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静かな恋の物語
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| 006 |
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小さな燈台の灯でも、人の輪郭を照らし出すには充分な明かりだ。
戸の影に隠れるようにしている彼女の顔を、確認できるくらいのことは出来る。
桜を思わせる暖かな色を帯びた髪が、華奢な肩からさらさらとこぼれ落ちた。 「……あなたが仕組んでいた罠に、私はまんまとかかったということかい?」
梗露を見て苦笑いをする友雅に、彼女は静かに微笑んで言葉での答えは避けた。
最初から気づいていたのだ。友雅が戻ってきたというのに、あかねが顔を見る事もなく眠る事なんて出来るわけがない。
それに、あれだけ胸の中にわだかまりを持ったまま、安眠することなど不可能だろう。 そこに友雅の話が聞こえてくれば……耳をそばだてたくなるのは当然だ。
だから、ずっと梗露は彼に話しかけていたのだ。そこから、彼女の一番知りたい真実というものが、友雅本人の声で伝わる事が出来ればいいと思いながら。
そんな梗露の意図は、ほぼ完璧なほどに結果として残ったわけだから、思えば今友雅の言ったことは嘘とは言い切れないかもしれない。
梗露はゆっくりと立ち上がって、小さくなっているあかねのそばに移動する。
「さあさあ、床に入られているならまだしも、そんなお姿ではお風邪を召しますよ?気にかかっておられたことも晴れたことですし、もうそろそろお休みにならなければ」
彼女の手があかねの肩に触れる。そっと静かに顔を上げると、梗露は黙って微笑んだままうなづいた。
言葉は発しなくても、その表情に込められた意味はあかねなら分かる。
「あとは寝物語にでも、友雅殿に直接お尋ね下さいませ。他人の私が間に入らずとも、問題はありませんでしょう?」
そっとあかねの手を取る。少しだけ梗露の手は冷たかったけれど、その感触は何故だかどこかしらほのかに暖かさを残していた。
「……やられたな。」
背後で声がした。
振り返ると、丁度友雅とまっすぐに瞳がぶつかった。
行き場の無い手で髪を掻きあげ、少し照れくさそうに苦笑する。一度あかねと目が合うと、そのまま彼は顔を反らした。
今まで見た事のない友雅の表情を目にして、あかねははっとして目を釘付けにされたが、梗露に背中を押されて床の方へと連れて行かれてしまった。
一転して床のある部屋には、当然のことながら燈台などないために明かりが存在していない。わずかな光と言えば、少し開いた戸から差し込む月光くらいのものだが、時間によって傾いてしまった月は影にかくれて何も見えない。 「梗露さん…」
あかねを床に座らせて、梗露は静かに口を開いた。
「もう、何も不安に感じることはございませんでしょう?友雅殿がどんな風に神子様を想っていらっしゃるか、お聞きになっておりましたでしょう?」
閉じられた戸の向こうから聞こえる話し声に、ずっと耳を傾けていた。一言も聞き漏らさずに息を止めて、耳を峙てて。
「二の姫様とのことは現実であったとしても、あの方と友雅殿との間には何一つ深い絆はなかったことはお分かりですね?」
黙っていたのは、意味の無い事だったから。逢ったこともなく文を交わした事もない相手のことを、わざわざ口にする必要もないと思ったから。
「どんなことがあっても、友雅殿が神子様以外に気持ちを乱されることなどないと、お分かりになりましたよね?」
想い巡る、一つ一つの言葉。そこには彼の本心が詰め込まれていて、わずかさえも隠されたものなどない。
その言葉が、友雅自身だ。限られた人にしか見せることのない、本当の彼がその言葉の中にある。
あかねの前には、確かにそれが存在していた。それは、彼女が唯一の大切なものに違いないことの証だった。
「さ、あとは神子様方にお任せ致します。今ならきっとどんな事でもお答え頂けるはずですよ。」
肩に触れていた手をそっと離して、梗露は少し距離を置いたまま微笑みを絶やさずに答えた。
そう、きっと彼女がこんな時間まで友雅の話し相手をしてくれたのは、彼からの本心を引き出す為の事だったのだろう。あかねが耳を傾けていることを気づきつつ、友雅からの直接の言葉を聞かせようとしていたのだ。
『あなたが仕組んでいた罠に』と言った彼の言葉の意味が、ようやく理解出来た。
「梗露さん……ありがとうございます……」
立ち上がろうとした梗露の袖を、とっさにつかんだ。ただ、一言そう彼女の伝えるしか出来なかったが、それ以上の直接的な言葉での感情表現は出来なかった。
彼女は終止微笑んだまま、その場を静かに後にした。友雅のいる隣の部屋とを遮る戸を、半分ほど開け放ったままで。
「あなたにはかなわないね」
部屋を出て行こうとした梗露の背中に、ふとつぶやいた言葉を投げかけた友雅に、彼女は振り向く事はしなかったが微笑んでいることは何となく分かった。
■■■■■
静寂しか、なかった。
二人の人間がそこにいるのに言葉もなく、だからと言って互いを見つめる視線もなかった。
友雅が近づいている気配などは感じられない。お互いの距離が狭まらないままでしばらくの時間が過ぎていった。
それぞれに、同じ感情が生まれている。そのせいで、なかなか相手に近づくきっかけがつかめない。
気持ちの相違はこれっぽっちもないと分かったはずなのに。
どこか気まずくて、何となく気恥ずかしくて照れくさくて……あの時の、友雅の苦笑いが浮かんだ。
そこに相手がいることに気づかずに、口にしてしまった言葉。勿論それらは真実以外の何ものでもないのだが、普段面と向かっては言えない気持ちだからこそ気まずさが残る。
妙な違和感。だけど、胸はずっと熱くて。夜風のひんやりした感触さえ、もう分からない程に息苦しさが更に熱を持ち上げていく。 どちらかが切り出さない限りは、このままの状態が多分続くのだろう。そうしていつのまにか朝になって……しまうんだろうか。
そんなことは出来ないと分かっているが、一体どんな顔で真正面から友雅に向き合えば良いのか。
どんなに甘い言葉を吐かれたって、せいぜい顔を赤くするくらいの照れで済んできた。それはいつも彼が悪戯を交えてからかうようにするから、そのままストレートに受け止めることが出来なかった。
いくらでも出て来る彼の台詞は、あかねのような普通の少女のテンションを思い切り上げるには、十分すぎる程の威力を持っていると彼女自身も体験済みだけれど、今回は今までとは少し違う。
彼は、半分ほども離れた子供のようなあかねを、同じ目線で捕らえていた。
年令の差や、行きてきた世界での価値観の違いなどを気にも留めず、同じこの時に存在する一人の人間として見ていた。
差など全くありはしない。同じ目で、同じものを見る事が出来る。手を伸ばせば、確実に相手に触れられる現実がそこには確かに有る。 思うよりも近くに、いつもそれは存在しているから…だから気持ちが募る。
「あかね」
びくっとして、一瞬身体が飛び上がった。突然名前を呼ばれて、更に鼓動が全身を駆け巡るように動き出す。
無音の夜の中で、そんな体内の動きさえも音となって聞こえてしまいそうなくらいに高鳴る。
「そろそろ眠ろうか。お互いに、もう随分と夜更かしもしたことだろうしね」 「あ、そ…そうですね…もう、寝ないと…」
時計などないから正確には時刻が分からないけれど、この世界に馴染んでいくうちに何となく体内時計が働くようになった。
普段よりもずっと遅い寝付きになりそうだ。多分、いつもの就寝時間より3時間は遅れているだろうから。 あかねは慌てて、ささっと乱れた床を直す。うずくまったせいで、掛け布団がわりの衣にしわが寄ってしまっている。せめて隣の友雅の床くらいはきちんと直さないと…。
と、その時だった。
唐突に、後ろから強く抱きしめられた。予想もしなかった展開に、鼓動さえも止まりそうになる。 強く侍従香が敷き詰められた衣、ほんの少しだけ香る酒の残り香、そして……身体に馴染んだ彼の腕の感触。
友雅がそこにいる。確かに、振り向いたそこに彼が居る。 「振り向かずに、このままで…じっとしていてもらえないか」
そう言われても、元から動きなんて自由に出来ない。友雅の腕の力が強いのと、抱きしめられた感覚に身体中が麻痺したように動けない。
耳に、うなじに吐息が少しかかって、びくりとその都度肩が震えた。
「どうしようか…」 「え…?」
つぶやいた自分の言葉のあとで、友雅はふっと笑ってみせた。
「やはり、このままこうしているわけにもいかないね。」
夜はゆるやかに時間を流してくれるけれど、それを止める事は出来ない。いつかは少しずつ空が明るくなって、やがて新しい日が昇る。 「でも…どうすればいいんだろう」
ぴったりと付いて離れないぬくもりを感じながら、戸惑うだけの友雅の言葉に耳を傾ける。
見つからない答え。定まらない答え。ただ、その瞬間をごまかすようにあかねを抱きしめる腕は、まだほどける様子を見せない。
「駄目だな。なかなか思い切りがつかないみたいだ。これじゃ、いつまでたっても君の顔を見る事は出来そうにない」
お互いの心音が聞こえる。組み合う友雅の手にそっと指を添えると、そこからまた鼓動がかすかに伝わって来る。
「君はいつも、初めての感情を私に与えてくれる。だから、いつだってこうして戸惑ってばかりだ。今までの経験もなにも通用しない。だから困る。」
何十年も彼女より長く生きているのに、彼女よりもずっと多くの記憶が身体に蓄積しているのに、その何もかもが無意味だ。
予想の出来ない、新しい答えが生まれる。見た事もない、感じた事もないものを目の前にしたとき、誰でも赤子同然と言える状態に陥る。
あかねの前にいるとき、それこそが友雅の現状そのものだった。
「どうすればいいと思う?」
友雅が尋ねる。 「どうすればいつものように、自然に君と向かい合えるんだろう。どんな顔で、君を見れば良いんだろうね…」
男と女の駆け引きは、常にすべてをさらけ出しては意味がない。少なからずの謎がなくては、相手への興味を引きつけられない。
だからずっと、どこかで抑制していたのに。まさかこんなことになるなんて。
もう、友雅にはあかねに対して隠せる感情がない。口に出したものが全てだ。包み隠せるものは皆無。裸の心しかここにはなかった。
見栄も格好をつけることも出来ないし、そんな方法もない。
この身のままで、彼女の隣に居ることが何故だか照れくさくて、そして心細い。
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