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Trouble in Paradise!!
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| 第2話 (3) |
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土地の名前が示す通り、屋敷のある町並みは閑静かつ、それでいて広大な邸宅が軒を連ねている。
東洞院大路。
この近辺は上皇・法皇の院が並ぶ。その中に屋敷を構えているということで、彼の位がどれだけのものか知る事が出来る。
「父上、ただいま戻りました。」
三男の晃季が、内裏から戻って来た。
「おお、ご苦労だった。」
父は息子を労いながら、手元にある緑の枝を花器に刺した。
一見、ただの枝のように見えて、生ける意味もなさそうな感じもしたのだが、よく見ると小さな花がいくつか咲いている。
花の数と大きさの割には、ほのかに香りもするようだ。
「橘の花ですか。時期はもう過ぎたと思いましたが、まだ咲いている場所がお有りでしたか。」
「うむ、あれだけの数があれば、一つや二つの枝は咲き遅れたものがあるようでな。それらを少し頂いて来たよ。」
華やかさには欠けるが、衰えない緑の艶やかさと控えめな花は、なかなかバランスが取れていて見映えが良い。
花を生けるたしなみなどないが、無造作に差してみてもそれなりに見えるのが、かえって気軽だ。
「今日は、四条にある橘少将殿の屋敷へ伺ったのだ。そちらで、これを頂いてきたのだよ。」
父の手に添えられた枝と、彼の名前を聞いた晃季が反応を示した。
「友雅殿のお宅へ?そういえば……ここ数日は、出仕されていないと聞きましたが?心配されている方も、かなりの数のようですよ」
姿が見えれば黄色い声が聞こえ、見えなければひそひそと噂する声がする。
どっちにしても、話の中心にはいつも友雅がいる。
「いやな、数日前から熱に侵されていたとのことでな。おそらく、娘御に移されてしまったのだろう。」
それは、いつもと変わりない親子の会話だった。
だが、彼の三人の息子達の中で、一番耳が良く、それでいて人の言葉を深く理解しようとするのは、幼い頃から紛れもなく三男の晃季だった。
それ故に、大学寮の博士という学に優れた職に就けたと言っても良いほどだ。
「また、友雅殿の葉やかなお噂ですか。相変わらず、お盛んのようで…」
「いやいや、今回はそうでもなさそうだぞ」
晃季の表情が、急に変わった。
「興味深いですね。父上は、友雅殿のお噂にお心当たりがおありなのですか?
あ。
もしかすると…口を滑らせてしまったか?……と、彼は思った。友雅には"くれぐれも内密に"と念を差されたが、今の発言は無意味だったか?
晃季の表情を伺う。
宮廷の女房達のように、噂話に飛び着くような男ではない。これくらいなら、問題はない…か。
「ほれ、先日山荘に行った話をしただろう。その時に、連れていた娘御にえらくご執心のようでな。」
「友雅殿が…ですか?」
何となく意外だ。これまで誰一人として、長続きするような女性の噂を聞かなかったというのに。
しかも、女性の方からならいざ知らず、友雅の方が入れ込んでいるというのは…一体どんな相手だというのか。
「どちらの姫君なのですか?そのような…夢幻の恋を射止めるような荒行を成された方は…」
さすがの晃季も、興味が出て来たか。
「いや、それが私も分からんのだよ。年甲斐もなく私も聞き出そうかと思ってみたが、少将殿もかなり口が固くてな。ちょっと風変わりな雰囲気のある、随分と若い娘御だったが…。」
どうもこれまでの友雅のイメージでは、恋の相手としての映像が浮かびにくい言葉が並んだ。彼なら、どこぞの深窓の姫君さえも思うままだろうに。
とにかく、彼が自分からそこまで一人の女性にのめり込んでいるという、それだけでも異質だと思う。
「少将殿だけではなく、お互いに随分と熱心なようだ。先程も、その娘御から少将殿の身体を労る文が届いておってな。嬉しそうに目を通されていた。随分とあてられてしまったよ。」
「……やはり、そうなのでございますねぇぇぇ〜〜〜〜!」
気の抜けるような女の声が、簀子の方から聞こえて来た。
声の主は、侍女の萩乃だ。
「あんなに濃密なご様子でしたもの〜!きっとあの方が、少将様に娶られるのでございますねぇぇぇ〜!」
山荘から帰って、萩乃も菊代もこんな調子だ。話題といえば、友雅の事ばかり。
それでいて、彼が連れていた娘御が一体何者か、二人はどんな関係なのか。
憶測しかないとはいえ、よくもまあそこまで話を広げられるな、と感心してしまうくらいだ。
「ははぁ…?すまないが萩乃、友雅殿とそのお連れの方は、そんなに深い間柄だと一目瞭然だったのかい?」
晃季が珍しく、話題に乗って来た。萩乃は裾で覆った顔を覗かせて、彼の顔を見る。
「…私、この目で見てしまいましたもの…。」
「見たって、何を?」
萩乃は、ごくんと一息呑み込んだ。
あの時に見た光景を、思い出すだけで気が早まる。
「……しょ、少将様がっ……お、お連れの方に…その…くっ、口移しで…や、薬湯を……きゃーっ!」
真っ赤に顔を染めた萩乃は、混乱を伴って両手で顔を覆ったままひれ伏した。
悲しいとか言うのではなく、単にこの状況に興奮しているように見えるので、哀れというような感情は浮かんで来ない。
「ま、まあな、それくらいのことは…仲睦まじい男女であれば当然であろうに。」
「そう…ですねえ。何せあの友雅殿ですからね。それくらいのことは何でもないような…」
あまりに萩乃が騒ぎ立てるので、朝比名も少し呑み込まれそうになってしまったが、晃季の方は結構度胸が据わっているのか、それとも好奇心が旺盛なのか、動じることもなく落ち着いている。
だが、その二人の会話を再び萩乃が遮った。
「そんなことありませんわっ!わ、私だけではなく…き、菊代もお二人の…お姿を目撃しておりますものっ!!」
「はあ…今度はなんだ?一体菊代は、どんなお二人を見たというのだ?」
つくづく侍女というものは、噂話に目のない者が揃っている。それは我が家に限ったことではないとは思うが。
さて、菊代は何を見たというのか。取り敢えず話でも聞いてみようか。
相変わらず、萩乃は興奮さめやらぬ状態である。
「あ、明け方に朝餉のご連絡をしようと…菊代がお部屋に伺おうとしたのです…。そ、そう致しましたら……」
「何だ、早く申せ」
「お、お声をかけてもお返事がなかったので…そっと…戸を開けてみたところ…ですね、その……いやぁ〜!」
どうにもこうにも、一言ひとことが騒がしい。
何を見たのかさえ見当も付かない朝比名達は、そろそろ話の本筋に入ってもらいたいと言う気分になっている。
「はっきり言いなさい。そんなに騒いでいては、いつまでたっても真相が分からんではないか。」
「その…あの……しょ、少将様がですね…、お、お連れの方に手枕をされて…ご一緒に床につかれておりまして……きゃーきゃー!!」
「…あ、そう…」
あまりに萩乃が一人で騒ぐので、朝比名は少し興ざめして来ていた。
友雅自身と言葉を交わしている彼としては、まだ本人からの明らかな言葉を聞いていないため、それらは推測の域を超えていない。
なので、さすがに彼女たちのように大騒ぎする気にはなれなかった。
だが、隣を見ると晃季は腕を組んで、何やら感慨深い表情をしている。
「ふうん…あの友雅殿が、そこまで場をわきまえないほどの恋に落ちたとはねえ。萩乃の言い分も、まんざら推測では済まないかも知れませんよ?」
「なんだ晃季、おまえまで噂話に便乗するようになったか?」
怪訝そうな顔をする父の前で、彼は気楽な表情で笑い声を上げた。
「そういうわけではありませんよ。ただ、私も一人の男でございますし…女人が気に掛ける噂には敏感になってしまうものなのですよ。」
晃季も早、十九になる。
そろそろ、良い家の娘を娶っても良い年頃だが、そういう話は出てこない。
しかし、まんざらでもない気持を抱いている女性は、何人か思い当たる。だからこそ、今回の友雅の話題には興味があるのだ。
「私もですね、少しでも早く父上と母上に孫の顔を見せて差し上げたい気持はありますが、なかなかそこが難しい。すべて、とある御方が姫君方のお心を奪ってしまわれるせいで、私達のような一介の男には入り込む隙もないのです。」
そこで、ふいに転がり込んできた、この話題。これを利用しない手はない。
別にこの噂が吹聴されたとして、当の本人に大きな損害があるようなわけでもあるまい。
そこまで深い付き合いの娘御との事なら、痛くもかゆくもないだろう。
それで更に、こちらに有益な道が出来れば、良いに超したことはないじゃないか。
「そろそろ、友雅殿もお心を決めて頂かなくては。後に続く私たちが、路頭に迷ってしまいますよ。」朝比名の生けた橘の小枝をそっと取り上げて、小さな花の香りを伺いながら、晃季は笑ってそう言った。
+++++
「さて…そろそろ私は出掛けるとしようかな。」
朝餉の席が終わったあと、しばらく天真たちを囲んでの談笑を挟んでいた友雅は、そう言って立ち上がった。
外はすっかりと明るくなり、今日も一日中青空が広がりそうだ。
友雅がそう切り出したので、あかねも藤姫も出掛ける支度を始めようと思ったのだが、彼はそんな二人を呼び止めた。
「ああ、申し訳ないのだけれど、今日は残念だが神子殿のお供は出来ないのだよ。」
「え?そのおつもりでいらしたのではありませんの?」
藤姫が、驚いた目で友雅を見上げた。隣にいるあかねも、同じような目をしている。
「内裏の方もしばらく休んでいたからね。顔を出さないわけにも行かないだろう?だから、今日は向こうを優先させてもらうよ。主上にもお話しなければならないこともあるのでね。」
「そうでございますか…では、仕方がありませんね。」
あかねは、黙ってうなづいた。
困った。彼女の少し物憂げな瞳を見ると、後ろ髪をひかれてしまう。
たいした用事でなければ、あと一日くらいどうにでもなりそうなものだが、生憎と行幸や来月末の祓えの件で、直に帝の相談に応じる事になっている。いくらなんでも、無下には出来ない。
「その前に、せめて神子殿の顔を見てから…と思ってこちらに立ち寄ったのだけれど…糠喜びさせてしまったなら悪かったね。」
宮仕えの辛いところだ。
特に身分や階級などに固執はしていないが、だからと言って全てを放棄するわけにも行かないし。
せめて、自由に恋を楽しめることが出来たなら、少しは気楽かもしれないけれど。
「それじゃ、今日はこれで退散するけれど、明日改めて迎えに来るよ。」
入口まで見送りに着いてきたあかねと藤姫に、友雅はそう言って笑った。
「いってらっしゃいませ」
背を向けて出ていこうとした友雅に、二人は軽く三つ指をついて送り言葉を口にした。
その時、振り返った彼があかねの腕を軽く引っ張った。そして、他の誰にも聞こえないような小さな声で、あかねのためだけの別れの言葉を告げた。
「…今の言葉、君の声で聞くと気分が良いね。いっそのこと、私の屋敷で毎朝言ってみるつもりはないかい?」
「あっ…朝から何を言ってるんですかっ!!」
少し大きなあかねの声を聞いて、立ち去ろうとしていた藤姫がはっと気付いて足早に駆け戻ってきた。
そして、あかねの手を掴んでいる友雅を、こめかみに皺を寄せて睨んでいる。
「神子様にお戯れは許しませんわよっ!!」
けたたましいほどの一喝。
彼女の一途さは微笑ましいけれど、浮かんできた甘い言葉を閉じ込めておくことはなかなか難しいものだ。
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