 |
 |
天体観測
|
|
 |
| 023 |
 |
 |
 |
そよぐ風に秋の香りが混じり始めた頃。
嵯峨野にある帝の別邸からは、華やかな雅楽の調べが夜の闇に乗せて流れていた。
黄金色に灯る燈台の灯り、幾人かの殿上人たちは帝と共に寄り集まり、天に浮かぶ月を眺めながら、お披露目となったもう一つの輝く月を初めて目の当たりにすることとなった。
あかねを連れてゆくと帝との約束ではあったが、さすがに清涼殿での宴となっては彼女も気が落ち着かない様子で。そのため友雅は何度となく話を重ね、ようやく場所をこの別邸に移し少人数でのささやかな宴を、とのことで合意となった。
幾つかの別邸の中でも嵯峨野はこじんまりとしている方で、高台にあるために見晴らしは良いが高貴な雰囲気はあまりない。それ故に少しだけあかねも緊張をほぐすことが出来たようだ。
馴染みのない貴人たちに囲まれ、やはりしばらくは硬直していたあかねではあったが、ふと帝の隣に腰を据えて、こちらを見て微笑んでいる青年を見つけると、ふわっと糸が抜けるように肩の重さが緩まった。
そして彼は帝に軽く頭を下げると、そっとあかねの近くへと歩み寄ってきた。
「神子、お久しぶりでございます」
永泉はあかねを見て、以前のように微笑む。
「はい。永泉さんがいてくれて良かった……。なんだかみんな知らない人ばっかりだから、緊張しちゃってどうしようかと思って……。」
「いいえ、そのような心配は必要ありませんよ。神子には友雅殿が着いておられるのですから。」
少女のような笑顔で、永泉はそう答える。
だが、しばらくして何かに気付いて少し慌てたかと思うと、姿勢を正してもう一度あかねを見た。
「失礼しました…神子と呼ぶのは相応しくありませんでしたね。橘の奥方様とお呼びしなければならないところを……」
「い、良いですよ永泉さんってば!そ、そんな呼ばれ方くすぐったくって…☆」
まだまだ『奥方』との呼ばれ方にはしっくりこない。『竜神の神子』と呼ばれることに馴染むまでに時間がかかったように、多分もう少し時が必要なのだろう。
「永泉、奥方を独占していては、いずれ友雅に咎められてしまうのではないか?少しは私にも機会を与えてもらえないかい?」
永泉の背後に掛かる御簾の隙間から、落ち着いた声が聞こえる。その声を耳にすると、永泉はそっとあかねの手を引いて、御簾の向こうにいる者の前へと連れて行った。
「あかね殿……と言ったね?こうして貴女のお姿を目にするのは二度目となるだろうか?」
「…はい。以前は身分を弁えず不作法を働いてしまったのではと、申し訳なく思っております。」
「はは、そんなことはない。明るく朗らかなところが貴女の良いところだ。神子の時から変わっていないね」
そばに永泉が着いていてくれたことや、帝が優しくきさくに話しかけてくれたせいで、あかねも少し気がほぐれた。
永泉とよく似た穏やかなまなざしが、あかねの姿をじっくりと、しかし静かに見つめてから口を開いた。
「相変わらず澄んだ、美しい瞳をしておられる。友雅が好きになるのも無理はない。」
「えっ……ええっ?」
帝の言葉にあかねが戸惑いつつ頬を染めると、永泉も続いて微笑んで彼女を見た。
■■■
あちらこちらから注がれる杯を口にしていたせいか、少し酒の酔いが身体に熱を与えてきているようだった。
少し酔いでも醒ましてこようと、友雅は宴の間をそっとすり抜けて階を下り、夜風の流れる庭へと足を踏み下ろした。
涼しさを感じる夜風が、頬を撫で上げるのが心地良い。どこからか虫の声も聞こえてきている。ここ嵯峨野は既に秋がやってきているようだ。
ぼんやりと夜に身を任せていると、少し向こう側に人の気配を感じた。
月明かりを浴びて背を向ける姿に、友雅はそっと近寄ってみた。
「中将殿も酔いをお醒ましに、ここへ?」
友雅の声に、彼は振り向いた。
「ああ…まあ、そのようなものだ。それよりおまえがこんなところに来ていて良いのか?今夜の宴の主役が消えたと、大騒ぎになっているのではないか?」
「いえ、今日はあかねを帝の前にお連れするためのことですからね。私はついで、の存在ですよ。」
そう言って友雅は笑った。
「…まあ、酔いというよりも頭を冷やしに出てきた、と言った方が正しいか。いささか私も大人げなく気を高ぶらせたりしてしまっていたしな。色恋沙汰に身を委ねるほどの年令ではないというのに、年甲斐もない。」
色づき始めたすすきの穂が、夜風に揺れる音に紛れて彼がつぶやいた。
「何を申されると思えば……。ここだけの話、あちらこちらの女御より、中将殿のお話を尋ねられることも多い事実を知っていてのお言葉ですか?」
「ふん…そうか?ならば、まだ私も捨てたものではないか?」
「ご自分の目でお試しになられてはどうです?」
「いや……よそう。私はもう最後の恋を終えてしまったからね。」
二人は互いに目を合わせることはなかったが、会話の中には堅苦しさはなかった。以前のように度々酒を交わしながら、楽を奏でる時間を楽しんだときと同じように、気負いのない口調は言葉を流暢に吐き出した。
「だがね…友雅はそういうけれどもね、私は今…確実に自分の衰えを感じているのだよ。その証拠に、龍神に護られたその気配を、彼の姫から感じ取ることも出来なかったのだからね。」
その言葉を聞いて、はじめて友雅は彼の顔を瞳で捕らえた。
「気付いておられたのか?あかねが…『龍神の神子』であったことを」
驚いたような顔をした友雅を、ちらりと見て中将は笑った。
「最初から、ではなかったがね。ちょっとしたきっかけから……おまえが八葉であった時期に話していたことが、彼の姫の姿に重なり合うことに気付いたのだよ。それに…おまえのように女人の間をすり抜ける男が、唐突に一人の姫をめとるなど不自然だ。何かしら以前から、深い付き合いがあったのだろう。そうなれば…おまえがはじめて深く本心で挑んだことは、あの八葉の一件しかあるまい?。」
二人から感じる波動。眩しいほどの気。
それらは常にどこかで互いを求め合い、そして何時も引き離せない強さがあった。
それが『運命』というもの。
「……さすがに中将であらせられる。その洞察力、大将に値するものと思われます。真に左近衛府の頭に相応しい。」
「はは……四位少将の友雅に言われるのは、いささか首筋がかゆくなるな。おまえこそそろそろ叙留を終えて、私の後の中将を継いでくれないものかね?」
こつん、と彼は畳んだ扇で友雅の肩を叩いた。
しかし友雅は緩やかに首を横に振り、風になびく前髪を梳いて月を見上げた。
「私は………位などには執着はないのですよ。この世界では階級や位が全てを左右するものですが、それらを必要としない人もいると知りましたからね。」
甘く懐かしい、優しげな月の明かり。それらは闇を静かに照らし、いつまでも彼らを穏やかな光の中へと包み込む。
「確かに。おまえが例え庶民であったとしても……彼の姫はおまえだけを見つめるであろうからな。」
そう、この天上に浮かぶ月のように。
どんな身分でも、どこにいても、離れていても……きっと互いを見つめているはず。
「龍神の神子と八葉を引き離せるはずなど、最初から無理なこと。位などで繋ぐよりも、もっと強いもので繋がれているのだからな」
その言葉に、友雅は答えもなく微笑んだ。
■■■
虫の声が池に沿った茂みの中から聞こえてくる。
静寂が包む夜の明かりが、天から降り注いでいた。
簀子の上に寝着のまま思い切り足を延ばして、月明かりに照らされている庭を眺めている。
そろそろ眠らなければいけない時間なのだろうが、まだ瞼が下りてこなかった。
「奥方様?そろそろ寝所にお入りになられた方がよろしいのではございませんか?」
高燈台に油を足していた祥穂が、のんびりと外の庭を眺めているあかねに言う。すると彼女は笑顔のままで振り返り、こう答えた。
「ううん、やっぱり…『おかえりなさい』って言ってあげたいから、頑張って待ってます。」
祥穂はその言葉に笑顔で応え、そっと部屋を後にした。
貴方の姿が瞳に映るまで、ずっとここで待っている。
笑顔を貴方の瞳に映すために。
見上げると、空は満月。
この月もいつか欠けてゆき、形を徐々に変えていく。時には雲に隠れ、眼にすることが出来ない夜もあるだろう。
だが例え目に見えなくとも常に月は存在し、いずれまた雲間から顔を覗かせ、天地を照らし続けるはずだ。そしてまた、美しく形を整えていくのだ。
流れていく時間がすべてを変えてゆく。
しかしその中で、変わらない永遠のものがある。
それはあの月のように、淡く優しく輝き続けるものだ。
「悪いけれど急いでおくれ。早く屋敷に戻りたいんだ。」
執務が済んだあと、待機している牛車に乗り込もうとした友雅は、そう告げて御簾を下ろし目を閉じた。
貴女に逢いたくて……逢いたくて…………心だけ足早に家路を急ぐ。
----------瞼の中に浮かぶのは、桜色に染め上げた友雅だけの月。
離れた場所で、空を見上げる。
心の瞳に映るのは--------永遠に輝きを失わない二人の満月。
-----THE END-----
(長い間、お付き合い頂きありがとうございました!
あとがきがございますので、お時間がございましたら次ページへどうぞ♪)
|
 |
|
 |