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天体観測
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| 011 |
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この屋敷で暮らすようになって、どれくらい時間が流れただろう。
侍女たちが世話をしてくれているとはいえ、主独りで過ごすには殺風景で素っ気ない空気が漂っていた。
四季がめぐるたびにそれぞれに草花は咲き誇り、友雅の目を十分に楽しませてくれてはいたが、どこかでその肌寒い感触に鳥肌を立てていたことも何度かあった。
その度に人恋しくなって、幾重にも連なる逢瀬の単衣を増やしてはすり抜けて来たが、屋敷に戻れば状況は全く変わってはいない。
空虚な空間が広々とした屋敷全体に流れているだけだ。
どこかでいつも探していたのかも知れない。
永遠に枯れることのない、鮮やかな花が屋敷の中に咲き誇る時を。
「殿、お帰りなさいませ。」
三人ほどの侍女が揃って玄関先で、友雅の前に三つ指をついて頭を下げた。
「……私の姫君はどうしてる?」
「奥様はさきほど茶室へお入りになり、お茶を点てておられます。夕餉の支度が整うまで、今しばらくお時間がかかりそうですので、奥様とご一緒にお待ちあそばしては?」
「…そうだね。そうするのが一番良さそうだ」
友雅は陽が落ちて薄暗くなっている屋敷の廊下を、小さな灯りを手に静かに足を踏みしめて歩いた。
■■■
じっと碗を眺めてみる。深みのある緑の液体の上に、ふんわり泡立つ小さな気泡たちが見える。
今点てたばかりの茶を一度だけ味わってから、床に戻してあかねはじっとそれを見ている。
「…何だかなぁ…どうもいまいちの味のような気がするんだよねー…」
土御門家にいた頃に、一通り藤姫や侍女たちから茶の点て方を教えてもらってはいたのだが、何とか形になったとは言えど、味を楽しむと言えるまでの仕上がりにはまだほど遠かった…と思う。
どこをどんな風に改良していけば良いか、まだそこまではあかねの技力ではまとまらない。これからしっかり学んで行こう……と思った矢先の出来事だったから。
「…こんなお茶じゃ友雅さん、気に入ってくれないよねえ……」
ためいきをつく。
今日何度目のため息だろう?最初は数えるくらいの余裕はあったけれど、そんなこともすっかり気付かないほどになっていた。薄暗くなっている時間の流れにも気付いていなかった。
「……はあ…どーすればいいんだろ、これから……」
天井を見上げる。そして目を閉じた。
これからの自分の生活は、どんな風に変わっていくんだろう。
そして、どんな風に変えて行かなくてはいけないんだろう。
一人の人間として…そして友雅の妻として生きていくことを、自覚出来るのはいつになるのか。
ぼんやり、と引き戸の外側が明るくなった。まるで人魂が浮き上がるように。一瞬きらめいた光にはっとしてあかねは我に返る。
「そろそろ灯りが必要な時刻だ。薄暗くては姿をしっかり目に焼き付けることも出来ないよ」
がらり、と音を立てて扉が開いた。オレンジ色の暖かそうな灯りが部屋に差し込む。影が落ちる。見上げた先に、ゆるやかな長い髪が夕闇の風にかすかに揺れた。
「あ、お、おかえり…なさいませっ」
慌ててあかねは姿勢を正して、侍女たちがやってみせたように三つ指を立てて頭を下げた。うろ覚えの作法はどうしてもぎこちない。
友雅は戸を閉めて部屋の中に入り、あかねの目の前に腰を下ろして彼女の髪に手を伸ばした。
「一人前の姫になるための作法も良いかもしれないが…君には君らしいところの良さがある。無理して大人びた言葉遣いなどしないていいよ。堅苦しいのは私も好きじゃないし、君の良さも半減してしまうからね」
友雅の手に携えた灯りが、部屋の隅にある高燈台に移されて部屋を照らし上げる。灯りがなければ見渡しに苦労するほどの時間が過ぎていたのだ。
「今日は、ずっとここにいたのかい?」
再び友雅はあかねのそばに腰を下ろして、彼女に尋ねた。
「あ…いえ、さっき夕飯の支度を手伝おうかなって思ったんですけど、ダメだって怒られちゃって…無理矢理ここに連れて来られちゃって…★」
普通なら屋敷の奥方という立場があれば、夕餉の支度など侍女任せにするだろうが、あかねのことだ、じっとしていることが出来なかったんだろう。
神子の時から一人で守られているだけの存在が嫌で、どうにかして八葉の友雅たちと同位置にあろうとしてたまに無茶をしたりした。そのたびに新しい彼女の表情を見つけ、次第にその変化を見るのが楽しみになって。
「で…茶を点てていたのかい?」
あかねの前にある茶器を見て、友雅は言う。
「一つ、私に点ててはくれないだろうか」
「えっ…お、お茶ですか?」
一応茶室であるのだから、それが当然ではあるのだがあかねとしては少し気乗りがしない。
「私…あのー…あまりお茶点てるの上手くないんですけど…★」
「平気さ。回数をこなしていくうちに、必ず上手くなっていくものだよ。君の点てた茶を飲んでみたいんだ。主の願いを聞き入れてはもらえないだろうか?」
いつものように冗談めいた軽い口調で友雅は言ったが、あかねは『主』という言葉に敏感に反応してしまった。
『主』。友雅さんは主で、私は奥方………。
そんなことにまだ反応を示してしまうということで、まだ自分の立場が理解しきっていないことを自覚する。
あかねが点てた茶の味は、まだ薫り高い味わいを醸し出すまでには行かないが、十分喉を潤してくれる出来映えだと言っていい。素朴だが小綺麗な染め付けのある茶碗を手に、友雅はあかねの話に耳を傾ける。
「昼間は色々と祥穂さんからお話聞いてたりしてて…。書とか読んだり、お香とかの話とかも…」
そう言えばほのかに、あかねの袿から香が漂う。
「君のために合わせておいたのだけれど、お気に召してくれたかな?」
「……っていうか、友雅さんからいつも匂ってる侍従とは、また全然雰囲気が違うなって…。色々あるんですねえ…お香って」
興味津々に語りながら、あかねは部屋の香炉を眺める。
「人それぞれにね、似合う香りというものがあるんだよ。その人を思い描きながら、この人にはどんな香りが良いだろうか…と考えながら、色々な香りを組み合わせて行く。同じ人間がこの世にいないのと同じくらいに、組香というのは奥深いものだよ。」
同じ侍従でも、友雅の香りは雅やかで華やか、そして深い香り。そしてあかねのためにと用意された香りは、清々しさを全面に出した、それで尚かつ広がりのある香り。
「君には…華やかさよりも初々しさが似合うと思ったんだよ。だが、それだけではない、もっとおおらかな暖かい香りもきっと良いだろうと…ね」
自分があかねに抱く、直感的な印象を合わせてみれば、おそらくこんな香りだろう…と思われるほど、彼女から漂うにはぴったりの香と仕上がった。
「友雅さんは…今日はどんなお仕事してたんですか?」
「私は……そうだねぇ、別にいつもと変わりはないね。特別目立ったことも起こらない平穏な日々が続いているから、武官は本職から遠のいてしまって退屈しているところさ」
「そんなこと言って…良いじゃないですか、平穏だったら…。事件ばっかり起こったら、それこそまた大変なことになっちゃいますよ…」
友雅の言葉に少し不満かつ不安げに表情を変えて、あかねは真っ直ぐに顔を見る。
「冗談だよ。平穏…も悪くはない。おかげでこうして夜は屋敷へ戻るって、君と共に過ごすことが出来るんだからね。」
ぼんやりと杏色の灯りが、薄暗い部屋を照らして互いの顔を映し出す。うっすら陰影が下りて、袿の柄が一層に映える。ジリジリとかすかに聞こえる、高燈台の油が燃える音。
二人きりの部屋で過ごすことは、もう何度も経験していることだというのに。
わずかに鼓動が乱れている。
それは、あかねだけではなく、友雅も同じだった。
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