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天体観測
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| 009 |
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以前訪れた時は殺風景な印象があった友雅の屋敷だったが、その豹変振りにあかねは目を見張った。
廊下から臨めることのできる池の水面は、美しく透き通って大陽の日差しを反射して光り輝く。
涼しげに泳ぐ鮮やかな鯉がかすかに跳ねて、水音を奏でた。まるで、新しい屋敷の主の訪れを祝うかのように。
池の周りには萩と思われる鮮やかな緑の草が、ふんわりと生い茂って風に揺れている。
「こちらが奥様にご用意致しましたお部屋でございます」
あかねが通された部屋は、異空間のようにも思えるたたずまいだった。
広めに取った格子窓の向こうには池が一望出来る。廊下に面した庭には四季折々の花。その場その場で違った風景で目を楽しませてくれる。
部屋の中には凝った細工の調度品が並べられてあった。漆に細やかな細工の施した鏡台、唐櫛笥、燈台、火取…今まで暮らしていた土御門の屋敷でもあまり見たことのないものばかりだ。
それでもあかねのように京の世界にまだ馴染み切っていない人間でさえ、かなりレベルの高い調度品だというのは見れば分かる。
「お気に召されました?殿が奥様のために、と…京の名の知れた方々にお願いして整えたものばかりでございますよ」
あかねははっと気付いて後ろを振り向くと、艶のある黒髪をした侍女が、微笑みながらそう言った。
この部屋まであかねを案内してくれた女性だ。
年の頃なら、あかねよりも少し上だろうか。だが、大人びた落ち着きの中にもどこかあどけない雰囲気が残るせいで、とっつきにくさは感じられない。
「………私の、ために…?友雅さんが…?」
「そうで御座いますよ。殿がどれほどまでに、奥様がこちらに来る日を楽しみに待っておられたか……ご存じでらっしゃいますか?」
蔀戸を上げた侍女は、青空を見上げて少し眩しそうに目を細めた。
「毎日のおつとめの際も、必ず何かしら奥様のために何かを携えてお戻りになられました。いつもいつも、奥様に差し上げるものを探しておられて……そうしてこのような素晴らしいものばかりを御揃えになられたのですよ」
彼女は主人である友雅の日常を、一つ一つ思い出すようにして丁寧で穏やかな口調であかねに説明をした。
友雅が、自分のためにこんなにあれこれと用意をしてくれていた。
…ということは、彼は自分をここに呼び寄せるということを既にしばらく前から決意していた…のだろうか。
自分を…あかねを自分の妻として屋敷に迎え入れることを、ずっと考えていたのだろうか。
一体、いつからそんなことを考えていたんだろう……。
あまりにも唐突に幕を開かれてしまった展開に、戸惑い以外にあかねの中には生まれなかった。
「ああ、申し訳有りません…名前を申し上げておりませんでしたわ…。私、奥様の身の回りのお世話をさせて頂きます『祥穂』と申します。どんなことでも申しつけて下さいませ」
名前を名乗ったあと、祥穂は深々と指をついてあかねに向かって頭を下げた。あかねは我に返って、彼女の仕草に慌てて腰を下ろして向かい合った。
「ちょ、ちょっ…そんなかしこまらないで下さい★私、そんな立場じゃないんですからっ★」
あかねは祥穂の肩に触れて、彼女の顔を上げさせた。
龍神の神子であった時から、明らかに自分より目上の人間に頭を下げられるという行為に合ったが、やはりどうしても慣れることはできなそうだ。
「祥穂さん、私よりも年上でしょう?そんな、年下の私になんか頭下げちゃダメですよぉ」
困ったようにあかねがそう言うと、祥穂はその言葉に少し驚いたように言葉を無くしたが、すぐに袖で口を隠しながら笑った。
「私は侍女でございますよ。年など関係有りません。貴女様は我が屋敷の殿の奥方でいらっしゃる方……身分が全く違いますわ。頭を下げるのは当然の事です」
当たり前だ、とあっけらかんと言う祥穂の笑顔に、あかねは何となく無理強いして反論する気持ちが和らいでしまった。
年上とか年下とか、身分とか……そんなことで言っているわけじゃなくて、ただ、自分はそこらへんにいる普通の人間なのに、あちらこちらから頭を下げられてしまうのが心苦しいのだ。
自分はそんな神々しい身分でもないのに。
この世界にやってきた頃も、藤姫や頼久に丁重すぎるほどの対応をされて、正直言って困惑していた。
そんな中で……友雅は違っていた。
八葉としての立場が必要なときは、丁寧な態度を取ってくれたりしていたけれど…普段はさほどかしこまらずに接してくれていた。時にはからかわれたり、それでも何か頼りたいときは目の前で方向を指さしてくれて。
イノリや詩紋や天真たちは年令もあるし、付き合いが深かったのでいつも高みから見るような接し方は一切なかったけれど……。
……何のかんの言って……私、友雅さんが一番話しやすかったかもしれない。
いつも子供扱いしてからかわれてばっかりだったけど…。
でも……友雅さんから見たら、私なんて全然の子供の年令だし……そんな風に扱われてもしょうがないといえばしょうがなかったし……。
……でも、やっぱり悔しかったかなあ…。悔しくて、つい突っかかったりして。
そうやってムキになるから、よけい子供なんだよね…私。
鬼から京を護らなければ行けない使命は重かったけれど、だけどその中の日々は楽しくて。
少しずつ京の空気に馴染んで、そしてここに残った。
自分でもびっくりするくらいに、簡単に決断できたことが不思議だった。
『知り合った人たちと、これっきりになるのは嫌だったから』
友雅に尋ねられて、そう答えたことがある。それは間違いではない。でも……本当にそれだけだったのか?
もっと……本当は強い想いがあったから。
忘れられない一瞬が今でも強く焼き付いているから。
簡単に近づくなんて出来ないと思ったから、敢えてこの世界に残ってゆっくりと歩こうと思ったから。
そう思ったから………現状に困惑している。
いきなりの場面展開に、あかねは少しだけ放心状態になっていた。
「ねえ、祥穂さん…私、これからここで何をしていればいいんですか?」
火取の香炉を開けて、調合されてある香を炊く用意をしていた祥穂は、あかねの言葉に振り返った。
「殿がお戻りになられるまでは、しばらくはゆっくりと、お好きなようにお過ごし下さいとの事です。書をお読みになられても結構ですし、お休みになられていても結構ですよ」
そう祥穂は言うが、やはり他人行儀な感じが拭えないこの屋敷の中で、肩の荷を降ろして気楽になることは無理だ。
そんな中、ふわりと背後から香の香りが漂ってきた。
「……侍従ですか?この香り」
「ええ、そうです。殿のお好きな香り…さすがによくご存じでいらっしゃいますね」
友雅の好きな香り。そう、確かにそうなんだけれど……でも、何かが違うような気がするのは気のせいか。
彼の腕の中で感じた香りよりも、もっと甘酸っぱいような残り香がする。身体になじんで行くような香りだ。
「殿がご自分で合わせられたのですよ。奥様に合うようにと、侍従を中心にいくつかの香を合わせて……お気に召されました?」
香炉から白い煙が、ゆるゆると宙に浮かんでは空気に溶けて行く。
「このお部屋にあるものは、奥様のために殿がすべて心を込めて用意されたものばかりです」
そう祥穂が静かに言った。
ここに友雅がいなくても、すべて友雅の手で自分は包まれている。香りから、すべての調度品まで。
すぐそばに彼がいるような、そんな気がして心細さが感じられない。
そう思うと、何故か少しだけ緊張感がほぐれたような、そんな錯覚があかねを包んだ。
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