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天体観測
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| 013 |
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小鳥のさえずりが御格子の向こうから聞こえてくる。遠くには蝉の声がして、今日も暑い晴天なのだと感じた。
しかしこの寝所を囲むようにして広がる池のせせらぎが、その暑さを少しだけ和らげてくれている気がする。風が吹けばさやさやと木々の葉ずれの音もする。
「奥方様、お目覚めでございますか?朝餉の用意が出来ておりますよ。」
御簾を開けて、艶やかな黒髪を携えた祥穂が顔を出した。
「ん……今、何時くらい…?」
寝返りを打ちながら目をこすって、差し込む朝日を少しずつ視野の中に入れた。
「そうですわね…近々巳の刻になりますでしょうか…」
あかねは頭の中で十二支を唱えた。子の刻、丑の刻、2時間置きに数えだして…はっと気付いて飛び起きた。
「うそ!もうそんな時間!?」
現代ならば、間違いなく遅刻しているような時刻だ。
あかねは、慌てて身体を起こして隣を見る。そこにはすでに友雅の姿はなかった。祥穂はあかねの袿を揃えている。
「あの…友雅さんは…」
「もう内裏へお出かけになりましたよ。本日は帝から大切なお話があるとのこと。ご用意した朝餉も頂かずに向かわれました。」
改めて友雅の事を考えてみた。八葉と神子の関係であった頃から、彼は内裏を行き来しながら土御門家に通っていた。彼の口から帝の話を聞くことも珍しいことではなかったし、帝から使いをよこされて出向いていくことも多かった。
普通なら縁のない清涼殿での暮らし。そこに流れる空気を、友雅は普通に感じる日常を送っているのだ。
「帝からの大切なお話…。そっか…友雅さんて、帝とお話できるほど位の高い人なんだっけ…」
「殿は帝から深い信頼を受けておられます。少将の立場であらせられながら、本来はそれ以上に恩恵を賜って頂いておいではないでしょうか」
祥穂は落ち着いた口調で話しながら、あかねの着替えを手伝った。
袖を通される袿は深い紅を差した桜色で、やっと背中に届く程度まで伸びた彼女の髪によく似合っている。おそらくこの生地を見立てたのも友雅なのだろう。
「さあ奥方様、朝餉が冷めてしまわれますよ。どうぞいらしてくださいまし」
祥穂は自分が仕立てたあかねの装いに満足して見上げると、部屋を出て簀子をゆっくりと歩いていった。彼女の後を追いかけるように足早に、あかねは部屋をあとにした。
■■■
いかにも女性の目で楽しめるように彩り盛りつけられた朝餉の前に、あかねは腰を下ろして箸をつけた。祥穂をはじめとする侍女たちが、あかねを囲むようにして腰を落とした。
「お味はお気に召されましたが?」
「あ、はい…とてもおいしいです。あの……祥穂さん……?」
「何でございましょう?」
名前を呼ばれて、祥穂は膝を少し上げてあかねの前に進み寄った。織り模様は決して派手ではないが、美しい色合いに染めた袿が、彼女の身の動きと共に衣擦れの音を生み出す。
「友雅さんはお食事しないまま…出かけたんですよね?」
「左様でございます。殿のような立場にあられる方は、日が昇ると同時に内裏に向かうことも少なくはございません。前の晩に寝付きが悪くあれば寝過ごしてしまうことも有りますから、朝餉を取る時間もなく出かけられることもございます」
前の晩のことを言葉に挟まれて、思い出した夕べの残像が浮かんでは消える。友雅の触れた肩の暖かさを思い出して、胸の奥がじんと熱くなる。
(寝付けなかったのは私の方だ……)
あかねは自分の心の中でつぶやく。夕べ先に寝息を立て始めたのは友雅の方だ。あかねはといえば、ずっと抱きしめられた感触が忘れられなくて、その寝息を波打つ鼓動の律動に重ねて数えているうちに眠ってしまった。
はじめての夜。そしてこれからずっと、そばにいるはずの友雅との一日一日の時間をどうやって過ごしていけばいいのか、考えるほどに戸惑う。
私はどうすれば良いんだろう?どうすれば友雅と一緒に生きていけるだろう?
何が正解なんだろう?奥方と呼ばれるのにふさわしくなるためには、何が必要なんだろう?
あっという間に過ぎた数日の中で、友雅と顔を合わせて話し合った時間は数少ない。
話すことが必要だ。尋ねることが必要だと思う。
自分は友雅にとって、どうあれば良いのか…と尋ねたい。
■■■
久しぶりに着た水干は、実は袿よりもしっくり身体になじむ。あかねが土御門の屋敷を後にしたとき、衣装葛篭の中にしのばせておいてくれた懐かしい服だ。
友雅と過ごした神子としての日々の記憶が、何よりも染みついている大切な服。土御門家の養女として過ごすようになってから身につけることは全くなかったが、本当はこんな服装の方が動きやすくてあかねの好みに合っている。
朱雀門をくぐり、貴人達が行き来する中をあかねは歩いていた。友雅のいる左近近衛府がどこにあるのかも分からずに、広い大内裏を宛も見つからずに歩いてたが、その姿が官人たちの物見高い目を捕らえるのは必然だった。
「そこの女、待たれよ」
聞いたこともない男の声に、あかねは反応して後ろを振り返った。そのとたんに思わず息を飲んだのは、まだ青年という肩書きの似合いそうな、数人の男達が壁を作るように立っていたからだった。
「女が一人で大内裏をうろつくとは、いかなる理由があってのことか?」
「えーっ…あのー…左近衛府を探してるんですけど…」
それを聞くと男達があかねの顔を、うさんくさそうに覗き込んだ。
「その理由を述べよ。何故に女が左近衛府を探しておるのだ?そもそもおまえはどこの屋敷の者だ?はっきり申せ。さもなくば取り押さえることにもなろうぞ」
その言葉で、あかねはやっと彼らの立場に気付いた。おそらく彼らは左近衛府に仕える近衛舎人…つまり、友雅たちの部下となる者たちだろう。
自分の立場をきちんと告げることが出来れば、ここは間違いなくすぐに無罪放免ということになるだろう。
……私は、橘友雅左近衛府少将の妻です…………と。
それだけの言葉なのに、どうしても唇がおぼつかない。自分の肩書きが照れくさくて、しっくりこないことも原因の一つだ。
「ともかく、一緒に来てもらおうか。」
しびれを切らした男達は、その力強そうな手をあかねの肩にかけようとした。
このままでは……どうなってしまうのか見当もつかない。
その時だった。背後から男の声がした。
「おや?確か貴方様は……」
舎人達に囲まれているあかねの耳に、どこか聞き覚えのある声が聞こえた。そしてその方向を振り返ると、艶やかなほど気品を備えた落ち着きのある貴人がそこにいた。
そして、彼をあかねは知っていた。また、彼も彼女のことを知っていた。
「確か、友雅の奥方様であられたはずだが…」
そう中将が言葉をこぼすと、とたんにあかねの周りの近衛舎人達が手を離してさっと後ずさりした。そして彼らが揃ってあかねを物見高い目で見る。中将はそんな彼らを軽くたしなめるように、軽く扇を宙にかざした。
「こらこら、女人にそんな卑しい目を向ける奴がおるか。ましてや友雅の北の方…それではいずれ友雅に一喝されるのは間違いないぞ」
びくっと肩を震わせて、彼らは慌ててあかねに頭を下げた。
「そ、そんな…気にしなくて良いですって…!頭上げてくださいよ★」
ぽん、とあかねの肩に中将の手が触れた。
「貴方こそ気にすることではないよ。彼らにとっては友雅は憧れの象徴だからね。そんな彼の奥方に手を出したという事実が残るのなら、自分の将来にも関わることと言えるのだ。詫びを受け入れてやってはくれまいか?」
元々、詫びを言われるようなことはしていないし、やっとこちらの世界に慣れてきたとはいえ、雰囲気はやはりどこか違いを隠しきれないあかねを見て、怪しいと思うのは当然であると自覚しているのだ…が。
「どうぞ橘の少将殿には内密に……」
あかねはこくりとうなづくと、ほっとした近衛達は足早にその場を去っていった。
「えーっと……前に友雅さんのお屋敷で、お会いしたこと…ありましたよね?」
取り残されたもう一人の男に、あかねは尋ねた。彼はその言葉に対して上品に微笑んだ。
「おや、覚えていてくださいましたか…。これは誠に光栄賜ること。一度しかお目にかかっておられないというのに、貴方の記憶の中に紡いで頂いたとは嬉しいですね」
「忘れないですよー!だってあの時、友雅さんの琵琶とお琴の演奏を聴かせてもらいましたから。とっても素敵な演奏だったので、ちょっとやそっとでは忘れられないですよ。」
明るく答えたあかねの表情に、中将は浮かべた微笑みを絶やせなくなった。
軽やかな彼女の言葉の流れは、岩場を流れゆく流水の如く涼しげで、賢さを競う殿上人たちの歌詠みにも負けず劣らず魅力的だ。
そして、どこか雅やかな雰囲気とは違う空気を漂わせていて、それらが新鮮に映るが故に興味を惹かれた。
今まで会ったことのある幾人もの女性とは違う。何か、未知の雰囲気がする。
あかねの持つ不思議な気は、中将の心の一部を絡め取った。
「本日は如何なされました?供もなく内裏までやってこられるとは不用心ですが…おおかた、友雅にご用でもあったのでございましょう?」
「あ、そ、そうなんですよ!で、友雅さんを探していたんですけれども、どこにいるかさっぱりで…」
近衛府など来たこともないのに、広大な内裏の中を一人でうろつくなど無謀極まりない。案の定右も左も分からずに立ち往生していたために、近衛舎人に目を付けられてしまった。運良くこの中将に出会えなかったら、身動きできなかっただろう。
「友雅さん…どこにいるんですか?」
大きく澄んだ目をこらして、あかねは中将の顔を見上げた。友雅と同じくらいの背丈だろうか。この時代の人間にしてはすらりとして長身だ。
「うーむ…今、友雅は帝のところへお上がりになっているのだよ。しばらくはこちらに降りてはこないと思うが…」
「ああ、やっぱりそうですかぁ……」
中将からの答えを聞くと、あかねはがくりと肩を落とした。
今朝祥穂が言っていたのだから、何となく分かっていたことだったのだ。ここに来たからと言って、そう簡単に友雅に会うことは出来ない。むしろあのまま、夕方まで屋敷の中で過ごしていれば必ず彼は帰ってくるのだから、じっとしていれば確実だったはずなのに、何故かじっとしていられなくて。
「よろしければ、詰め所で友雅が戻るのをお待ちになるか?」
「ホントですか?良いんですか?」
中将が扇で指した方向には、数人の男達が行き来している部屋がある。彼はあかねの手を取るように前へ姿勢を傾けて、そちらの方へ一歩踏み出す。
「勿論です。それに、私もむさ苦しい近衛達と話をするよりも、貴女のように可憐なお方と話す方が嬉しいですからね」
そうして彼は、袖の先から見えるあかねの指をそっと取り、詰所へと導いた。
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