天体観測

 002
京に残る決意をしたあかねに、友雅はその時尋ねたことがある。

「一体、どういった心境の変化が起こったんだろうね?あんなに元の世界に戻りたいと言っていたのに、今度はここに残るだなんて…。是非、真相を聞かせていただきたいものだよ」

そんな友雅の問いに、あかねは明るく笑顔で振り返ってこう答えた。

「だって、私、何だかこの世界が気に入っちゃって。そりゃあ生まれ育ったところに帰れないのは寂しいけれど…でも、ここで知り合った人たちと、これっきりになるのはね、やっぱり嫌だったし。」

「この世界をお気に召してくれたというわけか。それは京に住む者としては嬉しい言葉だね」
「まあ…ちょっと早めに嫁入りしちゃったってことで、そう割り切ればいいかな、って。」
夏草の香りが混じった風に、あかねの髪が揺れる。
初めて目の前に現れた時よりも、そのさらりとした髪が肩より下にまで延びて。
勿論その辺の姫君の髪の長さにはほど遠いのだが、今のような髪の方があかねには似合うだろう。
「お父さんとお母さんには…理解してもらえるかどうか分からないけど…天真くんと詩紋くんにお願いすることにしたの。ちょっと罪悪感はあるけれど……私が元気でいられれば、きっと喜んでくれるだろうと思って」
「前向きだね…。以前から比べたら、随分強くなったようだ」
友雅は笑いながらそう言って、あかねの隣に腰を下ろした。


出会った頃は…いつも心は生まれ育った世界ばかりを見て、鬼との戦いの中で悩み、その度に立ち止まっては動けなくなって。
そんな彼女の手を引き上げることに、友雅もようやく慣れてきたところだったのだが、もうそんなことは必要ないらしい。

「これからはどうするんだい?左大臣のお屋敷に、このままお世話になるのかい?」
「あ…うん、そうします。是非って言ってくれてるんで。藤姫ちゃんもいるし、それに…他に行くところもないですからねぇ」
藤姫の仕草を見よう見まねしながら、何とか覚えた茶の立て方も様になってきた。どんどんと、彼女は京の空気に溶け込んで行く。
そして……艶やかになる。
「私の屋敷なら、歓迎するよ?」
友雅は顔を近づけて、言ってみる。
「何を言ってるんですかー!どっちみち友雅さんのお屋敷なんて言ったって、いつも夜はどこかのお姫様のところにお泊まりになってるんでしょ」
あかねは笑った。完全に冗談と交わされてしまった。

………まるっきり冗談、という訳でもなかったのだが。

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そんなこんなで彼女が京の人間になって、もう2ヶ月近くが過ぎようとしている。
暑さは日々を重ねるごとに増して行き、池を泳ぐ魚たちの姿が羨ましく感じられた。

夏の日差しは厳しい。いくら曙に照らされる朝露の輝きが美しくとも、それらは涼を感じさせるまでには至らない。
たまには風の吹き抜けるような、せせらぎの聞こえる山奥の清水でも味わいに行きたいものだと友雅は思った。
休暇くらいは一言告げれば取れるくらいの立場ではある。だが、ここから離れることが出来ない。
その理由は、例の公達の噂が広まりつつあるからだ。


「橘少将殿。お待ち下され」
清涼殿を出たとたんに、待ちかまえていたように彼らは友雅のそばに寄ってくる。女房達や侍女達ならいざ知らず、男に付きまとわれることなど覚えがない。
勿論、彼らの中にある下心くらいは友雅も気付いている、
「実はですな、次の満月の夜に私の屋敷で観月を楽しむ宴を催そうと考えておるのですわ」
「…へえ?それは楽しそうだ。確かあなたの屋敷は桂川を望む高台にあったのだよね。川のせせらぎも涼を運んで、さぞ素晴らしい夜になるだろう」
何でもないように、友雅は笑って答える。しかし、公達の方を振り向こうともしないし、ましてや足を止めたりもしない。
そんな公達の方も諦めはしない。
「それでですな、少将殿にも是非、宴においで頂きたいと思っておりましてな。勿論、秘蔵の酒と魚もご用意しております故、お気に召されると思うのですが、如何かですかな?」
やはりきたか、と友雅は背を向けて笑った。そしてやっと足を止めて、彼の方を振り返った。

「確かにそのもてなしは魅力的だね…だけど、残念ながら土御門の姫君をお連れするわけには行かないよ。それならあなたが私を屋敷へ招く理由なんて、なくなるのではないかな?」
「しょ、少将殿…っ!わ、私はそんなことを考えては……!」
言い訳を最後まで聞くまでもなく、友雅はその場をあとにした。
本来、他人の行動に関してはカンの鋭い友雅であるが、何せこんなことは最近日常茶飯事と化している。
どうにかして自分をつてに、土御門の姫君…つまり、噂になっているあかねのことを一目見ようと我先に飛び出してくる男達が何人いることか。
彼らにとって魅力なのは、自分ではなくてあかねであることくらい承知だ。

友雅自身さえも…浮かぶ満月の鮮やかさよりも、もっと美しく輝くものを見つけてしまったのだから。




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Megumi,Ka

suga