Trouble in Paradise!!

 第5話 (3)
黄金色の月が、まっすぐに伸びた竹の間から覗いていた。
かすかに遠く聞こえる川のせせらぎと、笹の葉の揺れる音が溶け合って涼しさを醸し出している。

式部省宮卿の邸への滞在ということで、それほど大掛かりな宴の予定ではなかったのだが、それでも普段よりは随分と賑やかな予定が組まれた。
招かれている者も、厳選されて入るが嵯峨の野にしては多い。
市中から出向いた者も少なくはなかった。

「ほんに今宵は、宴に格好とも言える夜よのう。」
「まったく。暮れ行く道を、嵯峨までやって来たかいがあるというものよ」
宴の舞台を前にして、大輔と少輔が揃って月を眺めながら話した。
「しかも、今宵は仁和寺の法親王様もおこしになられているそうな。久々に、あの美しい笛の音を聞けるかと思うと、今から楽しみで仕方がありませんね。」
現在の大納言である柏原が、隣にいる朝比名に言う。
「既に隠居の身となった私が、再びこのような場で夢幻の夕べを楽しむことが出来るとは。長生きもしてみるものだな、と感じる次第ですな。」
彼の横にいる晃李も、黙ってうなづいた。

本来なら、昇殿も許されていない正七位下の晃李には、このような場所に呼ばれることは、まずない。
だが、今回は父の朝比名への招きを帝から賜った際、家族の者を一人は連れて来ても構わないとのことで、白羽の矢を手にしたのが晃李であった。
上の兄二人は、既に昇殿する立場であるため、末息子である彼に社会科見学でもして来い、という意味もあったのだろう。
しかし、周囲を官僚達に囲まれている割に、堂々と落ち着いている風情はなかなか凛々しい。
…などと思うのは、親ばかだろうかと朝比名は思った。

「そういえば、父上。本日は橘少将殿は、お見えになられていないのですかね?」
ふと彼が漏らした言葉に、周りの空気が変わった。
「それはないでしょう。橘少将殿と言えば、主上の懐刀。行幸にお供されないことは、まずあり得ないのではないですか?」
答えたのは、式部省大輔だった。
普通ならそうかもしれないが…ここから見える限りは、帝の側に彼の姿はない。
代わりに宰相中将が二人ほど、御座に控えている。

左近衛府の中で、友雅以外に帝の護りを任される者はいなかったはずなのに、今宵に限って何故だ?
「先日、お身体を患っておられたようでしたからなあ。もしや、再び体調を崩されたのでは。」
「いや……つい最近お会いいたしましたが、そのようなご様子はなかったと思いますが…」
晃李が答えると、くすくすと小さな笑い声が聞こえた。
声の主は、民部省大輔である。
「病とは言っても、普段とは違う病もあるかと思われますよ?例えば……例の噂話で聞く姫君のおかげで、随分と少将殿は恋の病が重いご様子ですしな。」
晃李、そして父の綿墨が揃って、大輔の言葉に気付く。勿論周囲の面々も、その意味を捕らえる。

「少将殿の選ばれた、姫君か…。噂では頻繁に出て来るが、実際はどんな方であろうか。興味がありますなあ。」
笑い声がどよめく中で、綿墨一人だけが思いに耽っていた。
おそらくこの部屋にいる者の中で、彼の相手を実際に見たことのあるのは、自分だけだろう。
あの日、友雅が一時も離れず、離さずに居た若い娘。
彼が選んだ相手が、彼女であることは十中八九間違いはないが、何故にここまで彼はあの娘をひた隠しにするのかが綿墨には不思議だった。
それは、彼女の血筋に関わる事なのだろうか。
身分違いの、それとも敵筋の姫君とか…そんな意味合いを含んだ恋とか?

「うーむ……」
ここのところ友雅たちのことを思い出すと、疑問を抱えて唸ってばかりである。

+++++

「宴の席に女性が呼ばれることは、あまりないのだけれどもね。今夜は特別に、少しお招きしているようだ。」
帝の御座から左斜めに用意された部屋に、あかね達は通された。
意外に舞台は近くて、御簾を下ろしていても舞人の姿はしっかりと見えそうだ。
部屋は結構質素な造りではあるが、飴色になった柱や板張りの床の色は風流で、静かな嵯峨野には似合っている。

「失礼致します。御前をお持ち致しました。」
若い女房の声が聞こえたので、友雅はあかねを几帳の奥へと隠した。そして、自らその戸を開ける。
「ご苦労様。そこに並べてもらって構わないよ。後は、私が世話をするからね。」
女房は一人ではなく、三人程が高坏を手にして部屋の外に待機していた。

帝の口添えもあったせいなのか、用意されたものは結構な献立だった。
酒肴の種類もさることながら、盛られた菓子の種類が豊富だ。
唐菓子数種に、棗や栗などの木の実も揃えられている。皇族と同程度の品揃えに思えるが、おそらく女性であるあかねへの気遣いで選ばれたのだろう。
「それでは、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ。」
侍女たちは部屋に入ることなく、御膳を入口の隅に置いて戸を閉めた。


「いかがでした?お顔、拝見出来ました?」
詰所で待ち構えていた他の女房たちが、戻って来たとたんに駆け寄って来た。
「いいえ、全く。お部屋の中にも入らせて頂けませんでしたの。あとは、ご自分でなさるとおっしゃるので、御膳を置いて戻ってくるしか出来ませんでしたわ」
全員がため息をついた。
友雅が帝の護りを下りてまで付き添う姫君こそ、あの噂の相手だと信じて疑わなかった。
せめて一目でも姿を覗けないだろうかと、御膳を運ぶ役目を皆で争ったものだったが、やはり友雅の防壁を崩すことは不可能だったらしい。
「ただ、几帳越しのお姿の影をちらりと見ましたが、小柄で細身の御方にお見受け致しましたわね。」
せいぜい確認出来たのは、それくらい。
どんな衣を身に着けていたのか、どんな面持ちなのか、どんな美しい髪をしているのか…声も何もかも分からない。
唯一分かることと言えば、友雅の執心が半端ではないことくらい、だろう。


銀色の提子には、酒が入っている。そして、添えられている酒盃を見たあかねが言った。
「これって…この間の市で買った盃と同じようなやつですね」
少しざらつきのある、素朴な素焼きの盃だ。
「へえ、本当にこういう風に使うんですねえ。」
「土御門では酒を嗜む者は、それほどいないだろうしね。実際に酒器を使っているのを見るのも、珍しいかな?」
天真も詩紋も一応は未成年だ。あかねや藤姫なんて、それこそ酒なんか飲めない。
でも、素焼きの盃なんて、これまであまり馴染みがなかった。殆どがガラスや陶磁器のものしか、向こうの世界では見なかったから。

「あ、友雅さん、お酒…私が注ぎましょうか?」
提子に手を伸ばそうとした彼に、あかねが言った。すると、友雅は笑顔で応える。
「嬉しいね。それならいつも以上の美酒を味わえそうだ。」
ただし、これから管弦の奏が待っているから一杯だけ、と断ってから友雅は盃を差し出した。

まるでひな祭りの飾りのような、銀の提子を手に取って、ゆっくりと盃へと傾けて行く。透き通った酒が注がれると、土の色が深く変わった。
「この部屋を用意して下さった主上に、後ほど深く御礼を申し上げなくてはいけないな。」
「え、どうしてですか?」
注ぎ終わった提子を元に戻したあかねは、友雅を見る。彼は手にした盃をそのままにして、口を付けずにあかねだけを見る。
「宴の席とは言え、こうしてゆっくりと月を愛でながら、二人きりの部屋で君に酒を注いでもらうなんてね…。想い描いただけでも幸せな気分だ。」

二人きりで過ごせる時間なんて、限られているからこそ、ふいに訪れるこんな偶然が至福感を呼び起こす。
だから、こういう時には甘い言葉を囁きたくなる。そして、ほんの少しだけでも相手に触れたくなる。
「他の誰かがこんな私たちを見たら、本当に連れ添っている同士みたいに見えるかもしれないね。」

一滴も盃に口を付けず、友雅はそれを折敷に戻した。
その代わりに、目の前にあるとびきり甘い花びらに、そっと唇を重ねた。

+++++

「失礼致します。友雅殿、そろそろ管弦の奏の用意を、との事でお呼びに上がりました。」
戸の向こうから聞こえて来たのは、永泉の声だ。
「ああ、わざわざ有り難うございます。ではすぐに伺いますので。」
それまで抱きとめていたあかねの身体を、名残惜しそうに手放した友雅は、ゆっくりと立ち上がって戸を開く。
永泉ならば大丈夫だろう、と几帳は開けておいた。

「神子、今宵は嵯峨の奥までお越し頂き、ありがとうございます。」
柔らかな物腰と暖かな笑顔の永泉の表情に、あかねは少しホッとした。
友雅が側に居てくれるとはいえ少し不安もあったが、馴染みのある顔をもう一人目に出来た事で、何となく気持ちが和らぐ。
「こっちこそ、こんな凄い宴に呼ばれちゃって緊張してます。でも、いろいろと主上に気を使ってもらったので…。」
「事足りないものはございませんか?遠慮なくおっしゃって下さい。ご用意させますので。」
もうこれ以上、欲しいものなんて何もない。充分すぎるくらいだとあかねが言うと、永泉も優しく微笑んだ。

「じゃ、演奏聞いてますから、頑張ってくださいね。」
出て行こうとする彼を見送ろうとすると、あかねの頬に友雅の手が触れて、艶のある視線を彼女に注ぐ。
「"いってらっしゃい"って、言ってくれるかい?」
「……?いってらっしゃい…」
友雅の言う通りにそう口にすると、彼は満足そうにあかねの髪を撫でるような指先で梳いた。
「ふふ…そういう風に言うと、本当に奥方みたいだよ。」
「え?あっ…ええ?…」
戸惑うあかねを軽く交わして、友雅は永泉の後ろを追いかけて行った。



***********

Megumi,Ka

suga