Trouble in Paradise!!

 第10話 (3)
あかねの部屋の前で、友雅は一旦足を止めた。
そして、足音と息を潜めて耳を澄ます。辺りに、人の気配か異質な空気が漂っていないかどうかを、意識を尖らせてしばらく伺った。
静寂は池の向こうからも、そして屋敷の中にも広がる。変わった様子は、特に見られない。

「取り越し苦労なら良いのだけれどね…」
そうつぶやいて、彼は部屋の戸に手を添えた。
主上には別の部屋で待機するように、と言われているが…時と場合によってはそうはいかないだろう。
それこそが、今である。後に咎められたとしても、状況説明をすれば納得してもらえると思う。


カタン、と小さな物音が背後から聞こえたのは、横になって小一時間も過ぎた頃だった。
池から眺められる月が、あまりにも明るくて。
それと同時に、主上との会話の内容が頭から離れなくて…どうも眠りにつけない。
今日は、予想外のことばかりで、心身共に疲れているはずなのに…目は冴えている。何とか眠りたいのに、そう思えば思うほど意識は鮮明になる。
ここままじゃ、眠れないまま朝を迎えてしまいそうだ…と思った時だった。

あかねは慌てて身体を起こし、布団代わりに掛けていた自分の袿を、寝着の上から軽く羽織る。そして、聞こえてきた物音の方向を見つめながら、懸命に息を殺して気配を消そうとした。
すうっと、ゆっくり開く戸の音が聞こえて、几帳の向こうに人影が現れる。
……誰だろう?部屋に黙って入ってくるなんて、一体…。
あかねはどきどきしながら、袿を頭から被ってうずくまった。

呼吸を押さえて、身動きをせずに。静かな足音だけが近付いてくるのが分かる。
足音はあかねの前を通り過ぎて、格子戸を開いたようだ。
袿にこもっているあかねにも、ぱっと月明かりが部屋の中に差し込んだことに気付ける。
その者は池に張り出した簀子の上に下りて、少しの間外を眺めていたようだが、しばらくして再び部屋の中に上がってきた。
再び戸をしっかりと閉め、とたんに部屋は薄暗くなる。
足音と人の気配が、あかねの前で止まった。

……誰?こちらを見ているのは、誰?
何の理由があって、ここに来ているのだろう……。
体を固くして、あかねは向こうの動きをじっと待つ。そんな彼女の背中に、誰かの手が触れた。
それと同時に…かすかにふわりと漂った、あの香り。

「神子殿」
侍従の香りと、自分を呼ぶ囁きのような声。
あかねは袿を放り投げて身体を起こした。
「と、友雅さんっ!どうしたんですか、こんな時間に…!」
驚いているあかねの肩に、友雅は手を添えた。
「忍び込むようなことをして、すまない。ちょっと気になることがあってね…。何か、おかしなことはなかったかい?」
「おかしな…ことですか?別にありませんでしたけど…何かあったんですか?」
この部屋は池に張り出しているし、外から誰かが入り込むことは、まずあり得ないと思う。時折水音は聞こえるけれど、それは魚か、またはたまに水面を漂う鳥が波を作るせいだと思っていたが。
「この部屋の方から水音がしたようだから、もしかして怪しい者でも入り込んだのではないかと思って、様子を見に来たんだよ」
「そういうことなら…大丈夫、だと思います…けど。」

やはり、取り越し苦労だったか。
部屋の中も、外の簀子や池の周りも一通り見渡してみたが、変わった様子は見られなかった。取り敢えずは、一安心だ。
だが、それはこれまでのこと。今後、どんな変化があるか分からない。
もしもの時にそなえて、このまま朝まで彼女のそばにいた方が………。

ふと、友雅の脳裏にいくつかの言葉が浮かんだ。
ひとつめは、主上が始めに言った言葉。
ふたつめは……さっき晃李が言った言葉。

………行動を起こす、ねえ?
客観的に考えてみれば、あまりにもその言葉は魅惑的な意味に聞こえてくる。
目の前にいるのは、最愛の姫君ただ一人。月明かりに照らされた、静かな夜に二人きりの部屋。
恋を語り合うには、あまりに出来すぎた舞台じゃないか。
「ど、どうしたんですか……」
何度も抱きしめたその肩の細さは、感触として友雅の記憶に刻まれている。
細い手足もその腰も、唇の甘ささえも。
………そういう関係に発展していると思われても、仕方がないか。
誰もが推測しているであろうことを、思いをめぐらせながら友雅は一人苦笑した。
これでも、彼女の体温だけはまだ知らないというのに。

「何もなかったのなら良いんだ。少し心配性になっていたようだね。目に届かない場所に引き離されてしまったせいかな。」
友雅はそう言って、引き寄せたあかねの身体を抱きしめた。
「あとは、ゆっくり朝まで休むようにね。着付けを手伝ってくれるように頼んであるし、もしも何かあったときは…遠慮なく私の部屋に飛び込んでおいで。」
「は…い、わかりました…」
そうは言われても、やっぱりまだ眠れそうにない。まだ、頭も目も冴えている。
その証拠に、薄暗い中なのに彼の姿はしっかり見て取れる。
捕らえようとして、意識もはっきりしている。
「じゃ、失礼するよ。」
立ち上がった友雅は、戸に近付いてそっと開けようと手をかけた。


「……おかしいな」
ガタガタ、と何度も友雅は戸を揺らしている。
「どうしたんですか?」
あかねはその様子に気付いて、自分もまた立ち上がって彼のそばに行った。
「戸が開かないんだ。鍵があるわけでもないし…さっきは滑るように開いたのだけれど…」
「立て付けが外れてるとか…?」
「そういう感じではないね。何かが突っかかっているような感じだ。妙だね…」
繰り返し揺すぶってみるけれど、戸は何故だか揺るぎもしない。
どうしたというのだろう。
「これじゃあ、部屋に戻れないな」
しばらくあれこれと試してみたが、簡単に戸は開きそうにない。離れに近いこの部屋では、この戸だけが外部へ出るための手段。
こんな夜中では、声を上げて誰かを呼ぶわけにもいかず…。

「でも、怪我の功名というのは、こういう事を言うのかもしれないねえ」
えっ?と思ってあかねは彼の顔を見上げると、徐に伸びた彼の腕が背中へと周り、その片手であかねの重心がふわりと宙に浮き上がる。
「部屋に帰る事も出来ない哀れな私が、朝までここにいるのを許してもらえる?」
「……こ、ここにですかっ…?」
「断られても、出て行く方法はないけれど。」
彼に抱き上げられたまま、選択肢の存在しない言葉を投げかけられて、あかねはゆっくりと床へと戻された。そして、その横に友雅は腰を下ろす。

「せっかくなのだから、朝まで腕を貸すよ。あの時みたいにね。」
同じ姿勢で床に横たわり、あかねのうなじに自分の腕を通して友雅は言った。
熱に脅かされていた、あの山荘での夜。
確かにこうして、彼に抱きしめられて眠りについた記憶が、おぼろげにあかねの中に残っている。
朝、目が覚めて気付いたのは侍従の残り香。そして、どきどきする半面で感じる、不思議に落ち着く彼のぬくもり。
それが今、再びここにある。
「で、でもまた…変な噂が立っちゃいますよっ?」
主上にも朝比名にも、変な詮索までされるくらい。まだ……そんな展開なんて何もないのに、噂の中の自分たちは既に何もかも超えていて。
そのギャップに驚かされたり、照れたり、そして鼓動が乱れてしまったり。

「だったら噂じゃなくて、事実にしてみようか?」
「え……」
友雅の顔が、上から重なるように近付いてきた。
唇と共に、あかねの身体の上に友雅の体重までもが、ゆっくり重なっていく。
両手が身体を包み込み、首筋に吐息が掛かる。

……うそでしょ…。まさかそんな、急にそんな…。気持ちの整理なんて、何も出来ていないのに、どうすればいいのっ!?。
だめ。気持ちが着いていかない。だけど、彼のぬくもりは恋しい。
これから、どうすれば良い?好きだけど……混乱する。

「冗談だよ。」
唇を離して、少し身体を起こした友雅の顔は、いつもの笑顔だ。
「ただでさえ、こうして同じ部屋に居ると言うことだけでも、主上からお咎めをもらってしまいそうなのに、これ以上早まるつもりはないよ。」
……今はね。

友雅はあかねの上から離れて、再び隣に横たわった。
彼女の頬に手を伸ばして、指先をそっとあかねの瞼に添える。
「さ、そろそろ目を閉じて。一人じゃないから、心細くはないだろう?」
そう言って、袿を取り上げた友雅は、それをお互いの身体の上に掛けた。

目を閉じたって、すぐに眠れるわけないじゃない。
さっきよりもずっと、頭も冴えてしまって。意識だって、まだ落ち着きを取り戻していないのに。
こんなに心音が乱れて仕方がないのに。

なのに……それなのに、おかしい。
目を閉じたら、彼が抱きしめてくれたら………自然に、ふと意識が途切れた。


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Megumi,Ka

suga