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天体観測
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| 017 |
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眠ったふりをするのは、そう容易いことではなかった。
隣に友雅が眠っていることを気配として感じている限り、目を閉じていてもその鼓動は鳴りやむことはない。
あかねがそう思っているのと同じように、友雅もどこか空気の緊張感を感じていた。
本当にあかねが眠っているのかどうかは分からないが、背を向けて横たわる彼女の肩に手を伸ばすことが出来なかった。
今宵の月は満月にほぼ近い。外はいつまでも火が灯ったように明るい。
しばらくすると友雅は床からゆっくりと体を起こして、寝所から出ていった。
戸がしっかりと閉まる音を確認してから、あかねは半分体をやっと起こして、止めていた息を思い切り吐き出した。
どこかから鈴虫の声が聞こえてきている。季節は秋へと映り始めているようだ。
池に映る月は黄金色に輝き、暖かくその明かりを水面に降り注いでいた。その情景を眺めるのが友雅は好きだった。
届くはずのない天上の月。しかし池に映るその姿ならば、この手でつかみ取ることが出来るような気がした。
友雅は池の中に手を差し伸べる。冷たい水を両手ですくえば、その中に黄金の月が映った。
こうしているときだけ、自分だけの月を手にすることが出来る。
しかし、水が指先からこぼれていけば、あっという間にその姿は消えてしまう。
-----月を手にすることが出来ると思っていたのは、単なる自分の思い過ごしだったのか。
手から月の姿が消えると、友雅は天を仰いだ。
そこには当然のようにさっきと同じ月が輝いている。
妻として側に引き寄せることが出来れば、あかねは自分だけのものになると思った。
他の男たちがあかねのことを詮索するたびに、気持ちが早まって落ち着きを取り戻せなかった。
いつか、ふとしたきっかけから…どこかの男に見初められて、奪われていくあかねの姿を眺めるだけの傍観者にはなりたくなかったのだ。
自分でも驚くほどに短絡的で我が侭に、あかねの存在を自分の瞳だけに映しておきたくて。
半ば独壇場でこの婚儀を進めてしまえば、結果は後から付いてくると思っていたのだが、面と向かってはっきりと彼女の心を聞いたわけではない。
それさえも待てなかった。
気付かないところで迫り寄ってくる男たちの気配に、友雅は怯えていたのだ。
今になって…もう一つ怯えることがある。
あかねの本当の心は、どんな思いを抱いているのだろうか。…その真実が、今の友雅にとって求めている答えなのかは確定されていない。だからこそ恐ろしい。
愛していることを、どうやって伝えればいい?。どうすれば、その想いをあかねに受け止めてもらえるのだろう。
灯ってしまった恋の炎は時の流れに沿って高く燃え上がり、盲目的な熱情に変わる。
それらは時に友雅自身を占拠し、あかねを傷つけてしまうこともあるだろう。……現に、昨日のことを思い出せば納得せざるを得ない。
例えあかねが嫌だと言っても、彼女を自分のものにすることが出来るのであれば…友雅の本心は手段を選ばないだろう。しかしその結果、彼女を壊してしまうかも知れない。
傷つくあかねの姿を見て、心が痛まないはずがない。だが皮肉にもそれは友雅が冒す罪であり、愛の形でもある。
わずかでも自分を失わないでいられる今のうちに、あかねにこの想いを伝えなくては。
分かっているのに、その一歩が踏み出せない。
あかねを失ったときを思うと……足がすくんでしまうのだ。
人を愛するということの恐ろしさを、友雅は今自分と向き合って実感していた。
■■■
朝靄がまだ抜けないうちに、友雅は屋敷を出て左近衛府の詰所へと向かった。
まだ内裏の人気はほとんどなく、数人の舎人たちが朝の見回りをしながら歩いているだけだ。
何人かが友雅の顔を見て、軽く会釈をする。彼らに労いの合図をしてから、詰所の中へ入ると先客がいた。
「ん?なんだ友雅……ずいぶんと早い勤めだな」
恰幅の良い男は友雅の姿を見て、棘のない朗らかな声で言った。
「大将殿こそ。何か怪しでも迷い込みましたか?」
「いやいや…別にそういう訳でもない。単に早く目覚めただけだ…暇を持て余してしまったから、早々にこちらに出向いたというだけだ。」
「私も同じようなものですよ。何があるというわけでもなく……」
友雅が腰を下ろすと、木津良左近衛府大将は彼の顔を伺ったあと、肩を叩いた。
「夫婦生活が始まったばかりだというのに、私のように時間を持て余すことなどないだろうに。さぞ華やかで艶鮮やかな時を過ごしておるのだろう?」
-----友雅は静かに笑みを浮かべただけで、何も答えなかった。
■■■
御簾の縁に吊り下がっている香炉には、薫物の残り灰がわずかにまだ香りを立ちこませている。
あかねはぼんやりと寝転がって、揺れる香炉を眺めていた。
庭先から静かに、風が流れ込んでくる。全身を包むように幾重にも重ねられた袿のせいで、肌寒さどころか未だに少し身体が汗ばむ。
侍従の香りが流れている。あかねの身を包むように、かすかに漂っている。
初めてこの香りを至近距離で感じたのは…小さな神社だった。橘の白い花に囲まれた中で、抱き寄せられたぬくもりの中にこの香りがあった。
自分よりも遙かに大人の友雅の手は、思っていたよりも大きくて、そして強くて。その腕で包まれてしまえば、すっぽりとあかねの全身はうずもれてしまいそうだった。
その手がほどけたときの心細さ。
触れ合った手が離れたときの寂しさ。
ずっと……抱きしめていて欲しかったと、確かにあの時そう思った。それ故に寂しさが残った。
そのとき、御簾の間から祥穂が顔を出した。
「奥様?まぁ、そんなお姿をなさって…。殿が見られたらさぞ呆れて声を失ってしまいますよ」
「あはは…祥穂さん、大丈夫ですよ。コレが私の自然体だから…。友雅さんだってそれくらい分かってますから」
あかねはくるりと勢いをつけて起き上がって、乱れた髪の毛を手櫛で整えた。こうもあっけらかんと明るく笑顔を投げかけられると、女性である祥穂も微笑ましさを隠せずに小言を言う気もなくなってしまう。
祥穂は気を取り直して、あかねの前に手を付いた。
「私たちや殿の御前では結構ですが、お客人様の御前ではしとやかにお迎えをなさるようにしてくださいましね?」
「お客さん?誰か来てるの?友雅さんは……留守なんでしょう?」
主が留守の屋敷に来たとて、何の意味があるものか。それとも自分に何か用がある者なのか?
「相変わらず大らかな時をお過ごしのようだね。」
渡殿を抜けて祥穂の後ろから顔を出したのは、唐花の中将だった。
「あ、中将さん……昨日は色々とありがとうございました」
慌ててあかねは姿勢を正して、深く手を付いて彼に頭を下げた。
「いやいや。別に私は何をしたわけでもない。こちらこそ楽しく過ごせたことを貴女に感謝したいくらいだよ」
中将は風の通り抜けが良い廊下の近くに腰を下ろして、御簾を挟まずに直にあかねと向かい合った。
-----年頃の女人と御簾を挟まずに顔を合わせるなど、今まで思いもつかないことだった。彼の正妻でさえもこの時代の婚礼様式に違わず、その日まで互いを見合うことなどなかったものだ。
それなのに、何一つ深い関係を持たないあかねと、こうして顔を合わせている不思議さ。しかしそれが違和感を覚えないことにも、また不思議さがよぎる。
多分それは、彼女だから、なのだろうが。
「今日はどうしたんですか?友雅さんはもうお仕事に出掛けていていないんですけど…」
「いや……今日は貴女に会いに来たのでね」
「…私に?」
中将は深くうなづいて微笑んだあと、一度庭の方へ目を移した。
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