Trouble in Paradise!!

 第10話 (1)
「それにしても…あの少将様がお一人にお心をお定めになられるなんて、思ってもみなかったことですわ…」
夜も更けて、嵯峨野に静けさが戻って来た頃。
部屋に身を寄せた侍女たちは、今宵耳にした例の話題の事で、まだまだ床に着くことが出来なかった。
これまで、単なる噂の領域に過ぎなかったことが、目の前で鮮明になったのだ。
興奮冷めやらぬという感じで、眠りにつけない。
「主上のお導きでの巡り会わせとは、思いもしなかったこと…。お血筋では、到底叶わぬお相手ですわね…」
「ただ、随分とお若い姫君でいらっしゃるけど…」
侍女たちの話は、尽きない。このままでは、月明かりが朝日にも変わってしまうのも、気付かなそうだ。


「こんな時間に女人の部屋に伺うのは、少々気が引けるのだけれども…どなたか起きていらっしゃるかな?」
部屋に集まっていた全ての侍女達が、その声に一瞬息を止める。
戸の向こうから聞こえた声は、間違いなくその噂の主。

一人の侍女が立ち上がって、戸の内側にそっと近付く。
「…そちらにおいでになられているのは、橘少将様でいらっしゃいますか?」
「ああ、悪いね。こんな時間に不謹慎極まりないと思うのだが、戸越しで構わないから聞いてもらえないかい?」
彼女は他の侍女たちの顔色を伺うと、彼女たちは緊張した面持ちで様子を見守っている。
「どのようなご用件で?」
「実は明日の朝、私の姫君の着付を手伝ってもらえる者を、一人よこして頂きたいのだが。」
彼の声が聞こえたとたん、わさわさと衣擦れの音が一斉に戸の近くに集まる。
中の様子は到底見えるわけがないが、おそらく侍女たちが皆集まって、戸に耳を峙てているのだろう。

「姫様のお着付けをするには、一人ではお時間が掛かってしまうのではありません?少なくても三人はおられた方が良いかと思いますが?」
声を殺しながら、侍女たちが我も我もと挙手する。
あの、友雅の相手である姫君を、間近でこの目にするチャンス。この機会を逃すものかと、皆意気揚々だ。
人数が多ければ多いほど、選ばれる確率は高くなるもの。一人とは言わず、三人でも五人でも十人でも構わない。
しかし、友雅の方はそんな意志など、まるで皆無だった。
「いや…一人だけで良いんだよ。あまり人が多いとね、私の姫君は緊張してしまうようだから、可哀想だしね。」

"やはり、姫様の事を第一にお考えでいらっしゃるのだわ。"
後ろにいた侍女が、声をひそめてつぶやく。
噂では丹波の里山近くで、質素な生活を続けていたと聞く。雅やかな場に出て来ることなど、殆どなかった噂の姫君。
遠縁に皇族の血を持つ御方ではあるが、下々の者と大差ない暮らしが日常となっていては、袿に袖を通す機会などなかったのだろう。
「それに、あまり噂好きな方の目で、あれこれと凝視されるのも困る。その辺りをわきまえた方を一人、貸して頂けないかな。」
友雅はそう言うけれど…ここまで広まってしまった噂を、無視出来る者などいるわけがない。
今、彼の話を相手している侍女頭である年長の彼女でさえも。やはり友雅たちの噂は気になって仕方が無いのだ。

「…承知致しました。ですが、やはり後衣紋者と前衣紋者の二人は必要でございます。こちらできちんと人選させて頂きますので、よろしいですか?」
「有り難い。それじゃ、よろしくお願いするよ。」
取り敢えず用件だけを済ませた友雅は、その場から立ち去ろうと向きを変えた。
その時、戸の向こうから若い娘の声が聞こえた。
「た、橘少将様!あの…少しお話、お聞かせ頂けませんか!?」
友雅は足を止める。
「夜も随分と更けているよ。ゆっくり言葉を交わせるような時間は、もう残されていないと思うけれどね?」
渡殿から差し込む月明かりで、影が床へと長く伸びている。


「それで、何が聞きたいのかな?あまり時間はないから、質問は短く早めにお願いするよ。」
どうせ彼女たちが聞き出したいことは、自分とあかねに関しての事だと、既に十中八九で分かり切っていることではあるが。
ここで適当に無視してしまっても、あることなすこと誇張されて広がり続けるだろうし、どうせ広がりを止められないのであれば、出来るだけ問題の無い方向に軌道修正したいものだ。

「あの…姫様を主上にご紹介された、というお噂は真でいらっしゃいますの?」
思った通り。さあ、ここでやっと、さっきのシミュレーションの本領発揮だ。
繰り返して叩き込んだ、偽りの作り話でどこまで相手を信じ込ませることが出来るか。騙すと言えば聞こえは悪いが、考え方によっては充分楽しみ甲斐のあることではないか。
「ご紹介に預かった、というのは微妙な言い方だけどね。行幸の折、姫の住む屋敷へ立ち寄りたいと申されたので、付き添いを頼まれたのは間違いないよ。」
「それは、その…最初から姫様を、少将様にご紹介するおつもりで、という事で…しょうか?」
本当にそうなら、光栄極まりないことなのだが、と声にならないつぶやきを胸の中に閉じ込めて、友雅は彼女からの問いに返事を返す。
「さあ…それは主上にお尋ねしなければ分からないけれど。ただ、結果的にはそういう事になってしまったね。主上に連れて行かれなかったら、彼の姫君とは出会えなかったかもしれない。そう思えば、心から感謝致す次第だよ。」
彼が返事をしたあと、しばしの静寂が訪れた。
その中で、こそこそとひそめた声が戸の向こうから聞こえる。あいにくと内容までは鮮明に聞き取りにくい。
水面に注ぐ月光は、簀子に反射して揺らめいている。

「姫様は…随分とお寂しいお暮らしをされておられたと、噂ではそうお聞き致しましたが…」
「身を寄せる者もいなくなったようでね。彼女一人では心細くもあったと思うよ。でも、意外にも素朴で明るいお人柄をしていてね、里山の人々と何ら変わりない生活を苦ともせずお暮らしになられていた。」
「では、その…普段は」
「普段はね、自由に街中を歩いたりしているよ。その方が、過ごしやすいんだそうだ。美しい単や袿に身を包む貴女方には、とても信じられないかもしれないけれど、なかなか快活で愛らしい姿だよ。」

そう、絢爛豪華な袿を身に纏い、四季折々の色重ねを楽しむ彼女たちにとっては、年頃の娘が野山を自由に歩き回れるなんて、常識では考えられないだろう。
背よりも長い艶やかな黒髪と、甘美な香を敷き詰めた世界で生きる。そんな女性たちの華やかさに気を取られたこともあったが、今は瑞々しい若葉のような香りに心を惹かれる。
飾られるために手折られた花ではなく、季節の移り変わりをその身体で感じて、自らその大地に命を根付かせた花。
その力強さと、精一杯に花開いた時の香り高さと美しさは、どんなに艶やかな花にも勝る。
-------彼女は、そんな女性だ。自分にはないものを、与えてくれる。
そして気付かせてくれる。

「それに、そういう風に外を自由に歩くことが出来るなら、どこにでも連れて行ってあげられるのが良い。例えば…野山や町の市とか。一緒にあれこれ見て回るのも楽しいものだよ。」
普通の女性なら、どこぞの場所に美しい花が咲いていると教えても、そこまで連れて行ってやるだけなのに、わざわざ牛車やら使いの従者まで揃えなくてはならない。
だが、そんな面倒な事はあかねには無用だ。思い立ったら、すぐに手を引いて行くだけで良い。
恋には、まだるっこしい手順は邪魔なだけだ。逢いたい時と思ったら、その感情を止めることなど出来ないのだから。
…だから、今みたいな状況は少しじれったい。

「あの…では、少将様のお屋敷とかにも、お連れしたりすることも…ございますの?」
自分の屋敷に…か。そういえば、二回ほどやって来たことはあったか。
ただし、どちらも他の八葉を連れてのことだが。
「そりゃあね。それくらいの事なら、別に珍しい事でもないよ。何しろ、丹波の里では彼女は殆ど一人で暮らしているようなものだし。そんな寂しいところに帰すのは、可哀想だと思わないかい?」
「は、はあ…」
戸の向こう側で、戸惑っている彼女たちの表情が見えるようだ。それを思うと、顔が緩んで来る。
我ながら、少し意地が悪いな…と今更そんなことを思ったりしつつ、もう一言付け加えてみた。
「だからね、早く私の屋敷に身を寄せてもらいたいのだけれど…」

「あ、あの……少将様は、姫様と既に…その、将来をお約束されておりますの?」
どう答えようか?友雅は少し考えた。
自分の意志だけなら、簡単に答えられるけれども…ここは正直に言った方が後々うまく転がってくれるだろうか。
「そうだね。私はもう随分前から、そのつもりでいるのだけれど。これが、なかなかはっきりとした返事をもらえなくてねえ…。若い娘一人での暮らしは、何かと不自由があるだろうし、私の所に来ればそんな気には絶対にさせないんだが…。」
すべてが終わったら、その時は…と、これでも真面目に考えている。
だけど、すぐにでも答えが欲しいというのが、実は本音。
「どうすれば、受け入れてもらえるのかな。女性の立場から見て何か良い提案があれば、私に少し教えて頂けないかい?」
ついでに、彼女の強力な包囲網である、土御門家の小さな姫君と忠誠心の長けた若い武士の、説得方法に付いても良い案があれば伝授願いたいものだ。


涼しげな水音。夜風に揺れる竹林の笹音も心地良い。嵯峨野の夜は、空気が澄んでいて月もひときわ明るく見える。
「さて…他に何か、まだ尋ねたいことでもあるかな?」
「あ、いえ…もう特には…」
「良かった。なら失礼するよ。私がいないうちに、彼女に何かあったら大変だからね。」
そろそろ、帝の話も終わったことだろう。どんな話をしたのか分からないが…まあ、あとであかねに直接聞いてみるか。
「あの、姫様とはお部屋は…ご、ご一緒で…?」
せっかく歩き出したのに、またも後ろから呼び止める声がする。友雅は、振り向かずに背を向けたまま答えた。
「残念ながら、別々に用意されてしまったよ。一つの部屋で休むとなると、どんなことになるか…既に主上はお察しのようでね。」

もちろんこれは本音で言ったのだが、背中に突き刺さって来た甲高い彼女たちの声に、思わず声を上げるほど笑いそうになった。


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Megumi,Ka

suga