Trouble in Paradise!!

 第2話 (1)
憎らしいくらい、あれから雨は一滴足りとも降ってはいない。
毎日がすでに夏が来たような気候で、庭の池を泳ぐ魚でさえ、ぬるくなった水の温度に疲れを見せているかのようだ。
「夕立も通り雨も全然降らないじゃない…何で、あの時に限って土砂降りなんかになったんだろ…」
煌煌と照りつける眩しい太陽を、手のひら越しに見上げて、そんな独り言をつぶやいた。

二人だけで過ごせる時間は、常春のように幸せなひとときのはずだったのに、あんな天気のせいでだいなしになってしまったじゃないか。
挙げ句の果てに熱まで出して、見知らぬ家に(友雅にとっては知人だったらしいが)お世話になってしまい、そして友雅にまでいらぬ心配をさせてしまって…散々だ。

あれから二日が過ぎて、すっかりあかねの体調は元に戻った。
こんな天気なのだから、のびのびと外を歩きたい。
そう思いながら、誰かがやって来ることを待ちつつ、庭の緑を眺めている。
しかし、待ち人が姿を現すことはない。ここ二日間、彼は顔を出していない。これまで、毎日のようにやって来てくれたのに。

「あんなに迷惑かけちゃったし…愛想尽かされちゃったかなぁ…」
青空に不釣り合いなため息をついて、あかねは肩を落とした。


背後で、軽やかな金具が揺れて触れあう音がする。
「神子様、今朝は鷹通殿がいらっしゃっておりますよ。」
「鷹通さんが?」
振り返るとそこには、藤姫の背後に優しい瞳をした鷹通の姿があった。
「おはようございます。治部省の仕事がようやく落ち着きましたので、今朝はお伺いすることが出来ました。」
鷹通と会うのは、一週間ぶりになるだろうか。
この時期、京でも婚姻を交わす者が多いらしく、戸籍等を管理している治部省に勤める鷹通は、多忙を極めていた。
そのおかげで、なかなかこちらにやって来る時間が取れない、と連絡を受けてはいたが、それもやっと一段落したらしい。

「先程、藤姫殿からお聞き致しましたが、体調を崩されていたと。もう、お加減はよろしいのですか?」
「あ、ええもう全然。ちょっと疲れてたから…。でも、しばらく休んだので平気ですよ、もう元気です!」
「ならば宜しいのですが…」
あかねは庭から上がり、簀子に腰を下ろした二人の所へとやって来た。
「最近は、タチの悪い風邪をこじらせている方が多いようです。流行りかもしれませんので、神子殿も充分にお気をつけ下さいね。」
温暖の差が激しい日々が続いているので、ほんの少し体力が低下しているだけでも簡単にダウンしがちだ。気を引き締めなくてはいけない。
体調管理にも充分注意しなくては、また同じことを繰り返してしまう。
「体力つけないといけませんね。」
「ええ、そうです。何事も体が資本です。しかし、最近の風邪は充分な注意が必要なようですよ。あの友雅殿でさえ……」
その名前を聞いたとたん、ピクリとあかねの耳が反応を示した。

「友雅さん…何か、あったんですか?」
思わず、身を乗り出さすにはいられない。一体彼に、何があったというのだろう。それは、ここ数日姿を現さないことに通じることなのか。
鷹通は少し眉をひそめて、話を始める。
「あの方にしては珍しいと思うのですが、二日程前から熱が出たとのことで、出仕を休まれていると左近衛府の方から伺ったのです。ですので、今こちらに参る前に、友雅殿のお屋敷に立ち寄らせて頂きました。」
「まあ、友雅殿がお体を患うなんて、珍しいですわね。普段から強健な御方でしたのに。」
藤姫が相づちを打つように言葉を挟んだが、あかねは何も言葉が浮かばず、つい最近のことを頭の中で蘇らせていた。

……もしかして、私のせい?
熱のある自分の近くにいたりしたから、友雅に風邪が移ってしまったのかも。
だとしたら、すべて自分のせいじゃないか。
「た、鷹通さん!友雅さんの容態は…ど、どうなんですか!?酷いんですか!?熱、高いんですか!?」
血相を変えてあかねが身を乗り出して来たので、思わず鷹通も一瞬たじろいた。だが、すぐに横から藤姫が口を添えた。
「先日、神子様がお体を崩された時、友雅殿がお知り合いの方のお屋敷で、一晩看病して下さっていたのですよ。ですから、それで友雅殿に風邪が移ったのでは…と、神子様はご心配されてらっしゃいますのよ。」
藤姫の言ったことは、間違いなかった。
まあ、その他諸々のことに関しては、秘密のことなので友雅と自分しか知らないことだが。

鷹通は、そっとあかねの肩を優しく叩いた。
「大丈夫です。神子様がご心配する程ではございませんよ。熱も下がったようですし、顔色もそれほど悪くはございませんでした。一日二日で出仕も可能になるだろうと、ご本人もおっしゃっておりましたから。」
不安そうなあかねを宥めるように、鷹通は静かに微笑みながら、そう答えた。
だが……それでも、彼の顔を直に見ないうちは、この不安は拭えない。
ついさっき、気を引き締めなくちゃ…と決意した所だったのに、こんな状態じゃ彼のことがずっと頭から離れなくなる。

「あの…私もお見舞い、行っちゃだめですか?」
あかねがそう尋ねると、今まで優しそうだった鷹通の表情が、少し険しくなった。それは、隣にいる藤姫も同じだった。
「神子殿も、まだお体が完治されて間もないのです。お元気そうでなりよりですが、内面はまだ弱まっているところもあるかと。その時期に、病のある方のおそばに行くのは、あまり好ましく有りません。」
「でも……!」
自分のせいで、彼が病を患ったのであれば、せめて一言くらいは会って詫びたい。と言うよりも……今の友雅が心配で、いてもたってもいられないから。

だが。
「おそらく、友雅殿もそう思っていらっしゃいますよ?お倒れになった神子様を心配して下さったのですから…」
藤姫の言葉が、重くのしかかって来た。
分かっている。充分に分かっているけれど……でも、特別な人だから、なおさらに胸の鼓動が早まる。許されるのなら、今度は自分が彼のそばに付き添っていたいと思うのに。
「すぐに、またお元気になってこちらに参るでしょう。それまで、数日の辛抱ですよ。」
軽く背中を叩いてくれた鷹通の優しさは、染み込むようで嬉しいけれど。
でも、その裾から漂う侍従の香りが、また友雅の記憶を蘇らせてしまう。
もう少し甘くて深い、彼の腕の中の香りを。

+++++

「殿、到着致しました。」
外から浩孝の声が聞こえて、彼はゆっくりと腰を上げた。
車を降りる主人の手を、浩貴が添えて地へと下ろす。朝比名は浩孝を使いに行かせ、目の前の屋敷を眺めた。

閑静な屋敷の続く四条の町に、その屋敷は佇んでいる。
広さはそれなりだが、目を楽しませるような華やかな草花は見えない。ただ、若干時期遅れで咲いているであろう橘の花が、ほのかに甘い香りを漂わせている。
「主の見た目とは違って、屋敷は殺風景なものだな」
そうつぶやいた彼のところへ、浩孝が戻って来た。どうやら、屋敷の主に話が通ったようだ。
朝比名は、少し鈍い軋みのある腰を引きずりながら、やや重めの足取りで屋敷の入口へと向かった。
常盤木に包まれた庭先だが、流れて来る香りだけはこの上なく優雅だ。


どうせやって来るのなら、もう少し早い時期の方が良かったのだが、と、この屋敷の主である彼が笑いながら出迎えた。
確かに、あとひと月も前であれば、ここまで鬱蒼と佇む橘の木々も、白い花に包まれてむせる程の香りを漂わせ、さぞかし優美だったであろう。
「それに、本来なら私の方が挨拶に伺わねばならないはずでしょうに。わざわざ、こんなつまらない屋敷では、何のもてなしも出来ずに心苦しい限りですよ。」
友雅は、そう言って笑った。

「ああ…いや、先日の事なら気にせんで良い。当然の事をしたまでだ。それよりも、あの時にそなたがお連れしていた娘御は、その後どうしておられる?」
「彼女は、多分いつも通り、元気になられたのではないかな。生憎、逆に私の方がやられてしまってね…先日まで寝込んでいたもので。」
道理で、どこか普通よりも生気が薄いと感じたはずだ。
普段ならもう少し、匂い立つような華やかさが感じられる彼であるから、妙な気がしたのもそのせいだ。
「たかだかこれくらいの事で寝込むとは、私も年には勝てませんかねえ。」
「何をそんな戯言を。まだまだ世の楽しさを謳歌しているそなたが、言う言葉とは思えぬな。」
彼の言葉を聞いて、思わず笑いが込み上げる。
世の楽しさを謳歌する、なんてことは、自分には縁のない事だと思ったが……。
今は、それが少しずつ分かりかけている。たった一人の少女のせいで。
そんな様子は、第三者から見ても分かるものなのだろうか。

「おおかた、あの娘御の風邪でも移ったのだろう。この間の様子では、随分とご執心なように見えたからなあ」
朝比名の意味ありげな発言に、見透かされたか?と、ほんの少しだけ驚いた。
「ま、そんなところですかね。」
何気なく、答えたつもりだった。
気軽に、それでいて嘘でもない言葉で答えるなら、それくらいで充分だと思ったのだが、人によって言葉の意味というものは、いくらでも変化して捕らえられる十人十色の力を持っている。
他人がそれをどう思い込むか、そこまでは推測が出来ない。

「やや、当てられてしまったな。しかしまあ、京の女人を虜にするそなたに選ばれるとは、恵まれた天性を持った娘御だの。一体、どちらの姫君だね?」
調子に乗った朝比名が、興味津々で尋ねて来るので、何となくその様子がおかしい。
そこまで他人の事が気になるものか。別に、身内でも何でもない間柄だというのに。
こういうところは、男も女もたいして変わらないな、と思う。宮仕えの者たちにとっては、噂話が何よりも酒の肴になるらしい。

「それは、恩人の貴方にも秘密ですよ。あまり人の目にさらしたくないのでね。」
そう簡単に、騒がれてたまるものか。
それこそ、二人での時間を過ごす場所さえ探しにくくなる。
やっと手に入った愛しい天女との逢瀬を、邪魔されるのだけは勘弁してもらいたいものだ。



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Megumi,Ka

suga