Trouble in Paradise!!

 第16話 (3)
「あ、いや…すまなかったね、ちょっと…羽目を外してしまったみたいだ…」
かろうじて何とか、当たり障りの無いように友雅が口を開いた。
そのつもりだったのだが。

「悪かった。冗談が過ぎた…」
ばつが悪そうに苦笑いを浮かべて、あかねの身体から離れる。
乱れた前髪を掻きあげて、ひとつ溜息を付こうとしたとき、目の前にいるあかねの表情を見て、さすがに友雅もぎくっとした。
潤んでいた彼女の瞳の奥から、水晶のような涙の雫が、頬を伝ってこぼれ落ちていたからだ。
「神子殿…?」
手を伸ばして肩に触れると、彼女は両手で顔を覆ってうなだれた。

「本当にすまない…そこまで嫌がっていたことも気付かないで、我ながら悪ふざけも度を越していたね。変に心を乱して悪かったよ。」
ただ、そう言って謝るくらいしか友雅には出来なかった。
想いが膨らみ過ぎて、自分でも調節することが不可能だったんだ、と説明したところで、彼女には分からないことだろう。
全く…早まって絆を壊したくはないから、と言っていながら…。
こんな風に彼女を自分の想いで傷付けてしまっては、何にもならないだろうに。
分かっていたのに、それが守りきれないなんて…どこまで自分はろくでもない男なんだろう。

半ば自己嫌悪に陥っている友雅に、あかねのかすれ声が聞こえて来た。
「……からかって…ばっかり…」
手のひらに伝わる、彼女の震え。そして、耳に入る涙の交じったかすれ声。
「いっつも…冗談ばっかり…っ」
時々鼻と
喉をすすり上げて、息をこらえて涙を止めようとするけれど、そんなことは無理だ。
時間が経つ毎に、顔を覆うあかねの指先が濡れて行くのを、友雅はただじっと見ている。それしか出来ない。
「ほっ…本気でドキドキ…してたのにっ……。びっ…びっくりして…でも…本気でっ…」
「神子殿、ちょっと待ちなさい…。その、もしかして…」
もしかして、さっきの事をすべて冗談だと思っている?
いつものように、ただからかってみただけだと…そう思っているのか?
それこそ誤解だ。理性というものが無意味になるほど、本心の中で育った心が大きくなったせいなのに。

「どう…しようって…びっくりしてたのに…っ…でもっ…友雅さんは…」
胸に詰まる想いを、涙と供にあかねは吐き出す。
友雅がどんな考えで、こんなことをしたのか分からないけれど、好きな人がすることだから…と本気でハラハラして、ドキドキして。
どうすれば良いのかと、悩みながら、それでも抱きしめられていたのに。
それもすべて、これまでみたいな単なる遊びみたいなもので、いつものようなからかった悪戯のようなものなら…。
だとしたら、こんなに本気で戸惑った気持ちは……行き場がなくなってしまう。

「…分かってますよ…どうせ私なんて…っ…今まで友雅さんが付き合った女の人になんか、敵いっこないですよっ…!」
あかねは友雅の胸を、ぽん、と突き飛ばすように叩いた。
「どうせっ…みんな綺麗な人ばっかりでっ…みんな良いところのお姫様ばっかりなんでしょうっ…!私なんか、比べものにもならない人ばっかりでっ…!」
少し意固地になっている、と自分でも分かってはいたけれど、これまで積み重なってきた重圧とも言える想いが、堰を切って止まらなくなる。
「単に珍しいから…からかえば本気で無気になるから…ただそれが面白いからっ…いつもそうやって…からかって…!」
思いっきり、我が儘言いたい放題。
これまでたくさんの、優しい言葉や甘い言葉もくれたけれど。彼と過ごした二人の時間は、どれもこれも幸せだったけれど。
でも、それで本気になって喜んでいたのは、自分だけだと思ったら…振り返って眺める自分の姿は、あまりに滑稽で…それでいて空しい。
だけど、たとえそうであっても……そのひとときが至福だったのには変わりない。
------自分の気持ちが、本当だったからこそ。

「友雅さんなんかっ…だいっ……」
からかってばかりの友雅さんなんて、大嫌い……。そう言いたかった。
けれど、言えない。それ以上に…やっぱり好きだから。


「そりゃあ、比べものになるわけがないよ…。当り前だろう?」
右手が肩に、左手が背中に伸びる。
そっと静かに、壊れものに触れるかのような仕草で。
「だってね…君は、橘少将に見初められた姫君はなずだよ?」
「それは、主上がごまかすために考えてくれたことでしょうっ!」
「…例えその肩書きは虚構だとしても、君は君で…それは変わりないだろうに。」
あかねを引き寄せ、両腕を回して緩やかに抱き、彼女の髪を何度も撫でながら友雅は話す。
ゆっくりとした、柔らかなトーンで話を続ける。
「君が主上の遠縁で、丹波に暮らしていた姫君というのは確かに嘘かもしれない。でも、それはただの口裏合わせで、君という人がいて存在するものじゃないか。」
肩書きなんて、他人に話す時にだけ必要な、その場しのぎみたいなもの。
お互いのことを周知の二人には、無意味だ。
そんなものはいらない。目の前にいる姿だけが真実だ。
「他の女性なんて、最初から比べたりしていないよ。例え比べたとしても…他の人を君と比べてる。」
あかねなら、こうしただろう。あかねになら、他のものが似合うだろう。あかねなら、喜んでくれるだろう。
他人と比べながら、いつも彼女の笑顔を探している。見比べて、考えて、きっと彼女なら喜ぶだろうと思いながら…いつも。

「さっきは、ちょっと言い方が悪かった。でも、からかったわけではないよ。むしろ、本気だったんだ…自分で自分が分からなくなるくらい。」
顔を上げたあかねの目尻には、まだ少し涙が残っている。
友雅の指先は、それを拭う。
「まさか、自制が出来なくなるなんてね。全く困った姫君だ、君は。」
「わ、私が何をしたって言うんですかっ!」
友雅は、ひとつ大きくため息をつく。だが、その表情は少し微笑んでる。
「…自覚してないのなら、それこそ困りものだねえ。大の男の理性を、ここまで惑わせておいてしらを切るのかい?」
何気ない、彼女の一言が心を揺さぶる。いじらしさの中にある愛らしさが、時折ぐっと気持ちを逸らせる力を発揮する。
恋というもので通じ合った男と女の中に、芽生えている想いが過剰なほどに反応して、心だけでは我慢出来なくなる。
その想いに、出来るだけ近付きたくなる。そして、触れたくなる。

「本気だったんだよ…?途中で何とか、踏みとどまれたけどね。」
背中をさする手のひら。
頬に、そっと触れる唇と…少し含んだ笑いを込めて囁く声。
ぞくっとして、徐に彼の袖を掴む。
「こんな気持ちにさせる姫君なんて、今までの記憶にないよ。君一人だけだ。」
……悔しいけれど、こんな風に言われたらやっぱり、"大嫌い"なんて言葉は嘘でも言えない。

「もしも、それでも信じてもらえないのなら…そうだな、やっぱりじっくりと時間かけて、ちゃんと理解してもらうしかないかもしれないね。」
もう少し時期を見て、出来ればその前に気付いてくれれば、話も早いだろうと思っていたのだが。
だが、もう良い。足踏みしているうちに、今回みたいなトラブルに巻き込まれて、無駄に彼女の心を痛ませることになるなんて、耐えられない。
それに、せめて正確な約束を出来ればきっと…気持ちが急いで自我を失うようなこともないだろう(…多分。…おそらく。……100%保証の自信はないが。)

「どうかな?これからずっと…私が本気で君のことを思っているかどうか、確かめてみるつもりはないかい?」
「…えっ?確かめ……る…って…」
友雅はこめかみを掻きながら、わざとあかねから目を逸らす。その横顔が、少し照れくさそうに見えたのは気のせい…ではなかった。
「うーん…。何て言うかねえ…、ま、私はこれでも自信があるからね。だから…この先の私の時間をすべて、君に捧げても良いと思っているんだけれど?」
ちらりと目線だけを下に向けて、あかねの表情を伺おうとすると、ぽかんとして彼女はこちらを見上げている。
やはり、少し急ぎすぎたか、とは思ったが、言ってしまったのだから仕方ない。
どうせ、いずれは言おうとしていたことだ。

「うそ…でしょう…」
唇を震わせて、瞳の奥を潤ませて、ぎゅっと腕を掴んで…友雅を見上げるあかねの頬に手を添えた。
「本気だったって、今も言ったばかりだろう?。この際だから白状するけれど、これまで君を丹波の姫君と紹介していた時だって、気持ちだけは本気で言っていたんだよ?」
存在しない姫君に、心なんて捧げられない。そこにいるのが彼女だから、いくらでも言えた。
胸に抱き続けている想いを、言葉にして。

「まったく、私の姫君は鈍くて困るよ。黙っていたら、ずっと気付いてもらえないんじゃないかと、散々不安にさせてくれて…」
「だ、だってまさかそんな…って…」
嘘でも、少し本音が入っていたら良いな、と夢見ていたけれど。
でも、それが現実になるなんて…まさかと思って信じられなくて。
「だから…確かめてごらん?命を捧げられるのは嫌だろうけれど、心や…これから続く長い人生を捧げるのならば、許してくれるだろう?」
それは、その言葉は、確かに……間違いなく、永遠の約束。
恋したときから、心の片隅で夢見ていた……最上級の意味を持つ言葉。

「もう少しねえ…良い雰囲気の中で打ち明けたい気もあったんだけれどもねえ…」
初夏の緑は鮮やかで、小鳥のさえずりも清々しくて心地良い。
けれど、せめて鮮やかな花など添えて、想いを捧げるくらいのシチュエーションの方が印象も良かった気がするが。
「ないよりは良いか。……さっきの一輪で悪いけれど。」
市で手に入れた大輪の芍薬を、あかねの右手に握らせる。そして、取り上げた左手の甲にそっとキスをした。

「これからの日々を、君に捧げる事を許してくれないか?……私の姫君?」

花の香りに酔ったのか、それとも彼の微笑みに酔ったのか。
身体から力が抜けて行くのが分かって、ふらりと倒れそうになった。
それをしっかりと受け止めて、優しく抱きしめてくれた腕。
ふわっと暖かい、広い胸。
かすかに残る侍従の香りに目を閉じて、あかねは至上の幸福に身を委ねた。



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Megumi,Ka

suga