Trouble in Paradise!!

 第3話 (1)
二、三日休んだからと言って、目に映るものを懐かしいと感じるとか、明らかに変化があったということは、殆どない。
すれ違って会話を交わすものは、大概同じ顔ぶれであるし、片付けなければいけない仕事も、これまでと全く同じだ。
正直本音を言ってしまうと、今回の風邪を理由に、もう少しのんびりしていても良かっただろうか、と思わないこともない。

「友雅殿、もうよろしいのですか?」
分厚い書を二冊ほど両手に抱えた鷹通が、向こう側から歩いて来て彼の前で立ち止まった。
「まあね。この間は、わざわざ立ち寄ってもらって悪かったね。」
「いえ、土御門家に参る途中でございましたので。逆に、友雅殿のご様子を伺えたことで、神子様もご安心になったようで何よりです。」
その時の、あかねの様子が思い浮かぶ。
さぞ、もやもやとした気分で落ち着かなかっただろうが、その間中彼女の頭の中が、全て自分の事だけで埋め尽くされていた…というのは、不謹慎だと思うが気分が良いではないか。
そんなことを思い描いては、胸が熱くなる。随分と、こちらの病は重症みたいだ。
「季節の変わり目ですので、お気をつけ下さいね。あなたがお倒れになられては、主上も神子殿もお困りになられてしまいます。」
「そうだね。少し気を引き締めるとするよ。」


鷹通と気楽な会話を続けながら、人の行き交う内裏の中を歩く。
だが、しばらくして妙な感覚がよぎった。
「どうかなさったのですか?」
突然に立ち止まった友雅を、不思議に思った鷹通が振り返る。
前後・左右・ついでに各斜め方向まで、辺りを見回してみるが……特に変わった様子はない。

「おかしいね。誰かがこちらを見ていたような気がしたんだが。」
「………まさか、鬼…」
とたんに鷹通の表情が険しくなった。だが、そんな不穏な感覚ではない。
「いや、そういう怪しい感じではないよ。ただ…何だか、じっとどこかから見られているような…そんな感じかな。」
危険なものではないと分かると、鷹通もホッとしたようだ。
そして、友雅がさっきやったように、彼も辺りを見渡してみる。

すると、眼鏡を通した視線の先に、二人ほどの公達が密やかに会話をしている姿が目に入った。
明らかに彼らの視線は友雅を見ながら、話を続けているように見える。
「友雅殿…」
伝えようと鷹通が振り返ると、彼は別の方向を見ていた。その視線を辿ると、そこにはまた数人の舎人がこちらを見て話し込んでいる。

一体、何があったというのだろう。
焦点になっているのは自分…ではなく、勿論友雅であるのだということは分かるけれど。
「変だな。鷹通、私は最近何かしでかしただろうか?」
友雅が尋ねるので、鷹通はざっと頭の中で彼に関する事例を思い起こしてみた。
だが、あいにく友雅という男は、思い当たる事が多すぎる。
実際に本人が招いた事例に加えて、先走りする噂だけでも後が絶たない。
それらを一つずつ数え出したら、いつまでたってもキリがない。
「ご自分で、何かお心当たりがないのですか?」
「さあ…。幸い、殺意という物騒な感じではないから、気にしなければ良いとは思うけれども…。」
それでも、やはりいささか気味が悪い。
他人よりは注目を浴びてしまう自覚はあるが(主に行動が原因で)、だからと言ってこんなに耳打ちされるような事はなかった。
どうせ噂をするのなら、こっちの耳に入るような声で話してもらえないだろうか。中途半端に聞こえる程度では、靄が掛かっているようですっきりしない。


「おや、鷹通殿…お久しぶりですね。」
二人の姿を見つけた若い公達が、にこやかな表情をしてやって来た。
見慣れない顔だが、どうやら鷹通の知り合いのようだ。類は友を呼ぶと言うが、彼もまた利発そうな雰囲気の男だ。
「晃季殿も、お元気そうで。御父上は如何お過ごしですか?」
「隠居した身とは思えぬほど、衰える様子もなく元気ですよ。少しは落ち着いても良い年ですがね。」
挨拶代わりの談笑を終えたその男は、今度は友雅の方を見て、にこりと微笑んだ。

「直にお目にかかるのは、初めてでございますね、橘少将殿。」
どこかであった様な気がするのは、気のせいだろうか?
だが、声は聞いた事もない。彼が言うように、初めて会う男だとは思うのだが。
少々線の細さが気になるが、おそらく鷹通同様に文官系の者だろう。
それにも増して、仕草や身のこなしからは、育ちの良さが感じられる。
「お元気になられたようで…。両親もどこか気にかけていたようですが、回復されたようで何よりです。」
「……ああ、君はもしかすると…」

既視感に似たさっきの感覚の意味が、やっと分かった。
面影が、あの時の…つまり、朝比名の妻である呉羽に似ていたのだ。
「申し遅れました。私、朝比名家の三男、晃季と申します。大学寮で明法博士に就いております。」
改めて彼は、丁寧に会釈をした。
「君の御両親には、随分と世話になり感謝しているよ。礼に伺おうとしたのだけれど、あんな調子で体調を崩してしまってね。」
「いえいえ。こちらこそ、貴方様のような華やかな御方と過ごす事が出来て、父もさぞ楽しんだことでしょう。御礼申し上げますよ。」
年の割には落ち着いた男だな、と友雅は思った。
これくらいの年代ならば、いち早く出世しようとあれこれ人脈を巧妙に張り巡らせていく頃だが、そういう焦りのようなものは感じられない。
安定した家で生まれ育った、末息子の気楽な感覚がそうさせているのだろうか。

「是非、我が家にもお暇があれば、足を運んで頂きたいものです。心寄せる最愛の姫君と、一時も離れたくはないお気持ちは理解出来ますが、たまには父の話し相手でもしてやって下さいませんか?」
そう言った晃季は、これまでと同じように穏やかに微笑みを浮かべている。
しかし、その隣にいる鷹通の表情は違っていた。

「…また、いつものお戯れですか」
呆れたような声で、彼は友雅の顔を見る。
"八葉とあろう者が"という、そんな意味を込めた目をしている。
八葉だからこそ、離れたくないのだ。
その最愛の女性こそ、神子である彼女なのだから。そう言えば、鷹通は納得してくれるだろうか?
勿論、まだ言うつもりなどないけれど。
「いずれ近いうちに、伺わせて頂くよ。」
友雅は、そう答えた。


「では、私は先を急ぎますので、これで。」
先にその場を後にしたのは、鷹通だった。
仕事のピークを越えたとは言えど、まだまだ治部省は多忙を極めているようだ。
将来有望な若い少丞に託される仕事は、後から更に増えて行くのだろう。
そんな彼の背中を見送ると、友雅は目の前にいる晃季と二人だけになった。
彼は相変わらず育ちの良い面持ちで、友雅をちらりと見た。

……似ている。さっき、周囲から感じた視線に似ている。
もしや彼もまた、何か自分に対して噂のネタでも持っているということだろうか。
友雅がそう考えていると、彼は自分から言葉を発した。
「それにしても…本当に少将殿のお噂は、あっという間に広がるものでございますねえ?それだけ、皆興味津々ということでしょうか。」
「…君は、何か心当たりを持っているようだね。」
不思議なことに、下心や策略を抱いているような雰囲気は、彼からは感じられなかった。
だが、含み笑いのような表情が気にかかる。周囲の視線の意味を、彼は少なからず知っているに違いない。
「噂を流されるのは慣れているけれど、何だかねえ…。皆、そこまで他人の事が気になるのかね。」
少々面倒くさそうに髪を掻き上げて、友雅は苦笑いを浮かべた。

やはり、これくらいでは何て事はない、か。
浮き名を流すことなど、日常茶飯事の彼だ。今更噂を囁かれたところで、わざわざ気に留めることもないと悟っているのだろう。
「貴方だから、皆気にかかるのですよ。特に、女人はさぞかし心を乱されている方が多いのでは?」

…女性との噂が原因、か?
だが、ここ数ヶ月の事を思い返してみても、全く友雅には身に覚えがなかった。
何せ今の今まで、一人の女性しか頭にないのだ。他の女性に気を取られる余裕など、あの頃の友雅にはなかった。
心を交わせたのは半月前だとしても、それまでの長い時間もまた、たった一人に恋した日々を過ごし、その心を持て余していた頃。
むやみやたらに点々と、夜を明かす場所を変えたのは昔の話。
彼女一人の面影さえも、何ものに代え難いと知ってからは………。

「同じ男として、私もあやかりたいものですよ。最愛の姫君に出会える方法を、是非伝授して頂きたいものですね。」
彼が"最愛の姫君"と口にしたのは、これが二度目だ。
朝比名家の三男…父である綿墨から、あの日のことを聞き出す事も容易いだろう。
そう思うと、馬鹿正直に土御門家の名を出さなくて、正解だった。そして、この場所に鷹通がいないことも運がいい。

「そういう相手はね、結構意外なところにいるものだよ。君も、広く目を凝らしてみる事だね。その人だけ、輝きが違って見えるものだから。」
「…成る程。貴方の視野に映った幾多の女人の中で、その方だけは特別な輝きをお持ちだったと?」
「私に聞かなくても、父上から聞いて、既に君は分かっているのではないかな?」
噂通り、才知に長けた男だ。それくらいのことは、お見通しか。
相手の女性が、どこの誰かなどは関係ない。
ただ、本当に彼のような男が、一人に想い焦がれたりするものなのか、と確かめたかったのだが、どうやらそれは真実のようだ。



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Megumi,Ka

suga