天体観測

 005
「やあ、友雅。君が楽を奏でるなんて珍しいね」

すらりとした長身の優男が姿を現した。
「中将殿こそ、こんなお時間に私の屋敷に訪ねて参られるとは珍しいのでは?」
友雅は琵琶から手を離し、彼の顔を見上げてそう言った。
唐花の中将は友雅の言葉に納得したように、言葉もなく笑顔を見せた。

「それにしても、良い音色を奏でてくれるものだ。このような艶やかな音色を聞かされては、京の姫君や女御達は君のとりこになってしまうのもうなずける」
友雅の前に腰を下ろして、扇をちらつかせながら唐花の中将は友雅を見る。その視線を促すようにして、彼は顔を何気なく反らした。
「楽を嗜む男人として、美しい姫君からの恋歌を音に奏でてお返しして差し上げようと思っているだけですがね…なかなかそれだけでは終わらないのが、男と女の難しい関係というわけです」
「いや…、友雅にしか言えない台詞だな。ははは」
そう言いながら、彼は友雅の言葉に声を和らげて笑った。

……年の頃ならば、さほど友雅と変わりはないだろう。華やかさはさほどではないが、柔らかで静かな物腰が気品を醸しだし、見目も悪くはない。大柄ではないがほっそりとした風貌は嫌みを感じさせなかった。

「しかし驚いたな。友雅が姫君の屋敷に通うという話はあちこちで耳にするが、まさか自分の屋敷に姫を招き入れるとは。今回はよほどご執心の女人のようだね」
彼はそう言いながら、高燈台にぼんやりと浮き上がっている、几帳の裏に見える人影を横目で見た。
普段殆ど使うことなどなかったために、どこぞにしまい込んでいたのかも分からない几帳だったが、どうにか侍女たちのおかげで見つけることが出来た。
内裏内では話題の持ちきりとされている彼女の姿を、そうそうにここで他人に見せるわけにもいかない。
「都の女人たちの目を一心に集める友雅を、これほどにとりこにさせる姫とは、一体どこぞのお方であろうね?私としても、少々興味をそそられてしまうよ」

やはり、そう来たか、と友雅は心の中でつぶやいた。
この唐花の中将。年は友雅よりも三つほど上。すでに北の方も姫二人もあり、来年には大将に格上げになることもほぼ確定している、いわばエリート出世人の一人である。
男性にしては珍しく琴を趣味程度に嗜む彼とは、清涼殿での宴の席で楽を共に奏でたせいもあるが、たまにだが酒を楽しむこともある。
普段から深い人付き合いをしない友雅であるため、こんなささやかなつき合いでもまだ良い方だ。
別に、彼にいい顔をしたところで損得というものは友雅自身には関係ない。
他の者ならば上官の機嫌は取り入っていた方が、自分の出世には都合がいいと言うかもしれないが、そんなことに全く興味のない友雅には無用だった。

が、しかし、だ。気になることがある。
しばらく前に酒の席を交わした時に彼から聞いた話を想い出す。
中将には幼い姫が二人。だが肝心の跡継ぎとなる御子の生まれる気配がないことだ。
名の知れた階級の高い貴族家であるからして、それなりの婿を迎え入れることも出来るのだろうが、やはり男子が恋しくなってしまうと、笑いながらこぼしていた。
まさかとは思うが…あかねに興味など持つわけはないと思うのだが。


「いや、こちらは私と親しくお付き合いをさせて頂いている方の姫でありまして、まだ年も幼い故に中将がお考えになる華やかな関係では全くありませんよ」
そう言って友雅は、この場を逃げるつもりでいた。
だが。

「ひっどーい!友雅さん、私これでも十六なんですよ!?」

無造作に几帳を上げて顔を出したあかねに、二人の視線が集中する。そんなことさえも気に止めずに、少し彼女はふくれっつらだ。
「そうやっていつも子供扱いするんだから!これでも頑張ってるんですからね!藤姫にお茶のたて方だってお花の生け方だって教えてもらってるし、写経だってやってるんだからー!」
ぼんやりとした暖かな灯りに、あかねの顔が照らされる。
池の水音さえも聞こえてきそうな、静かな夜の空気の中で彼女の周りだけが太陽の光にあたっているように見える。
「分かった分かった。だったら無闇に几帳の外に顔を出すものじゃないよ。姫君としてのたしなみだ」
友雅はそう答えて、あかねの背中をもう一度几帳の向こうへと押した。

「まあまあ、友雅。そんなに疎遠にしなくても良いじゃないか」

中将の声が背後に響く。あかねもその声に振り向いた。彼は穏やかに笑みを浮かべている。
「ここで会ったのも何かの縁というものだろう。しばし気を楽にして語り合っても良いのではないのかい?友雅だって堅苦しいしきたりは苦手だろう?」
「しかし、この姫は………」
言いかけて、言葉を飲み込んだ。
今までどんな男たちに尋ねられたとしても、知らぬふりをしてすり抜けてきた。あかねについて、どれだけの者たちから詮索の言葉を投げかけられたか。
だが、ここであかねを紹介してしまっては……どこから噂が広がるか分かったものじゃない。
「せめてお名前くらいは聞かせてもらっても良いだろう?」
中将は最後の一線を引き下がってはくれそうにない。せきとめる友雅の腕の中から、中将の方に向かってあかねが顔を出した。
「あ、あかねです!」
「あかね姫か。お名前を覚えておきましょう」
彼女の名前だけを聞いて、中将はそのまま腰を落ち着かせた。友雅が考えていた以上に彼の様子は落ち着いていて、かえってどこか不安を抱かせる。

「友雅、せっかくの夜だ。丁度琴を携えてきているのだよ。このあかね姫のために、一曲我々で奏でてみようじゃないか?」
さっきまで友雅が抱えていた琵琶を指さして、中将が言う。彼の後ろに、金色の刺繍を施した布に包まれた琴が置いてあるのに今気づいた。
「うわ♪友雅さんの琵琶も素敵だったけど、中将さんの琴も聞いてみたいなあ。琵琶と琴なんて、本格的だよね」
こちらの心境など気付くはずもなく、あかねの声はいつものように明るい。

もう一度腕に琵琶を抱えて、弦をつまびく。
さっきよりも揺れ響く音。
それは友雅の心を映す水面の波紋そのものだった。

月夜が静かに時間を流して行く。




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Megumi,Ka

suga