静かな恋の物語

 007
背中から、友雅の心音が伝わってくる。その感触は、直に肌を合わせるよりも体温を上昇させる。
手のひらに込められた力に絡まれて、自由に動けないままにあかねは目を閉じる。
「どうすれば…って言われても……」
かぼそく聞こえる声。
「私だって…どうすればいいか……っ」
小さな手のひらが、ぎゅっと友雅の拳にしがみつくように包み込む。
「分かんない…。」
さらさらと、夜風が庭の草を撫でるように流れていく。


二人きりの時間は、夜の闇が濃くなるに連れてゆっくりと進む。
月の明かりだけが差し込む世界。自分の声を聞いてくれる人は、たった一人しか居ない。
慣れたぬくもりに抱かれて、目を閉じていると夢心地になる。
「私だって…友雅さんのこと…まっすぐ見られない……」
素直な言葉が、するりと唇からこぼれた。
「どうして?」
「だって……勝手にいろんなこと考えて…一人で余計な詮索して…自分だけでぐずぐず言って……」
落ち着いて振り返る、今までの自分。
他人から聞いた噂を鵜呑みにして、自分の中で答えを出そうとしていた。真実なんて、本人しか分からないはずなのに、勝手に一人で結論を探していた。
一瞬だけとは言え、彼を疑った。それがあの時の涙になった。
彼がどんな気持ちでいたか、今の今まで知らなかったというのに。
「それも、私が君に言わなかったからだろう?言っておけば、そんな風に君を傷つけることなどなかったはずだ」
「違います…勝手に悪いことばっかり考えてた私がいけなかったんです。友雅さんのこと信じてたら、こんなことにならなかったのに…」
ふっ、と背後で苦笑する友雅の表情が、あかねには読みとれた。
「仕方ないさ。私の過去を知っていれば、君のように考えてしまうのは当然のことだろう。自業自得だから君を責めたりはしないよ」
「でも……っ」
許せないのは、彼じゃない。彼を疑った自分。
いつだって幸せをくれた彼を、信じることを諦めた自分。自業自得という言葉は、自分のためにある。

うつむいて言葉を止めたあかねの髪に、友雅は愛おしげに口づけをした。
「…あかね。君の目の前に居る橘友雅という男は、初めて本気で愛した人の前で、本心をなかなか口に出来ない気弱な男だ」
暖かい両手で、あかねの手のひらをそっと包み込んだ。
静かなトーンの甘い声が、耳元で言葉を紡いでいく。
「それが、私自身だ。誰一人として見せることのなかった、本当の私だ。君しか知らない、本当の私だ」
彼女の前ではいつでも、迷いを見せない安定した一人の男でいたかった。そうやって、彼女に安らぎを与えたかった。
たった一人で、見知らぬ世界に残ることを決めた彼女を、わずかでも惑わせることなどないように、守っていける砦でありたいと思い続けてきた。
本能が急くのを抑えながら。恋という感情に浮かれてしまいそうな自分を見直して、彼女のために地に足をしっかりとつけて。
だけど、初めての本当の恋には…自由は利かない。ふとした時に、本当の自分が見えてしまう。
そう、まさに今、こんな風にして。

「恋に溺れる落ち着きのない男でも、君は---------愛し続けてくれるかい」

どんなに格好悪くても、冴えなくても良い。その姿を愛する人が愛してくれるのならば、素顔のままで生きていける。
大切なのは、それだけだ。あなたが、自分の姿を受け入れてくれるかどうか。
誰に褒められても嬉しくない。あなたの気持ちだけが生きていく力になる。


沸き上がる熱が、徐々に温度を上げていくのがわかった。
身体の中が、まるで真夏の炎天下に肌をさらけ出したように熱くなる。
のど元まで込み上がってきた想いが、静かに夜の空気に溶けて流れていきそうな気配。
それは、愛し合うことにたどり着くことの出来た者だけが味わえる、特別な感情。
「私…っ」
息が喉で絡まって、呼吸を一瞬止める。
「私は…………っ」
答えたい。彼の言葉に答えを返したいと思った。あれこれ考えるよりも、心が素直に言葉になる瞬間が生まれそうな気がしたから。
しかし、それは予想もなく遮られた。


捕まれた肩が彼の手によってひるがえされて、身体の向きが逆になる。
背中は後ろに。そして顔は……真正面に。
「……やっぱり、顔が見えないままでいるのは、ちょっと耐えられなかったな」
そう言って微笑む瞳は、あかねしか映さない特別な泉だ。
「せっかく抱きしめられる距離にいるのに、言葉を交わす事も出来るのに、顔だけ見えないのは…逆に寂しくなる」
両手で頬をそっと包み込んで、鼻先がかするくらいまで顔を近づけて。
さっきまで照れくさい、なんて言って…お互いに顔をそらしていたというのに。今ではお互いの瞳から視線を外すことが出来ない。

いつもこうやって見つめ合って、微笑んで、微笑み返して…キスをして、抱きしめあって。
幸せを感じていた。一緒にいるだけで幸せだった。
余計なものなんて何もいらなくて、そこにあなたがいるだけ。それだけで…幸せだったこと。
「友雅さん…私……」
唇を開いて、顔を上げる。真っ直ぐ彼を見る。そうして、その胸の中に飛び込んでいく。
広げられた腕の中は、あかねだけが足を踏み入れることの出来る特別な場所だ。あかねのためにある、この京の中でたったひとつの安らぎの場所だ。
「友雅さんがいないと……生きていけない………」
改めて言葉を反芻してみると、気恥ずかしくなるような台詞に聞こえたけれど、素直に反応する心が止まらなかった。
あかねの、本心からの言葉だった。
「………私だって、ずっと前から…君がいないと生きていけないよ。」

だから引き留めた。ここに残って欲しいと叫んだ。一緒に生きていって欲しいと、そう思ったから。
今現在を楽しむだけじゃなく、これから二人で刻んでいく時間の中で、更に新しい楽しさを見つけていきたいと思った。
そして、それには彼女が必要だった……彼女でなくてはならなかった。
愛した女でなければならなかったから。



月が雲に隠れ始めた。しっとりと闇が部屋を包んでいく。
隣の部屋にある燈台の小さな灯火だけが、床のある部屋の隅を照らしている。
二人の影は、やがて一つへと重なり合っていく。またひとつ、愛を確かめ合うために。
まどろむまでは、もう少しだけ時間がかかりそうだ。
静かに、夜は流れていく。二人のために、ゆっくりとゆっくりと。


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いつも通りの朝。
小鳥のさえずりと、差し込んでくる朝日。
最後の記憶は真っ暗な闇だったのに、まぶしい光は部屋全体を明るく浮き上がらせていた。
かすかな寝息と、この腕に抱きしめた最愛の人のぬくもりを感じて、もう少しだけ横になっていようと思った。

いつもと同じなのに、どこか違う。そんな新しい気持ちの朝を迎えた。

そして、また彼女に恋をしている自分に気付いて、彼は照れたように静かに笑った。

何度も何度も、恋を重ねる。同じ女性に恋をする。
恋心が深まった時、それはきっと最上級の愛へと変わっていくのだろう。

でも、まだしばらくはこのままで良い。胸がときめく嬉しさは代え難い。

恋の虜になってしまった彼は、眠る彼女の睫にキスをした。





-----THE END-----



(お読み頂きましてありがとうございました!
あとがきがございますので、お時間がございましたら次ページへどうぞ♪)
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Megumi,Ka

suga