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天体観測
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| 015 |
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「本当は私……まだ実感が全然ないんです…」
そう静かにつぶやいたあかねは、少し困惑した表情を携えて微笑みながら中将の目の前に座っていた。
「だって、私と友雅さんとでは……全然価値観も何もかも違うんですもん…」
「何を申されるのか。左大臣殿の姫とあらせられるお方が……。我々武官などよりも遙かに高貴なお家柄の中でお過ごしになられたであろうに。」
あかねは中将の驚く顔に、思わず笑ってしまった。しかし、明るく笑えたわけじゃない。
……左大臣と左近衛府の武官では階級が違う。本当に自分が左大臣家の娘で、本当に藤姫と生まれたときからずっと一緒に過ごせる関係であったのならば…中将の言うとおりに雅やかなたしなみも風貌も身に付いていただろう。
しかし、本当は真実の自分の姿を隠すための策略があったからである。心から差し出された好意には何一つ文句もない。養父となった土御門の左大臣は、真の娘である藤姫と同等にあかねを敬ってくれた。
だが、あかねがこの世界で生まれ育ったわけではないことは事実に他ならない。当たり前のように思える京の価値観は、あちらこちらで常に疑問を感じる。逆にあかねの持つ価値観は、京の人々にはいつも何かしら疑問を与える。
どうやっても、どう身分を隠しても、あかねと京の世界観の隙間は永遠に消えることがない。
……つまり、常に友雅との間に段差があるということだ。
懸命に後を着いていって、やっと彼の隣にたどり着いたとしても、お互いに見ている方向は違っているようなぎこちなさを感じる。
これからずっと一緒に……生きていくはずなのに、同じ場所に視線を向けられない歯がゆさ、そして寂しさ。
近くにいるのに、友雅はとても遠いところにいる気がする。
「私、友雅さんには釣り合わないんです」
中将はあかねの言う言葉に、一瞬言葉をなくしたまま彼女を見た。初めて会ったときに見せた無邪気な笑顔や、屈託のない暖かな表情が感じられない。
「友雅さんはすごく大人で…何でも余裕でこなしちゃう人なんです。友雅さんのすることは、みんな素敵なことばっかりで…見ていて…時々惚れ惚れしちゃったりすることもあって…」
「おやおや…油断していたな。これはのろけられてしまったのかな?」
微笑ましく声を上げて中将は笑ったが、首を横に振るあかねの表情は明るくなかった。
「違うんですよ…。友雅さん…ホントに何でも出来るから………。私も頑張ってみようと思っているんですけど…どうしても上手く行かないんです。琵琶だってお香の合わせ方だって試してみたんですけれどうまく行かなくて…。友雅さんはあんなに簡単に出来るのに、どうして私はダメなんだろうって………」
あかねの言葉が溜息とともに途切れたあと、詰所の中に静寂が広がった。
何か声をかけようと思ったのだが、憂いだ彼女の表情を見ては、中将も何一つ声が出せなかった。
友雅の嗜好は同性である彼から見ても、感嘆をこぼすほどに艶やかだ。常に一定距離の余裕を持ちながら、軽やかに立ち振る舞う姿は絵巻物語そのものと言って良い。世の女人たちがこぞって彼との接触を企てるもの無理はない。
そんな彼に、この娘は近づこうとしている。他の幾人もの女人たちのように、その場にいる友雅から流れ出す空気をつまんで楽しみ味わうわけではなく、同じ目線で物を見られるようにと、懸命に背伸びをして友雅にしがみついているのだ。
いじらしくも……愛おしい。中将はあかねを見て、そう感じた。
ただじっとしたまま、男に愛されるだけの女性達とは明らかに彼女は違う。雅やかな妖艶さは全く感じられないが、心を無にして、愛しい男と同じところへ着いていこうとする健気さ。こんな想いを捧げられたとしたら、どれだけ心地よいだろう。
今まで見たこともない。会ったこともない……。だからだろうか。その姿から目が離せなくなる。
「貴女は…とても素敵な方のようだ」
自然に、心が言葉になって声になった。あかねはぽかんとして、中将の方を見た。
「そんな想いを抱いている女性に出会った…貴女が初めてだ。その心、男としては愛おしくてたまらぬよ」
「…そうなんですか…?」
「そうとも。男と女は逢瀬によって深く結ばれてゆくこともあるが…身体のつながり以上に深く心を寄り添おうとする健気さ……そのような想いを抱くそなたを…………」
--------------はっとして、その先の言葉を飲み込んだ。思わず『愛おしい』と口に出すところだった。
桜色の髪。華奢な出で立ち。少年のように爽快な姿をしながら、ふと女の気を漂わせる。その身体を抱き寄せたら、さぞかし心地よい甘さに浸ることが出来るだろう。
友雅よりも先に彼女を目にしていたら………この手でさらう事も出来ただろうに。
そう思うと、どことなく口惜しくなる。そして更に、あかねの瞳に吸い込まれていく。
■■■
清涼殿から下がり、詰所に一度戻ろうと友雅が歩いていると、何やら舎人達が肩を狭めて立っている。
「どうかしたのかい?寒さで凍える…なんて季節ではないだろう?何故そんなに小さくなっているんだ?」
友雅に声をかけられた舎人たちは、彼の顔色を伺いながら互いに目配せをしつつ、腰を低くして耳打ちをするように言った。
「あ、あの……お、奥方様がいらしておりますっ」
友雅はその言葉に、一瞬全身の動きを止めた。
「……どこにいるのだ?」
「あ、詰所に…おられます。唐花中将殿とご一緒におられます…」
「中将殿と……」
そう聞くと友雅は、舎人たちをかき分けて足早に詰所へと向かった。
ガラリ、と詰所の戸が音を立てて開いた。眩しい日差しが床下を照らして、磨き上げた木の表面を艶やかに光らせる。その日差しを背中全身で受け止めるようにして、友雅がそこにいた。
「遅かったね、友雅。奥方が随分とおまえをお待ちかねだったよ。」
中将が緩やかに延ばした手の先に、春の風が広がっている。若桜の香りのするあかねの姿がそこにあった。
「何故、ここに?誰か供は着いてきているのかい?」
「あ……ご、ごめんなさい…一人で…出てきちゃって…」
あかねがうつむきながらそう言うと、友雅は前髪を無造作に掻き上げて溜息をこぼした。
「一人で屋敷を抜け出して出歩くなんて、夫の居る女人のすることではないよ」
友雅の口調を聞いて、あかねは少し胸が痛んだ。
それくらいのこと、分かっていて当然だったのだ。
あかねが育った現代でも、既婚者となったら少しは落ち着いて理性的に行動しなければ、周りから少なからず窘められることもあるのだから。ましてやここ京で、そして貴族の家の中で、武官を夫に持つ女として……どう立ち振る舞えばいいのかと、十分悩んでいるはずなのに。
「まあまあ、友雅も少し落ち着いて座ったらどうだ?奥方もおまえに会いたい一心で、供もなくとっさにここまで来てしまったのだろうよ。その想い、健気で何とも愛おしいではないか?」
扇で風を作りながら、そう中将は告げる。
愛おしくないわけがない。本当ならずっと、あかねのそばにいたいくらいに愛おしいのだ。
何もかも忘れて、ただ二人だけで過ごしていられたらどれほど良いだろう。
だからこそ、こんなところにやってきて欲しくはなかった。
他の男にその姿を見せつけたくなかったのだ。
ずっと…この手の中だけで愛し続けたかったのだ。
--------つまらない嫉妬だ。馬鹿馬鹿しい感情だと思った。
それでも…この強い想いが抑えられない。
「ごめんなさ……っ…!」
あかねが謝ろうと口を開いたと、ほぼ同時だったと思う。
友雅は延ばした両手で、軽々とあかねの身体を抱き上げた。突然のことに、中将もやや驚いた様子だ。
「中将殿、あかねの話し相手をして下さいまして感謝致します。」
「ん?ああ…いや、こちらも楽しいひとときが過ごせたよ。奥方と話していたら、時が経つのも忘れてしまった。」
そう答えると、友雅は一度深く彼に頭を下げて、あかねを抱きかかえたまま詰所を出ようと背を向けた。
「今日はもう屋敷に戻るのか?」
「ええ。帝にお呼び頂いた用も済みましたので。あかねを連れて屋敷に戻りますよ。」
「そうか………。では、また後日。」
あかねは友雅に抱えられたままの姿勢で、何とか中将の方に顔を傾けた。穏やかにこちらを見て彼が微笑んでいる。
軽く頭を下げると、彼も合図を返すように笑顔で頭を下げた。
外に出たとたん、眩しい太陽の光が肌を射るように貫いた。
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