天体観測

 021
あかねは紗の袿をつまんで、少し姿勢を正したあとに呼吸を整えた。
しばらく黙って友雅の話を聞いているだけだったが、言わなくては伝えられないことがある。
「……私が、そんな風に思っているって……友雅さんは考えているんですか?」
逆にそう尋ね返された友雅は、答えを見つけることに戸惑いを感じていた。
本当の心は他人には分かるはずがない。
だが、ふと目の前から消えていった笑顔が、すべてを物語っているのではないのか。
自分だけの熱情の跡に残るものが……あかねの笑顔ではなかったことが明確になっているのに。

「私はね、君の笑顔が好きだ。その笑顔が見えなくなってしまったことが辛いんだよ。もしかしてそれは……私のせいかもしれない、なんて考えてしまってね……。」
出会って、そして何ヶ月もの時を重ねていく中で見つけたあかねへの恋。
時にからかうように頬を撫でれば、戸惑うように顔を赤くして拗ねたように顔を背けて。
人の心に驚くほどに敏感に反応して、水晶のような涙の雫をいくつもこぼして。
想いをそのままに形として瞳に映すあかねの姿に、強く惹かれた自分の姿を友雅は思い出す。


初めてだったのだ。
ここまで人を……本当に愛したことがいままでになかった。


ゆるやかな夕風が、そろそろ夜風へと変わっていく。空からは月の明かりが柔らかに池の水面へと注がれている。

友雅はぼんやりと、その風景を眺めている。扇が彼の手のひらからすり抜けて、床の上へと転がり落ちた。それに気付いて、やっと顔をこちらに向けようとしたとき、その扇にあかねの手がそっと伸びた。

「友雅さん……私、ここに来ることを『嫌だ』なんて……一度も言ったことないです……」
友雅の香りが薫きつめられた扇を手にして、あかねはぽつりとつぶやいた。

「それは私が、抗う余地を君に与えなかったせいではないのかい?半ば強奪するように、連れてきてしまったからね……。君の意見さえ私は聞いたこともなかっただろう?」
「それはそうですけど………」
そんな話が決定されていることなど知るよしもなかったし、ましてや友雅とそのような約束をしたことさえもない。いきなり目の前に差し出された展開に戸惑って、身動きさえも出来なかったといえば嘘とも言いきれない。


でも。
「でも、嫌だったら……すぐにでもここを抜け出してましたよ…」
本当に嫌だったら、それくらいの行動だってやってのけるくらいの気力は持っている。
なのに、ずっとここにいる意味は……………彼の存在以外に何があるというのか。

「それでは、君の笑顔が消えてしまったのは…何故なのか教えてもらえないだろうか。何が欲しい?どうしたらその笑顔を取り戻すことが出来るんだい?そうでなくては……私は君を見ているのが辛くてたまらないよ……」
切なくて、心が痛くてたまらないのだ。唯一自分を暖めてくれていた、あの笑顔がそこにないことが。
こんなに近くにいるのに、抱きしめられるほどにそばにいるのに、それだけが見えないことが友雅の心を困惑へと導いていく。
どうしていいのか分からない。この想いが………あまりに眩しすぎて。


あかねはゆっくりと立ち上がった。単衣がするりと衣擦れの音を立てる。そしてそっとつま先を前に忍ばせ、友雅のそばへ歩み寄って……腰を下ろした。
「友雅さん……私が欲しかったのは……時間だけでした。」
彼の手に、そっとあかねの手が伸びた。
しなやかに伸びた優雅な彼の手先は、直に触れると思った以上に大きくてがっしりとしている。
それは明らかに男の手のひらで、とてもその感触からはあの雅やかな琵琶の音が生まれるとは思えないほどだ。
その手をそっと包むように重ねて、あかねは目を伏せた。

「もう少し大人にならなくちゃ…って、ずっと私、頑張ってたんです。友雅さんの隣にいて邪魔にならないくらいに、色々なことを身につけていかなくちゃ…って、ずっとそう考えてたんですよ…。お茶にしても歌にしても…これでも色々と勉強してたんです。いつか………友雅さんにも認めてもらえるような女性になりたいと思って…ずっと………」
藤姫や侍女たちに聞いて、真似事をしながら少しずつ物事を吸収していけば、時間はかかったとしてもきっと、少しは友雅に近づくことが出来るだろうと、その時だけを想い描いて真剣だった毎日を思い出す。
友雅のために……彼のそばにいられるように……彼に認めてもらえるように……彼に似合う女性になるために………。

そしていつかそんな女性になれたら…………。そのあとに続く夢物語の結末が、現実となったらどれほど幸せだろう。
想い描いた夢。好きな人と共に一生を生きること。その願いがかなったら………。
…………そんな想いを抱いている途中だった。急に友雅と婚儀が決定した、との話が飛び込んできたのは。

憧れていた結末。だがそこまでの道のりを歩いている途中だったのに。いきなりゴールしてしまったような、突然すぎる展開。嬉しさよりも戸惑いしかなかった。
嬉しいのに………どう喜んで良いのか分からなくて。心の整理がつかなくて、友雅の心をどう受け止めればいいのか分からなくて…それなのに時間だけは過ぎて。


「どうしよう…って、毎日が混乱してました…。今もそうですけどね。私はまだ友雅さんに比べたら子供で、からかわれてふくれっ面しちゃうような子供なんですよ。そんな私が、どうやって友雅さんを旦那様として応対すればいいんですか……?」
そう言ったあかねの顔は、うつむいてはっきりとその目で見ることが出来なかったが、最後が泣きそうにかすれていた事を友雅の耳は聞き逃さなかった。

「こんなに嬉しいのに………笑う余裕がないんですよ…。毎日のことが精一杯で…次になにをすればいいもかも分からなくて…………」

友雅は、はっきりとその言葉を聞き取った。



--------こんなに嬉しいのに。


あかねの口からこぼれた言葉が、彼の心の泉に深く深く沈んでいった。
重ねられた小さな手のひらが、暖かな熱を体の中へ流し込んでいくのが分かった。
張りつめていた糸が、ゆっくりとすり抜けていく。
ほどかれて解き放たれた心からあふれ出した、甘く優しいなにかに酔うように友雅は息を吸った。



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Megumi,Ka

suga