「こういう事に関しては、やはり直に詳しい御方ではないと。」
とか何とか言いくるめられて、先頭を切って向かう役目は、結局朝比名に白羽の矢が立てられてしまった。
直接友雅との面識もあり、それに加えて噂の姫君を知る唯一人。過去の事も話題にのぼれば、さすがの友雅でも口を滑らすのではないかと、周囲は皆期待に膨らませている。
「はぁ。全く面倒なことを押し付けられたものだ…」
やや重い気に釣り合うような足取りで、彼は二人の部屋に向かっている。
「宜しいではありませんか、父上。あの橘少将殿が想いを寄せる姫君…私も興味のある所でございますよ。」
晃李は涼しい顔をして、父のあとを着いて来ている。
「この部屋か。」
朝比名達の部屋とは、逆の対にある。
帝の御前を挟んで、すぐ近くに位置されている部屋を与えるとは、やはり彼女がそれ相応の身分であることを示しているのだろう。
ひっそりと周囲は静まり、廊下を松明の灯りがぼんやり照らしている。
取り敢えず…声を掛けてみよう。
と思った時、背後にいた晃李がしっと指を立てて父の行動を遮った。
そして、戸の方を指差して、耳を峙ててみろという合図を送った。
…何か聞こえるのだろうか?と、朝比名は戸に耳を近付けてみる。
すると、中から会話がこぼれるように聞こえて来た。
「『あかね姫。私の心を汲み取ってはもらえないだろうか?』」
「そ、そんな事を急に言われても…何て答えれば良いんですかっ…」
「『離れて過ごす夜の寂しさは、私だけの片思いに過ぎないのなら、募る貴女への想いをどこに向ければ良いのだろう…』
「別に…か、片思いってわけじゃ…」
「『もう待ちくたびれてしまった。わずかでもこの想いが通じているのなら、今すぐにでも貴女をここから奪い去ってしまいたい……』」
……何と言うか、これは…取り込み中か?
ここまで来て、部屋の前で立ち往生しているが、声を掛けて良いものかと悩む。
「どうしたものかの〜…。時期を改めて、もう一度参った方が宜しいだろうか?」
思わず行動に困って、息子の晃李に尋ねてしまったが、意外に彼はあっさりと父の言葉に返事を返した。
「いや、少将殿の事ですから、こういう状況には手慣れている事でしょう。一言、先に外から声を掛けて差し上げて、向こうから開けて下さるのを待てば宜しいのではありませんか?」
我が子とは言えど、妙に冷静な判断を示すものだな、と少し感心してしまった。
確かに、悠長に時間を費やしている場合でもない。
あまりにのんびりとしていては、後に残されている輩どもがしびれを切らして、暴挙に出る可能性も…なくはない。
「そうだな。では…ちょっと声を掛けてみるとしようか。」
朝比名は、一歩後ろに退いて呼吸を整えた。
「すまぬが…こちらに、橘少将殿はおられますかな?」
せっかく二人きりの時間を過ごしているというのに、割り込もうとするとは無粋な輩だ。友雅は外からの声に、それまで抱きしめていたあかねを渋々手放した。
「お、お客さん…ですね」
声をひそめて、あかねが言う。
一体誰だ?帝の混乱の場に居合わせた誰かが、また彼女の姿でも覗こうとやって来たのだろうか?
「取り敢えず、神子殿は几帳の向こうで待っていなさい。私が様子を見てくるから、それまでは姿を出さないようにね。」
友雅はそう言って立ち上がり、戸の方へと歩み寄ってこちらから尋ねた。
「どちら様です?私に、何か急用でも?」
「ああ…おられましたか。私だ、朝比名だ。」
どこかで聞き覚えのある、円熟した声だと思ったら…朝比名であったか。
既に隠居とは言え、ほんの一年前は大納言であった彼である。このように開けた宴に招かれても、何らおかしくはない。
「実はな、今宵は先日の姫君もお連れになっていると、噂に聞いたものでな…。その後、どんなご様子かと挨拶も兼ねて参ったのだが。」
いかにも正論というような言葉を、彼は口にした。
だが、友雅には気付いた。おそらく先程の騒動で、帝の話を鵜呑みにした輩が彼の元で話題に持ち上げたのだろう。
その中で、自分とあかねの様子を彼が知っているということから、偵察係としてよこされた…と、そんなところだと思われる。
朝比名殿か。
あかねの正体は知らぬとも、自分と彼女がそれ相応の仲であることは、もう彼には分かり切っている事である。
今更隠せることもないし、それに…いずれは何かしら二人で礼に行かなくては、と思っていたところだ。彼ならば、それほどの問題はあるまい。
「では、申し訳有りませんが、今しばらくお待ち頂けますか?何せ、二人だけで過ごしておりますと、羽目を外してしまうこともありまして…」
「ん、ああ…も、勿論。では、ここで待たせて頂こう。」
一線を退いた彼には、少し刺激の強すぎる返事だっただろうか、と友雅は自分の言った虚言に笑った。
そんな友雅を不思議そうに見ているあかねには、どうやら今の返事の内容は届いていないようだ。知ったらどんな顔をするか…と、それもまた想像すると笑いが浮かんで来る。
友雅は、あかねの元に戻って来た。
「朝比名殿が、君の様子を気にかけて、来て下さっているみたいだよ。」
「朝比…名さんって、あ!もしかしてこの間、山荘でお世話になった…?」
さすがに、あかねも覚えていたようだ。いくら病に倒れていたとは言え、あの状況で朝まで世話になったのだから、その恩を忘れたりはしないだろう。
「あれからどうしたかと、気にしていたようなのでね。中にお通ししても構わないよね?」
「はい、勿論。私もきちんとお礼を言わなきゃ…」
とは言え、彼もまたあかねの素性については、何も知らない相手である。顔見知りではあっても、あかねが神子であることは知らない。
そうなれば、さっきの応答練習を実践に移さねばならないということだ。
「分かっているね?"君は主上の遠縁の姫君。そんな君を私が見初めた"のだから、忘れないようにね。」
釘を刺すように友雅は言ったけれど、照れくささの中にもやっぱり、どこかしっくりこない違和感があるなあ…と、そんなことを思わずにはいられないあかねだった。
+++++
「先日は突然お邪魔して、色々とご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳有りませんでした。」
「いや、そんなことは気にせんでも良い。すっかり元気になられたようで、何よりだ。」
久しぶりに逢う彼女は、あの時とは違って明るい顔色で朝比名たちを出迎えてくれた。おそらく、普段の彼女はこんな感じなのだろう。ほんのり紅を差したような、春を思わせる頬の色がよく似合う。
「おかげさまで…。本当にお世話になりました。もう少し早くお礼に伺おうと思っていたんですけれど…。」
「構わぬよ。少将殿も、引き続いて体調を崩しておられたようですしな。この方を差し置いて、隠居の身である老耄の顔を見に来ることなど出来ますまい。」
「そ、そんなことは全然…」
彼女は顔を少し赤らめて、ふと視線を反らし袖で顔を隠した。
……可愛らしい姫君だな。
朝比名は、そんなあかねの様子を見て微笑ましく、そう感じた。
だが、そんな彼の考えとは違って、共に付いている晃李の方はというと、まるで珍しいものを見たかのように友雅とあかねの様子を、交互に見ては何やら思慮深い顔をしている。
「如何なさったのかな、晃李殿?」
友雅の声が自分を呼んだので、彼は姿勢を正した。
「初めて正式に、お目にかける私の姫君に、何か気にかかることでも?」
「…いや、そういうわけではないのですが。」
晃李の様子に気付いたのか、彼女は友雅の腕に寄り添うように身体を傾け、袖から見せた小さな手で彼の手を握りしめた。
警戒されてしまっただろうか。
皇族の遠縁とは言え、既に身よりもないという話。その上、このような宴の席に招かれては、他人の目には敏感になっているであろう。
少し気の毒なことをしたかもしれない、と晃李は後悔した。
「申し訳ありません、好奇心で人を見る様な無礼を働いてしまいました、お気に障りましたか。」
「あ、大丈夫です。ちょっと、びっくりしちゃっただけで…」
強張らせている身体に、友雅の手が即座に伸びる。そして彼は、周りから護るように彼女の背中を抱え込んだ。
「こういう宴の席に出るのは滅多に無いことだから、少々緊張しているのだよ、我が姫は。出来るだけそれを考慮して、丁寧に扱ってくれるかい?」
「はあ、申し訳有りません」
穏やかではあるが、あくまでしっかりとした口調で友雅に言われた晃李は、素直に頭を垂れた。
というか…何が珍しいかと言うと、彼女自身の存在というわけではなくて、友雅が彼女を見初めたということなのだ。
これまで幾多の浮き名を流して来た彼が、自ら恋い焦がれた姫君とはどのような女性かと…ずっとそれに興味があったのだ。
が、こうして目の前にしてみると、想像とは全く違っていたので驚いた。
父の綿墨から聞いてはいたが、確かに年は若い。友雅と…一回り近くは違う様な気がする。
だが、何より…あの艶やかな印象のある友雅とは、まったく雰囲気の違う娘だ。見た目にも小綺麗で、清潔感と爽涼感が同居している。
花と言うよりも鮮やかな若葉。
もしくは…花開く前の、紅を差した梅のつぼみのような。
彼が噂を流した名高い女人たちを思うと、目の前にいる可憐な姫君は似ても似つかないのが不思議でならない。
それとも、何か彼の心を絡めとるような協力なものが、彼女には持ち備えているのだろうか。
他人には分からないような、二人にしか通じ合わない特別な何かが。
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