季節が夏に近付くと、夜の朝の時間が短くなる。
月明かりを楽しみながら語り合うことも、あっという間に終わりを告げる。
小鳥のさえずりが聞こえて、朝が来たことに気付く。友雅は、ゆっくりと意識を覚ます。
腕に感じるぬくもりと、胸に抱いた甘い香り。寝息が耳をくすぐる。
「…可哀想だけど、そろそろ起こしてあげないといけないな」
瞼を伏せたまま、横たわる彼女は未だ夢の中だ。
男の腕に抱かれて眠っているのに、こんなにも穏やかで安らかに眠られているのは、少し複雑な気持ちであるけれど…。
「神子殿…起きる時間だよ」
耳元でそっと囁くように、あかねのことを呼んでみるが、なかなか彼女は眠りから覚めてくれない。
「うー…ん」
少し頭を掻いて、ころりと友雅の方へ身体を転がして寝返りを打つと、あかねは彼の衣に軽くしがみつく。
「困ったな…こうなってはどうしようもないよ…」
無邪気に眠りに着いていようが、この胸の中にいる彼女は紛れもなく自分が想いを寄せる、ただ一人の姫君で。
そんな彼女が自分にしがみついているのを、自ら引き離せる男がどこにいる?
だが、そんなことも言っていられないのが現実だ。
夕べ頼んでいた侍女が、あかねの着替えの手伝いにやって来るはず。こんなところを見られたら、それこそ誤魔化しようがない。
…そういえば。
何故か夕べ戸が開かなかったが、どうなっただろう?
戸が開かないせいで、こうして朝まで彼女の部屋で過ごすことになったのだが、いつまでも戸が開かないのでは困る。
そのうち誰かがやってくるだろうが、外からだったら開くのだろうか。
まだ眠りから覚めない彼女を手放せないままで、友雅はそんなことを考えていた。
が、それは唐突にやってきた。
まだ思案中だというのに、するりとその戸が開いて、侍女が部屋に入ってきた。
あんなに昨夜は開かなかったのに、朝になったら何ともないなんて。まるで狐に悪戯でも仕掛けたれた気分だ。
だが、そんな悠長なことを考えてもいられない。
几帳を開けて、その人は姿を現した。年の頃なら二十半ばくらい。侍女の中では上の立場にある女性と思われる。
その後ろに、まだ年も若そうな娘が一人。彼女は手伝いとして連れられてきたのだろう。
--------逃げようもない。隠れようもない。友雅の視線は彼女たちを映し、彼女たちの瞳は友雅と、そして彼に抱かれて眠るあかねの姿を映す。
「朝早くから、すまないね」
「…いえ……」
自分の目に映っている光景が、信じられないと言うような顔をして、侍女二人は呆然とその場に立ちつくしている。
それもそうだろう。夕べ彼女たちと戸を挟んで話していた時、自分とあかねは別の部屋だと言った。なのに、朝になって彼女の部屋に入ってみたら、友雅がいたなんて考えもしない展開だっただろう。
「ちょっと、そこで待っていてくれるかい?今、姫を起こすから」
「あ、はあ……承知致しました……」
二人を取り敢えず待機させることにして、友雅はあかねを起こすことにした。
本当なら、このまま自然に目が覚めるまで、ずっと抱いていてあげたいのだが、そうもいかない。
「あかね姫、そろそろ目を開けてご覧」
頬を指先で軽く突いてみると、ぴくりと瞼が何度か動いた。
「早くその瞳を開いて、私を見つめてくれないかな?」
耳朶に唇を添えて、その手を握りしめて囁くように呼んでみる。
「…うー…あ…?朝……?」
「そうだよ。残念だけど、夜はもうおしまいだ。そろそろ、屋敷に戻らないとね」
ぼんやりしながらあかねは薄く開いた瞼で、上から見下ろしている友雅を見た。
しばらくそんな調子で横になっていたが、ふと我に返ったあかねは現状をはっきりと思い出した。
「あ…っ!あ、あ、お、おはようございますっ…!」
慌てて身体を起こしたあかねの背中に、そっと友雅は手を添えた。
「おはよう…と言う挨拶には、少し早すぎるけどね。でも、早めにここを出なければいけないから。」
そうだ、そういえば…夕べは帝から宴に招かれて、そのまま泊まったのだ。
何だか随分と大騒ぎになって…人目をごまかすために朝早くここを発とうって、そういう話をしたんだった。
「さ、着替えの手伝いをしてくれる方が、もう来てくれているよ。取り敢えず、支度が済むまで私は自分の部屋に戻っているからね」
「…あ、はい…分かりました…」
目をこすりながら、あかねは周囲に視線を移してみた。
遠くに聞こえている小鳥の声と、部屋の中に差し込むほのかな朝の光。そして、そこにいる袿姿の女性。
「……!」
侍女が手伝いに来てくれている、と友雅に言われたばかりだったが、まさか部屋の中で待機しているとは思わなくて、あかねは一瞬びくっとした。
ということは、もしかすると…これまでの一部始終を彼女たちは目にしていたのだろうか。
自分が起こされる前の、妙なくらいに心地良く眠りに着いていた光景も。
「それじゃ、あとはお任せするよ。出来るだけ、早めに支度を整えて下さると嬉しいのだけれど。」
「はあ…」
侍女の肩を軽く叩いて、友雅は部屋を出ていこうとした。が、入口の前で一旦立ち止まり、もう一度振り向く。
「ちょっと変な事を聞くけれど…この部屋の戸は、すぐに開いたかい?」
あかねの衣を丁寧に広げている侍女が、友雅の問いに顔を上げた。
「戸、でございますか?いえ、特に何も…普通に、軽く開きましたが。」
「何かが突っかかっていたりとか、立て付けが外れていたとか、そういうのは?」
「いえ…そのようなものは見当たりませんでしたが」
彼女は、どうしてそんなことを尋ねるのか、という不思議そうな顔をしている。
だが…何でもないのなら、どうして昨夜は戸が開かなかったのだろう?
改めて部屋の外に出て、戸の様子を見てみたが…確かに何も変わったところは見当たらない。
試しに動かしてみたけれど、彼女の言う通り軽く左右に動くし、立て付けも問題ない。…全く訳が分からない。
とは言っても、強制的ではありながらも、そのおかげで一晩あかねと一緒にいることが出来たのだ。
腑に落ちない事この上ないのだが、それを思えばかえって有り難いなどと、気楽なことも少し考えつつ友雅は部屋へと戻った。
空気が重い。
いや、険悪なムードというものではないのだが、会話が少ないだけに重く感じるのだ。
二人の侍女はあかねの前と後ろに立ち、後衣紋者と前衣紋者として黙々と着付を整えてくれている。
丁寧なのはいいのだが……時折きょろきょろとあかねの身体のあちこちを見るのが、これまたやけに気にかかる。
「あ、あの…何か…ありました?」
たまりかねてあかねが尋ねると、彼女たちは決まって"いえ、何でもございません"と、一言で済ませてしまう。
それなのに、相変わらず首やら手足やらをちらりと見ては、二人で目配せの様なことをしているし…。
早く着付が済んでくれないだろうか。朝からこれじゃ気分が滅入りそうだ。
宴だなんて言うから、随分と華やかで風流な世界なのだろうな…と思ったけれど、やっぱり自分には性に合わない空気だなあと実感した。
しかも、とんでもない噂まで広がってて…これからどこまで、この噂が拡大していってしまうんだろう。
……永泉さんは仁和寺に帰ったあとだったし、頼久さんは外にいたから、騒ぎのことは知られなかったけど……。
でも、こんな調子じゃ、他の八葉にバレてしまうのも時間の問題なんじゃないだろうか。
……本当のこと知ったら、みんな何て言うだろ?…
恋をすることは、決して悪いことじゃないと思うのだけれど…。
……泰明さんだったら、神子の役目を優先しろ、とか言って怒るかな。
天真くんは…友雅さんなんかと!とか、ものすごい剣幕で怒っちゃうかも。
他の皆はどうだろう…藤姫にも怒られちゃうかなあ……。
はぁ、とあかねは溜息をついた。
その様子に、二人の侍女は意味ありげにうなづきあっていたが、あかねは全く気付かなかった。
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