天体観測

 014
女っ気のない男所帯の左近衛府詰所は、さぞむさ苦しいのではないだろうかと思っていたのだが、それは偏見であったのだとあかねは足を踏み入れて実感した。
考えていた以上に詰所の中は、小綺麗に調っているように思えた。女性のいる部屋のような華やかさは一切ないが、
良く言えばすっきりと無駄なく整理されており、悪く言えば殺風景といったところだろう。
「この殺風景さが味気ないと感じるのだろうね。友雅はあまり詰所に寄ることはないのだよ。」
中将は軽やかに笑いながら、友雅の様子を語った。

外は相変わらず夏の暑さだ。しかし季節はゆるやかに流れているのだろう。昨日より風が涼やかになっているような気がしてならない。夏から秋へ、時間は微妙にだが間違いなく移り変わり始めている。
「私たちどもも最近は暇を持て余すようなことが多くて……嬉しいやら悲しいやら、何とも言い切れませんな」
蔀戸の向こうを眺めながら、中将はつぶやく。
「お仕事、忙しくないんですか?左近衛府のお仕事って…確か、警備とかですよね?内裏の…」
「ええ、そうなのですがね。つまり……特に大きな騒ぎ事がない、ということなのですよ。物の怪が暴れるという噂もありませんし、主上の御周辺にも問題はなく……。鬼たちの穢れのせいで一刻を争っていた頃など、今になってはまるで夢か幻のようです。」
「鬼……ですか」
あかねは久しぶりに、その言葉を口にした。龍神の神子という立場を終えてから、鬼の話を八葉だった者たち以外から聞いたのははじめてだ。
「あの時分は大変でございましたよ。清涼殿、大内裏、内裏、そして京の町の警備と……我々左近衛府と右近衛府で統括するのは、それはそれは苦労致しました…。普通ならば主上の周りの警備は友雅が当たることになるのですけれど、よりにもよって本人は、龍神の神子とやらに仕える八葉の一人に命じられて近衛府の仕事に立ち会えない。いつ、どんなことがあるか分からないというのに、それは不安でございました。」
中将の話を聞いていると、八葉の頃の友雅を思い出す。

いつもいつも、会えば彼にからかわれてばかりで……。それなのに、寂しいときや辛くて八方塞がりになっているときに、決まって何か出口を示してくれていた。
ただ、助けてくれるだけではなく、あかね自身が自分の力で、どうやれば先に進めるのかを、いつも教えてくれていた。その道しるべに、どれだけ支えられたか知れない。

「その友雅たちと、龍神の神子という方のおかげで、こうして京にやすらぎが戻ってきたのでありますから、文句など言えませんがね」
友雅とは違った爽やかな声で、中将は笑いながら思い出話を語った。


「友雅という男は左近衛府の仕事からして、あまり熱心に行動するような気質ではありませんでしたが……それでも八葉という立場に有った頃は、珍しく楽しそうでしたよ。」
さほど遠くない昔のことを思い出していると、再び中将が話を始めたのであかねは我に返った。
「その龍神の神子という方がかなり面白い考えをお持ちだとのことを、会うたびに楽しそうに話していましたね。」
「は、はぁ……面白い…ですか」
中将はあかねが龍神の神子であることを知らないのだから仕方がないが、こうして聞いているあかねとしては少し複雑な気分だ。
「異世界からいらした方らしく、考え方が型にはまらない自由な発想をされるという。それが気ままに生きる友雅にも合っていたのだろうね。嬉しそうに聞かせてもらったことを思い出しますよ。」
あかねもこの世界にやってきて、こちらの価値観に驚かされた。現代では無理なことばかりがあたりまえのように通説になっている日常。堅苦しいことも厳しいことも多く、気が滅入ったことは一度や二度ではない。
そんな中にいたから、友雅のような自由奔放な人間もあかねにとっては新鮮だったのだが、果たしてそれを彼は気付いているのかどうか。

「その一件が功を奏したのか……。まさかこう、唐突に彼が身を固めるなどとは思っても見なかったがね。」
その一言に鼓動を揺らされて、あかねは現実に引き戻された。

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「というわけで、そういう形で織部司まで見立てを頼まれてくれるか」
帝は友雅との話を終えたあと、側近にそう伝えて再び姿勢を正した。
「それにしても、紅を主とした重ねを頼むとは…友雅の奥方殿は、まだ愛らしさが抜けないと見える。」
友雅は苦笑で答えた。
「しかし本当に興味をそそられる姫君だ。名高い妖艶な姫の心を掴むことに長けていたおまえが手にしたのは、愛らしい姫だとはな。本当に会うのが楽しみだよ。」
…帝には告げておいた方が良いのだろうか。自分が北の方に選んだ姫が、この京を鬼の穢れから救った龍神の神子であったことを。会えばきっと気付くだろう。
その前に……一言告げておくべきか。この国の頂点にいる帝に、何も言わないままやり過ごすのは友雅としても気が重くなる。
「主上、おそれながら…主上のお耳にだけ、先にお伝え致したいことがございます」
友雅は周囲をぐるりと見渡す。何人かの側近の姿があるが、近くで伝えれば声は漏れることはないだろう。
「珍しいこともあるものだ。友雅がそのような神妙な顔付きをするとは……良いぞ、近うよるが良い。」
帝は友雅に寄り添うようにして身体を傾け、耳をそばだてて友雅の話を聞いた。


「………左大臣家の姫と聞いてはいたが……」
事の成り行きを見て、帝は側近達を周囲から払った。おかげで部屋の中には帝と友雅の二人だけとなった。これで少しは普通に話が出来る。
「彼女は龍神の神子の任を終えたあと……この京に残ることを決めました。しかしこの世界では無位の存在。幸い土御門家がそのまま彼女を養女として迎え入れることになり、左大臣家の姫として過ごして参りましたのです。」
「……そうか、あの神子が…おまえの北の方となったのか。」
帝は懐かしそうにつぶやいた。

一度だけだが、あかねを帝と会わせたことがある。鬼との決戦を終えたあと、直々に労いの言葉をかけたいとの帝の意志を受け入れ、法親王である永泉を伴って特別に清涼殿へ上がらせたことがあった。
「瞳の美しい、明るい笑顔の方だったと覚えておるよ…変わっておられないか?」
「少しは、大人びたかもしれませんが。」
そうつぶやく友雅の笑みを見て、微笑ましく帝は笑った。
「自分の世に戻らずに、ここに残られたのは………愛しい男がいたから、ということか。」
「さあ…それはどうか分かりませんが。」
「少なくとも、呼び止めたお前の声が心を留まらせたのには違いないだろうに。」
友雅は、ただ静かに笑った。

あの時、『行くな』と心が叫んだ。彼女に引き寄せられる自分の心を抑えきれずに、それまでにも何度かこの手で抱きしめたこともあったが、心が無意識に叫んだのはあの瞬間が初めてだった。
その声をあかねは気付いてくれただろうか。
その声の本当の意味を、気付いてくれていただろうか。
『行くな』という言葉の本当の意味は………『愛している』という心の意味と同じであることを。


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あかねはどことなく、心が圧迫されるような気分になった。
中将はそんなことには気付いていないだろう。
目の前にいる少女は幼い風貌がまだ抜けないところもありながら、友雅が心を奪われた最愛の姫君に他ならない。あの友雅を射止めたのだから、見かけに寄らず熱い心を互いに通わせて結ばれたに違いないのだ……そう思っていてもおかしくはない。

「しかし、どうやってあの友雅の心をその手につかんだのかねぇ?無粋なことかもしれないけれど、あちらこちらの女房たちに限らず、この私もそこらへんが気になって仕方がないのだよ。少し話を聞かせてくれないかねぇ?」
扇を顔の前で揺らしながら、軽く足を組み直した中将は余裕の微笑みを浮かべている。

何と答えれば良いのだろう……。
あかねは彼の質問に、自分の心と動揺の戸惑いを覚えた。



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Megumi,Ka

suga