Trouble in Paradise!!

 第10話 (2)
友雅は高欄の先に一人佇み、眩しいくらいの月を見上げた。
誰もが、眠りに着こうとしているというのに、天に浮かぶ月だけは煌煌とその明かりを降り注いでいる。
ようやく騒がしい空気から抜け出して、あとは朝が明けるのを待つだけ。
それは多分あっという間の時間だろうが、同じ屋根の下に彼女がいることを思うと、こうして一人空を眺めていることの空しさを覚える。

恋をする前は、そんな風に感じたことなどなかったのに。
目の前の時間を楽しむだけに、躊躇することもなかったのに、今は正反対だ。
「いざ、本気になってみると…案外慎重になってしまうものかもしれないな…」
足下で背びれを揺らす魚も、既に夢を見ているみたいだ。


「………そこにおられる御方。私に用件がお有りならば、一言でもお声を掛けて下されば良いのでは?」
背中で感じた静かな視線に、友雅はしばらく前から気付いていた。
誰かが、こちらを見ている。ただし、殺気というような険しいものではない。

「申し訳有りません。まさか、お気づきでいられるとは思わず、息をひそめておりました。背後からの視線を振り向かずに察するとは、さすが左近衛府少将殿でいらっしゃる。」
「これくらい気付けなければ、昇殿することなど許されるわけがないよ。」
月明かりに足下を照らされ、彼は姿を現した。そして、ゆっくりとこちらに向かって歩み寄って来る。

「それにしても、意外だね。こんな夜更けに何故あなたがここに?他の方々は、もう家路へと向かったと思っていたのだが。」
「ええ、そのようですね。ですが、久々の宴に父も今宵ははしゃぎ疲れてしまったようで。幸い、弟叔父の屋敷が奥嵯峨の化野付近にありましてね。せっかくですから、明日にでも顔を出してから戻ろうということで。」
隠居した身である元・大納言とは言えど、これまでの実績と人望がモノを言う。
そのおかげで、一夜の寝床を提供してもらったのだ、と晃李は友雅に言った。

「先程は、少将殿の噂の姫君をご紹介頂きまして…滅多にお目にかかれない御方とのこと、大変光栄でございました。」
「お父上には二人そろって、お世話になったからね。きちんとお礼を申し上げたいと、彼女も気にしていた所だったので丁度良かったんだよ。」
彼が隣席していたことだけは、予定外ではあったけれど。
だが、あかね自身も知っている朝比名の存在がそこにあるだけで、おそらく彼女の緊張は少しだけ緩和出来たに違いない。

「しかし、彼の姫君は愛らしい御方でいらっしゃいますね。」
友雅の横に並んで、高欄から同じように池を眺めながら、晃李があかねのことを話し始めた。
「お若い姫君と噂では耳にしておりましたが、特に瞳が大変美しい御方で。」
「その瞳を魅入ってしまった結果、すっかり心を奪われてしまったのが、目の前にいる男というわけだよ。」
笑いながら答える友雅の言葉は、決して嘘偽りではなくて。むしろ本心に近い。
一歩退いて様子を眺めていた時は、そんなことに気付かなかった。
だが、交わす視線の距離が近付いて行くに連れて、彼女の瞳の虜になった。
どこまでも澄んでいて、底なし沼のように深く続く瞳の先に、何があるのか気になって…目が離せなくなっていた。

「そうそう、晃李殿にはお礼をしなくてはいけなかったね。」
急に友雅がそんなことを言い出したので、晃李は不思議に思いつつ彼の顔を見た。
「さっきの事だよ。これでも、彼女の答えが早く欲しくて、随分と歯がゆい思いをしていたものでね。話を振ってくれたおかげで、本心を聞けてホッとしたよ。」
「ああ、姫君がこぼされたお言葉の事ですか。私は何も特別なことはしておりませんよ。姫の方も少将殿に、随分と傾倒されているようにお見受け致しましたから。」
ぽろっと無意識に漏らした自分の本心に、慌てふためいて真っ赤になって困惑して。
あの時の彼女の表情を思い出すと、その素直さに顔が緩む。子どものように無邪気な心を持つ証拠だ。

「何にしろ、言葉として確認したかったのだよ。その機会を与えてもらえただけでも、君には感謝しなくてはね。」
晃李の隣で笑いながら、友雅は答えた。
「では、彼の姫君とはいずれ婚姻を?」
さっきも侍女たちに、同じ事を尋ねられたばかりだな、と友雅は思った。
他人がどうしようとも、彼らには関係のないことだと思うのだが、そういう噂が気になる輩も少なくはないのだろう、老若男女問わず。
「私はその気なんだけれどねえ…。さっき君も見ていただろう?はっきりと承諾がもらえなくて、なかなかすんなりとは進まなくてね…」
「貴方のような御方が、随分と今回は慎重でいらっしゃる。先程の独り言こそが、どうやら本心のようですね」
彼の言葉に、友雅は静かに微笑んだだけで返事はしなかった。

晃李には分からないだろうが、自分たちには立ちはだかる問題がいくつもあるのだ。普通の人間に通用しないことが、あれやこれやと二人の恋の前を塞ぐ。
それは時間が経てば、自然に溶けて行くものだろうが…だからこそ結構もどかしさを募らせる。
「姫君の清らかなお心を前にしては、さすがの少将殿も感情に流されることは、出来まいというお気持ちですか?」
「君も遠慮なく言う男だね。同じ様なことを散々主上にも言われて、彼女と部屋を引き離されてしまった。おかげで、今宵は寂しく独り寝だ。」
言われても仕方の無いような、そんな人生だったと自覚はしている。
その上で、これまでの名誉を挽回するには、もう少し苦労しなくてはいけないかな、などと友雅は思った。


「思っているよりも、行動に移した方が、案外物事というものは早く進んで行くものですよ?」
急に晃李が言った、その言葉に反応して友雅は顔を上げると、彼は嫌味なくこちらを見て微笑んでいる。
しかし、何かが引っかかる。
あまりに穏やかなその表情も、その裏に何かを隠しているのではないかと思いたくなる。そして、その言葉も。
「いっそのこと、形だけでも先に作ってしまうという手もあるのでは?」
一瞬、ニヤリとした時の、彼の目が異様に輝いたことを友雅は見逃さなかった。
……何だこれは。もしかして、嗾けているのか?
今直ぐにでも、彼女と契りを交わしてしまえば良いと、堂々と面と向かってそそのかしているつもりか。
何故だ?彼にとって、そうなることで何かの利益があるのだろうか…と考えてみたが、全くそんなものは思い当たらない。

晃李は、友雅を意味深げな瞳で見つめる。
「今更、共寝を憚る間柄ではございませんでしょうに。これほど仲睦まじいのですから、既に固く結ばれておるのでしょう?」
「それについては、君の想像に任せるけれど。」
適当に答えをごまかして、友雅は晃李の表情を、わずかさえ漏らさず目で追った。

「私一人の力では非力かもしれませんが、少しくらいはお力添え致すことも可能ですが?」
彼の表情は、特に変化はない。
つまり、ずっと何かを企んでいるような顔は、そのままだということだ。
自分を見つめる晃李を、友雅は真っ直ぐに見つめ返す。少し、睨むような強い眼差しをして。
「どういう意味で、そんなことを言っているんだ?君は。私が君に借りを作らせたところで、ろくな利益はないと思うよ?」
威嚇するような友雅の言葉に、意外にも晃李は物怖じする様子を見せない。
それどころか、にっこりと邪気もない顔でこちらを見て言う。
「いえいえ、そのようなことは何も。ただ、あなたが唯一人の姫君を人生の伴侶と選び、これからどのように生きて行くか…それに興味があるだけですよ」

まだ年も若いというのに、この雰囲気は何だろう。
圧力と言えるようなものではないが、妙に足が地に着いている。
彼くらいの年ならば、もう少し浮き足立っていてもおかしくはないのに。
生まれついた育ちの良さか、それとも天性のものなのか。どうにも掴みきれない、妙な若者だ。


「おや?どうされたのでしょうね…こんな夜中に?」
友雅と晃李の視線が、二人同時に池の方へと移動した。
水音と共に、ゆっくりと広がる水面の輪。それらは二人の高欄の足下にまで広がってきている。
「釣殿の方で音がしましたね?何かあったのでしょうか」
……釣殿。そこには、あかねの部屋がある。彼女の部屋の方で水音が?
まさか…本当にあかねの身に異変があったのでは。妙な胸騒ぎがする。
「どれ、様子を見に行ってみようか。これでも武官のはしくれだから、それくらいはしないとね。」
そう言って友雅は、早々に晃李の前から立ち去っていった。
ともかく、まずはあかねの様子を確認しなくては。
無事を確認しないことには、武官どころか八葉の役目も罷免されては敵わない。

こういう事態を考慮した上で、彼女の側に着いていたいと思ったのだけどねえ…。
足下と気持ちを逸らせながら、そんなことを思い描く。
もちろん、"それだけ"の気持ちなのだ…なんて、この期に及んで言わないけれど。


「興味深い話を聞かせて頂いた。年若いながら、晃李殿は頼りになる御方だ。」
友雅の姿が消えたあと、ゆっくりと柱の影から姿を現した人影が、晃李に近付いて来て声をかけた。
「いや、これも裏を返せば、我らの将来を明るくする為でもありますしね。」
晃李が答えると、彼は納得しながら笑った。
「逆に、我々が手を加えることで、滅多にお目にかかれない男女の縁が築かれるのでありますから、恨まれるどころか…かえって感謝されるのではありませんかね。」
密謀と言えばあまり聞こえは良くないが、こんな平和的な話は他にないはず。

「では…今しばらくしましたら、様子を伺いに参りましょうか。」
夜空に浮かぶ月は、いつのまにか真上へと移動していた。


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Megumi,Ka

suga