Trouble in Paradise!!

 第12話 (3)
風に交じる甘い香りは、生けられている大輪の薔薇から立ち上る芳香だろう。
鮮やかな紅色の花弁がふわりと開き、香りで存在を証明している。

廂を超えて簀子へと下りる。
見上げる空は、爽快という言葉が似合う青空だ。
鮮やかに色を変えた夏草にも、よく似合う。
「それにしても、初めてだな。こうしてそなたと、腹を割った話をするのも。噂ばかりは耳にしていたが…ね。そうやって本心を聞いたのは今日が初めてだ。」
「他人の恋話など、さほど楽しいものでもないでしょう。どれも、似たり寄ったりの事ばかりですよ。」
帝の隣で、友雅は笑いながら答えた。
「いやいや、逆にそなたみたいに本心の見えない男はな、どういう気持ちであれほどの浮き名を流しているのか、気になってはいたのだ。」
そう言って帝は友雅に歩み寄りながら、好奇心を前面に出して話を更に聞き出そうとしている。

こう見えて、なかなか帝も噂好きの一人だな、と友雅は思う。
深入りが過ぎるのは少々困りものだが、それもまた親しみやすさにつながる。
神々しいだけではなく、そのような性格も彼の立場には必要不可欠とも言える。
長い付き合いで、他の者よりは少し砕けた会話も出来る仲であるし、少しは寛容に考えても良いだろう。
「今となっては…一人の姫君の面影が強すぎて、過去の記憶さえも塗り替えられてしまいましてね。昔の感覚など、もう覚えておりませんよ。」
二人は簀子の上に腰を下ろして、再び他愛無い会話を始めた。
すうっと流れる心地良い風が、季節の移り変わりを知らせる。


「実は先日の嵯峨の夜、そなたが席を立っている間…神子から馴れ初めのことを聞き出してしまったよ。」
少し驚いたように、友雅はこちらを見た。
神子と話をしたいのだと言ってはいたが、まさかそんな話をしているとは、さすがに思わなかったか。
「…神子は、可愛らしいな。風貌だけではなく、心も本当に汚れなく愛らしい。」
「そのお言葉に、神子殿に代わって御礼を申し上げる権利が私にあるのならば、主上のお誉めのお言葉に御礼申し上げます。」
答えた友雅の表情は、どこか満足げだ。
自分の思い人への讃美の言葉に、彼もまんざら悪い気はしないのだろう。
「我々のように、面倒な日常の中に過ごす者には縁がないほど、真っすぐに物事を素直に考えられる。そういうところが、そなたも気に入っているのだろうな。」
すべては損得勘定。他人に対しても利益を重視して、諂いを続ける人々ばかり。
そんなことさえも当たり前になって、不満があっても口にすることさえ面倒になった中で、彼女だけは真実を見る。

「あの綺麗な瞳で、神子はそなたを見ているのだな。ふふ…本当に、あまりに微笑ましくて、思い出しただけでも顔が緩んでしまうよ。」
あの夜、こちらが問いかけた友雅との馴れ初め話に、終始慌てては真っ赤になって恥じらう彼女が思い浮かぶ。
そのくせ、彼に対しての想いは、瑞々しいほどに純真で。少しずつ、彼女の心が友雅を追いかけ始めたくだりは、聞いているこちらが胸ときめくようだ。
「主上、あまり神子殿に、妙な吹聴はお控え下さいますように。」
「そんなことはしていないよ。そなたこそ、神子の清らかな想いを無下に扱った時は、私が承知せぬからな?」
ぽん、と友雅の肩を扇で叩いて、帝は笑った。

が、すぐにきっとした表情を戻し、やや真剣な面持ちでもう一度友雅を見上げる。
「特にな、くれぐれも早まったことはせぬように!」
いきなり真面目な顔をして、がしっと自分の肩をつかんだりして。
その形相に、友雅はしばし唖然としていたが、強い口調の割には視線をわざと反らしたり、と反応はあちこちバラバラだ。

「その、あれだ…。まだ神子は若い。だが、そなたにとっては一人前の女人であろう。ならばそういう衝動にかられるのは、同じ男としてよく分かるがな…!」
「主上…もしやそれは、はじめに主上がお話しされた、共寝に関することで?」
「…わ、分かっているなら聞くな!神子は良いとして…そなたにはな…少しキツく忠告しておかねばと…そう思って…な」
畳んでいた扇を、むやみやたらに閉じては開いて、を繰り返しす。
帝は改めて自分の突っ込んだ話題に赤面し、茶を濁すように背を向けた。
その背後で、友雅が笑いを堪えていることには、気付くはずもない。

「主上、そのように私共の事を案じて頂き、感謝致します。ですが、その件に関してはご安心下さいますように。」
帝は、友雅の声に振り返る。
そこにいる彼は、礼儀正しくその頭を垂れて指を付いた。
「先程申しました通り、私は神子殿と…この場限りで終える絆を紡ごうとは思いません。」
一度も考えたことはなかったけれど、今はそれを自然に考える事が出来る。
彼女を特別な存在に思い始めた、その時から。
「そう思うと、不思議と焦るという気持ちも穏やかになるもので。次の日を考えられることで、妙に気長に構える事が出来るようになりましてね。」
「ほう…そういうものか…」
帝がうなづくようにつぶやくと、彼は笑顔でそれに応えた。
その面持ちは、春眠に浸るかのように柔らかい。

手を伸ばせばすり抜けてしまうような、つかみどころのない印象の強かった友雅が、今は時間の流れの中を前に向かって歩き出そうとしている。
彼の手を引く者が、その先にあるからだ。小さな手でも、歩みは早くはなくても、共に歩いて同じ景色を見ていこうとする、彼女がそこにいるからだ。
焦らなくとも、彼女がそこにいてくれるならば、時が解決してくれる。
おのずと、その指先は自然に、お互いを探し求めるだろう。
その時が来るのを、今は彼女と共に待っていればいいのだ。

…彼がそう言うのなら、もう余計に気を揉む必要はないのかもしれない、と思う。
何ものにも代え難い、彼にとっては宝の如き存在の彼女との未来を、少しでも長く紡いで行くための生き方を、彼は見つけたに違いない。
ゆっくりと歩いて行く中で、小さな楽しみを見つけることも、また二人の絆を深める時間であるのだと。
"余計なお節介が過ぎたようだな。"
変な詮索をして、あらぬことまで深読みして大慌ての連続だった自分が、何だか滑稽に思えて帝は笑いがこみあげてきた。


が、気を抜いた次の瞬間、何気なく友雅がぽろっとこぼした一言がいけなかった。
「まあ…私も男ですから、全くその気がないとは申しませんが。」
せっかくホッと落ち着いたところだったのに、まるで背中に水を掛けられたような気がした。
それまでの安心感が一瞬で消えて、再び帝の頭の中が渦を巻き始める。
そんなことなどおかまい無しで、友雅の方は気楽なものだ。
「聖人君子ならいざ知らず、あいにく私は平凡な男でございまして。頭では理解していても、時には本心が行動を促してしまう可能性も、なきにしもあらず。」
「とっ…と…友雅っ!そなたさっき言ったばかりではないかっ!」
舌が乾かぬうちに、いけしゃあしゃあとそんな事を遠慮なく口にしようとは。

「縁のない女人ならば構いませんが、燃え焦がる姫君にその身を寄り添われては、さすがに私も欲心を抑えらえる保証は出来かねないかと。」
「な、ならんっ!少なくとも、今はまだ許さん!せめて…せめて、すべてが滞りなく済んでからにしてくれ!無闇に交わることは許さぬぞーっ!!」
こうして血相を変えて、半ば噛み付くようにまくり立てる帝の姿を、目の当たりにする者など滅多にいないだろう。
いつもは穏やかな彼の印象からしても、想像し難い。
そんな帝を支えつつ、友雅は微笑ましく思いなが言葉を続けた。

「ご心配ならずとも結構ですよ。想いを焦ることで、この絆を傷つけたくはありませんので。ここは落ち着いて、堪え忍ぶ恋の一時を楽しむことに致しましょう。」
満面に笑顔で友雅から言葉を返されたとたん、それまでの緊張が一気に抜けた。
「……頼むから、これ以上気を揉ませないでくれるか……」
溜息とともにがくりとした脱力感を伴って、帝はその場に座り込んでしまった。



「しかし、先程は焦らぬと申し上げましたが、答えを待ち侘びていることを思えば、少々矛盾かもしれませんね。」
「ん?何だ、その答えとは?」
昼御座に戻り、やっと落ち着いて腰を下ろした帝の側で、ぽつりと思い深げにこぼした友雅の言葉に、耳を傾けた。
「主上に組み立てて頂いた、偽りの姫君と私の関係が、現実になれれば…と、それとなく伝えているつもりではいるのですがね。」
明日も、明後日も一緒にいたい。だけど、それだけじゃ満足できない。
その先も、一年後も、一番近くで彼女の顔を眺めていたい。
願わくば、命の灯が消えるその瞬間も、彼女の姿を瞼に焼き付けて眠りたい。
だから、ずっと……永遠に二人で。

「神子からの返事はないのか?」
尋ねてみると、苦笑いをしながら友雅は目を伏せた。
「遠回しすぎて、気づかないのかもしれませんね。あるいは、色々なことがありましたから、戯言と混ざって、本心とは思われていないのかもしれません。」
これまでに随分と、からかって可愛がりすぎたから。
いくら恋仲となったと言えど、今やそれ以上の想いが友雅に芽生えていることは、彼女には絵空事にしか捕らえられないのだろうか。

「思い悩まずとも、神子の方も、そうまんざらではなかろうよ。」
にこやかに答えた帝の顔を、友雅は見る。
「私は神子から、直接詳しい話を聞いている。それを思えば、そなたが抱いている想いを、決して悪くは思わぬはずだ。」
「そうでしょうかねえ…?」
「それに関しては、保証しても構わぬよ。言葉にしても表情にしても、素直に想いを映し出せる女人であろう?」
”安心しておけ"と、やけに自信ありげに帝は答えた。

「時を見て、少し真摯に答えを求めてみるといい。そなたの期待する答えを、得られるかと思うぞ。」
「…主上より頂いた、そのお言葉…恋乱れる今の私にとって、何より力強い支えとなりそうですよ。」
二人は互いに顔を見合わせて、自然に込み上げた笑いに声を上げた。



***********

Megumi,Ka

suga