北山の麓から少し昇った杉林の先、わずかだが人の気配を感じ取ることが出来た。
生い茂った木々と草に囲まれていても見つけられたのは、彼らが持つ金の髪色のおかげ。
「どうだい、新居での生活は」
「あんたら…」
もう滅多に顔を合わすことはないと思っていたのに、こんな山深いところで二人と出会うとは。
いや、出会うというよりもやって来た、という言い方が正しい。
偶然に誰かと遭遇するわけもない地域だし、いくらこの二人でもここらで逢い引きなんてしないだろう。
「さっさと用件をお言いよ。あんたらが用事もなく来るわけない」
「まあまあ焦らずに。少しくらい、暮らしぶりを見せてもらっても良いだろう?」
そう言って友雅は、屋敷の周りをぐるりと一周してみた。
下見に来たときはかなり荒れていて、壁もあちこち剥がれている部分があった。
それでも彼らなりに修理の手を加えたようで、少人数で暮らすには問題ない程度の佇まいになっている。
室内の方はさすがにお邪魔だろうかと、敢えて立ち入りを遠慮した。
「さて、今日はこれを届けに来たのだよ」
友雅は袂から、文を一通取り出してシリンに手渡した。
「何だい、これは」
「蘭からのお手紙です。その…ずっとお世話になったから、お礼を言いたいって」
本来ならば、直にここに来て感謝を伝えたいと言っていた。
しかし晴明はわずかな隙を狙って、蘭の中にあるアクラムたちに操られていた意識を封印させた。
だが、あくまでそれは封印であり抹消ではない。
もしも関連のある人物に再び会ったとしたら、ショックで封印が解けてしまう可能性もゼロではない。
出来る限りシリンたちとの接触は避けた方が良い、と晴明から言われたのだった。
「じゃあ、あの子は覚えていないんだね」
「はい。あなたと一緒に生活していたことだけしか、覚えていません」
「そうか…そりゃ良かった。あんなこと、思い出したら辛いだけだ」
加担していた自分が言えることじゃないけれど、今だから冷静に多くのことが考え直せる。
普通の人間として認めてもらい、生きて行くことが可能になった今は、見える世界が格段に広がった気がする。
「取り敢えず、目を通してくれるかい。彼女に伝えないといけないのでね」
シリンは文を開き、認めてある文字をひとつずつ追った。
が、半分くらいまで読んだ頃になって、それをぱたんと閉じてしまった。
「ちゃんと目を通したよ!間違いなく全部読ませてもらった!」
「…はあ」
完全に、それは嘘だと分かった。
途中までしか見ないで、折り畳んで懐に隠した。
おそらく文の内容に、感極まってしまったのではないだろうか。
こう見えても、面倒見の良い女だから。
家族とはぐれた赤の他人の自分を、一緒に生活させてくれて感謝しています。
シリン様たちと出会うことが出来て、本当に良かったです。
ありがとうございました。
その文章だけを見て、続きが読めなくなった。
最初は罪の償いという思いもあったけれど、いつのまにかそれは母性本能みたいなものになっていて。
この子を世話してやらないと、なんて柄にもないことを考えて。
いつか本当の家族の元に、帰してやれるきっかけが来るときまで…と。
「じゃあ文も確かに手渡したということで、私たちは退散するよ」
蘭の文を届けることが任務だったから、これで友雅とあかねの役目は終わった。
これからは別々に、同じ世界の同じ町で生きて行く。
「あの子にさ、元気で…って言ってやってくれるかい」
「はい、ちゃんと伝えますよ」
「頼むよ。ああ、それと、彼氏とも上手くやるようにってね」
シリンも寿巳のことは承知で、陰ながら二人の関係を気に留めていたようだ。
同じように恋心を持つ者同士。他人の成就も願わずにはいられない。
「おや、私たちに対しては応援の言葉はないのかい?」
「…あんたらに今さら言葉なんてないっての!」
度を超えてるのにも気付かずに、本能のまま突っ走ってるこの二人に何を言えば。
少しは人目を気にしろ!とか、せいぜいそれくらいだ。
「それじゃ、またいつかね」
「ああ。機会があればね」
簡単な言葉だけを交わし、お互い背を向けて別の方向へと進んで行く。
思い返せば、命をかけた戦いを繰り広げた相手だ。
そんな相手の情けの心と涙を知り、一切危険を感じずに会話が出来るという現在。
時は変わる。
行動次第で、人も変わる。
変化をくり返し…そして本来の自分に戻る。
あるべき形に、あるべき場所に。
友雅たちは麓で待たせていた車に乗り、北山を後にした。
「ようやくすべて解決だね」
「はい、ホント良かったです」
龍神の神子としての役目は、京を鬼の一族たちから護り抜くこと。
しかしそれらが無事に済んでも、大切な友人を悩みや苦しみから解放してあげなければ悔いが残る。
「諦めないで良かった。何度も友雅さんが励ましてくれたから…」
「私は何もしていないよ。功労者は晴明殿かな」
それはそうだけど、やっぱりあかねにとって友雅の存在は一番大きい。
倒れそうになったとき、背中を支えてくれたこと。
迷ったときに少し離れた場所で、合図を送ってくれたりしたこと。
そんな彼の行動が、自分自身で答えを考え、一歩前に踏み出す力を与えてくれた。
「ありがとうございます…友雅さん」
彼の腕にしがみつくと、逆の手で髪を優しく撫でられた。
指先ですくいあげ、絡みつけ、弄びながら何度も撫でててくれる。
「言葉だけではなく、形で感謝の意を頂きたいね」
決して広くない牛車の中だが、そこは誰一人立ち入る事が出来ない密室。
ガタン、ガタンとゆっくり進めば進むほど、二人だけの時間は長くなる。
「今まで気がかりだったことが消えて、これからは遠慮なく私たちだけの時間が過ごせるね」
「あ、はい…そうです、ね」
何度も口づけを交わしたあとで、そう囁く友雅の声が聞こえた。
他人のことではなく、今度は自分たちの番だ。
停滞している大切なことが山積み。
次の悩みは…いかにして彼女を正式に我が家へと移らせるか。
「これに関しては、さすがに私も急いてしまうな」
「そ、そうですね…。出来るだけ私も何とか出来ればって思って…」
「本当に?」
「ホントですよ。私だって友雅さんとずっと…」
ずっと一緒にいたいって、思っているに決まっているじゃないか。
だからここに残ることを決めたのだから。
すると友雅は物見窓を開け、表にいる従者を呼び寄せた。
「すまないが、行き先を変えてくれるかい?」
「は、どちらへ参りますか」
「一旦四条の屋敷に寄って、そのあと-----------」
その日の午後、土御門家に二通の文が届いた。
一通は藤姫宛に、もう一通は天真宛に。差出人は、どちらも同じ。
藤姫が眉をひそめつつ開いた文の中には
『本日より我が妻同行の上、丹波へと参りますのでご了承を』
「どうしてあの方は、いつもいつも事後報告なのですかッ!」
ピキピキしている藤姫の横で、天真もまた文を開く。
『留守の最中に、工事を進めておいておくれ』
……はぁ。どこまで念を押して来るんだか。これじゃ後回しには出来まい。
まずは材料探しと行くか。
沸騰したやかん状態の藤姫を尻目に、天真は重い腰を上げた。
-----THE END-----
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