨が見えるか見えないかという場所に、顔をうなだれたかと思ったら…きゅうっとそこが熱くなって…。
「ああ〜っ!!私、まだ何の経験もないのにーっ!!!」
「良かった。それじゃ、誰にも手をつけられていないってことだね。」
……そう言われると、何だか複雑なのだけど。
まるで、これまで男性に相手にされたことがなかったみたいじゃないか。
実際、そうなんだけれど…悲しいかな、それは事実だが。
「さあ、この印のおかげで、晴れて君は私のものに決定だ。例え消えたとしても、お望みであれば何回でも付けてあげるよ?」
「冗談じゃないですよーっ!は、早過ぎます!」
「そこまで力いっぱいに拒絶されると、何だか落ち込むねえ…」
とか言いながら彼は笑う。
だが、少なくとも彼女から、自分が望んでいた最高の答えをもらえたことには変わりない。
いずれ、彼女の手を取る日が来ることを。
その約束を誓ったことだけは、二人の心にしっかりと刻まれている。